2011年5月26日木曜日

恐るべき忖度政治

日本語には外国語に訳しにくい言葉がいくつもある。そのひとつが「忖度」だろう。日本語の意味も正確に記述するのが難しいが、辞書的にいえば「他者の気持ちを推し量ること」とか「慮る(これも意味が今一つ分かりにくい)」ということであろう。平たく言えば「(相手の)空気を読む」ということだ。英語に直せばsurmiseか、guess one's thinkingといったところになるだろう。

ただ、この「忖度」という行為は、現代日本政治の最重要なアクションなのかもしれない、と感じている。そう思うのは5月26日の東京電力と統合対策室の記者会見で武藤東京電力副社長が言った一言があまりにもショッキングだったからである。

それは、「海水注入に向けて努力していたが、官邸の中の(首相の了解が得られていないという)空気が伝えられたので中断を決めた。IAEA(国際原子力機関)の調査団が来ており、事実関係を明らかにするため、聞き取り調査し、所長から報告があった」という発言であった(引用元:毎日新聞)。

ここ数日世間を騒がせていた「海水の注水中止」をめぐる「誰が言った、言わない問題」の根っこには「首相の了解が得られていない『空気』があった」。『空気』で判断し、『空気』で行動していたのである。ニュース速報やテレビなどではここに注目した議論はほとんどなく、発言の訂正が繰り返されることに対する不満や不信感に注目が当たっていたし、ツイッターなどでも、東電の指示に従わず海水注入を続けた吉田所長を処分するという東電幹部の判断に対する批判と揶揄がほとんどであるように思われる。

しかし、何を差し置いても恐ろしいのは、首相の指示が明示的にあったわけではなく、連絡役として官邸に詰めていた東電のリエゾン(武黒前副社長と思われる)が「感じていた」「空気」で判断していたということである。こうなると、いったい誰に責任があり、誰の判断が働いたのか、まったくわからなくなる。そうなれば指揮命令系統が混乱するだけでなく、その「空気」を読み間違えていたらどうなるのか、といった問題が発生する。

こうした危機に直面した状況で、相手のことを慮り、最高意思決定者の「心の中を推し量る」資格を東電のリエゾンは持っているのだろうか。結果的に現場の吉田所長の独断(この場合は英断と言うべきだろう)で海水注入は続けられたし、結果的にすでに燃料棒が溶解している状態だったのだから、海水注入が続けられたとしても状況はそれほど大きく変わったとは言えないと思われるが、それでも、もしこの「首相の空気を読」んだ結果、大事故につながっていたとしたら、いったい誰が責任をとることになるのだろうか。首相?リエゾン(武黒)?東電幹部?彼らは一体どんな責任をとることができるのだろうか?辞職?給料返上?被災者と一緒に避難所生活?

こうした「空気を読む」忖度政治がまかり通るのは、これまでの原子力ムラの行動様式が「腹芸」や「みなまで言うな」的なコミュニケーションで成り立っていたからであろう。彼らは利害を共にする政治家や官僚、自治体幹部などと、はっきりとものを言わず、お互い忖度しあいながら意思決定をしてきた。それがこうした危機の真っただ中にあっても、無意識のうちに出てきたのである。こういう状態は、グレハム・アリソンが書いた『決定の本質』の第二モデルにぴったり当てはまる。アリソンの第二モデルとは、簡単にいえば、官僚や政策決定者は危機の時にあってもSOP(Standard Operational Procedure:標準行動手続き)に従って行動する、というものである。つまり、東電の幹部もこうしたSOPにとらわれ、明示的な意思決定と指揮命令に従わなければならない、という認識にならなかったのであろう。

これまでも「原子力ムラ」の世界を批判し、その滅茶苦茶ぶりは知っていたつもりであるが、今回の武藤副社長による一言にはかなり衝撃を受けた。まだまだ自分の修行不足を感じる。

4 件のコメント:

  1. I like your observation which is right on the money.

    But, let me point out that the English translation of "忖度" in the way you were using should be "Empathy" (the more familiar word for most Japanese, "sympathy" is similar but not quite the same).

    I'm sorry picking such a minor point. I'm a native Japanese speaker who has lived in the US for 44 years using and learning English every day (I am still struggling with the language.)

    Kan Yabumoto, Naperville, IL

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  2. Hello, Mr. Yabumoto.
    I agree your comment.
    Thank you,
    Yasushi Tsuda

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  3. 鈴木先生,初めまして,定年後の素人スラブ語学徒?ですスラブ研の方ともお話をすることがありました。思うところあって探索中本サイトに遭遇しました。昨今またnegativeな事象での「忖度」を耳にし,Arendtを思い出しますが,何故かpositiveな事には用いられませんね。

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  4. 鈴木一人先生、はじめまして。忖度という言葉がいま話題になっているけれど、このような難しい言葉を以前から知っていて使っていた人はそう多くないのではないでしょうか。

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