2011年5月11日水曜日

なぜ日本は原子力を始めたのか

福島原発の事故以来、原子力政策について様々な議論がなされているが、どうも腑に落ちないというか、誰もはっきり説明していないことがあるような気がしてならない。それは、「なぜ被爆国である日本が、地震多発国である日本が、原子力をやっているのか」ということである。

この話を考えるにあたり、頭を1950年代初頭に戻す必要がある。第二次大戦直後には唯一の核技術=原子力技術の保有国であったアメリカは、当然のことながら、原爆という決定的な兵器となる技術を独占しようとしていた。しかし、1949年にはソ連が原爆実験に成功した。ここから話が大きく展開する。

ソ連の核技術=原子力技術を何とか管理しないと、第三次世界大戦は核戦争となり、世界は破滅するという恐怖が生まれた。そのひとつの答えが「核技術の国際管理」であった。これを提唱したのが、アイゼンハワー政権であり、「Atoms for Peace(核の平和利用)」というコンセプトで、核技術を「平和利用」である発電と、「軍事利用」である核兵器と二つに分け、「平和利用」に限ってどの国でも原子力技術を持つことを認めることを推奨し、世界に広がった核技術を国際機関(これがのちにIAEA、国際原子力機関となる)によって管理し、ソ連の核も含めて国際的に管理する、という仕組みを作ろうとした。

これに乗っかる形で日本に原子力を導入しようとしたのが、当時若手の政治家であった中曽根康弘とその友人であった正力松太郎(読売新聞社主)であった。そこで、日本は日米原子力協定を結び、総理府に原子力局を作る(のちに科学技術庁となる)。中曽根、正力といった名前を見ればある程度想像がつくであろうが、日本が原子力を導入するのは「平和利用」だけに限って利用するということだけが目的ではなかったといえよう。彼らは「Atoms for Peace」を絶好のチャンスととらえ、「平和利用」を前面に押し出し、日本が核技術を手にすることで、実際に「軍事利用」せずとも、「潜在的な抑止力」を手に入れることができる、と考えたと思われる。

ところが、この日米原子力協定が結ばれた1955年というのは、ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被曝した事件と同じ年である。なので、この年に原子力基本法が定められ、そこでは「民主、自主、公開」という原則を付し、密室で「平和利用」の技術を「軍事利用」できないように歯止めをかけようとしたのである。

当然、「平和利用」であっても、原子力を導入することに反対する勢力は強かった。1950年代というと、1960年安保に向かっていく、左翼運動のもっとも盛り上がっていた時期であり、原子力の導入を阻止するという意味では一番チャンスがあったように思われる。しかし、それは結果的に実現せず、原子力の導入はその後ずるずると続き、現在にいたっている。

その背景には、当時の高度経済成長期において、増大する電力需要を賄うためには、外国に依存する石油による火力発電だけでは十分ではなく、独自のエネルギーを持つ必要がある、という認識が強かったからであった。また、当時の「科学技術」に対する絶対的な信念というか、日本の経済成長を支えるものは科学技術であるという無条件の承認があったように思われる。当時、「平和利用」としての原子力技術の目標は高速増殖炉(現在、トラブル続きで動いていない「もんじゅ」で実験されている)であり、この当時「夢のエネルギー」と言われていた(今でもそう言っている人は多い)。1964年にオリンピックを開催し、東海道新幹線が「夢の超特急」と呼ばれ、首都高が整備されている時代、原子力に対しても、ある種の盲目的な信頼があったと思われる。

そうした一般の認識が、反原発の運動を制約し、反原発がある種の「イデオロギー的ゲットー」に閉じ込められてしまったことに問題がある。これまで述べてきたように、こうしてイデオロギー的なコーナーに追い込まれた反原発運動は、より純化し、原発推進派と対話することができなくなっていった。その結果、原子力の導入が「多数決」によって進められ、イデオロギー的に純化した反原発運動が自己主張をしても多数決の数の力の前に無力化され、現実的な政策論議をすることができなくなっていってしまった。

こうした歴史的な流れがあって、現在の福島第一原発に至っている。そこには「被爆国」や「地震多発国」である日本で原子力をやることのまともな議論がなかったことを示している。こうした歴史的なコンテキストが、後々の原子力の政策論議の欠如をもたらし、外国からみると理解できないような原子力政策を紡ぎだしていったのである。

1 件のコメント:

  1. 九州から全国に先駆け原発を廃止をお願いします。経済産業省林大臣、佐賀県知事、鹿児島県知事、九州電力さまへ原発廃止と原発に依存する社会を誤った選択をした日本政府と国内企業のお話を致しました。日本人と日本社会はこれから人間らしく生きていける社会を取り戻しすために、人間の生活リズムを変えてしまった要因の一つである原子力を全廃するようにお願い致しました。

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