2011年10月19日水曜日

Occupy Wall StreetとTea Party

現在、出張でニューヨークに来ています。仕事は国連総会の第一委員会に合わせて行われるシンポジウムに出ることなのですが、飛行機の都合で一日余裕があったので、「ウォール街を占拠せよ運動(Occupy Wall Street)」の現場を見に行ってきました。現地からの印象はツイッターでメモ書きを送信しましたが、現地で撮った写真もつけてコメントしたいと思います。

この「占拠運動」の第一印象は、「議論の場」ということでした。とにかく、いろんな人たちが様々なプラカードを掲げていて、好き放題に色々なことを主張していて、それに挑戦する人、共感する人がとにかくよくしゃべっている。「占拠運動」の基本的な路線はアメリカにおける貧富の格差への怒りであり、大企業や投資銀行が救われているのに、人々が救われていないということへの怒りなのですが、現在のシステムに対する不満を持っている人が思い思いに集まって、現状への批判を繰り広げているという点は、想定されているよりも運動の幅が広いということを示しているのと同時に、社会のマージナルな人たちの集合になってしまっているという印象もあり、運動としてどこまで力を持ちえるのか、疑問が残りました。


彼らの主張を見ていると、警察批判や遺伝子組み換え食品反対、共和党批判、オバマ支持と批判、エコロジー運動、戦争反対、ハイチ救済、ネイティブ・アメリカン差別問題、世界平和などなど、とにかくバラバラ。それらをまとめるという方向性もなく、思い思いに主張しているという印象でした。そこで重要になるのがプラカード。プラカードに書かれたメッセージを持っている人たちに対して、議論をふっかけたり、説明を求めたりするような討論の場が自然にできていることはとても面白かったです。以下の写真はいくつかのプラカードの写真です。







こうした状況を見ていると、リベラルなテーマを一堂に集めた、ある種の言説のデパートのような場所というのが、このズコッティ広場の特徴のように思いました。一応の統一感(参加している人たちの雰囲気や大きな意味での価値観)はありつつも、主張していることはバラバラで、それぞれ個人商店のようにやっているという印象でした。

しかし、それでもここに泊まり込み、自分たちの主張を表現し続けようとするエネルギーがどこから来るのか、というのは、今一つよくわかりませんでした。単なる怒りというだけではない、何かもっと信念のようなものを感じました。ということは、その信念を共有できなければ、この運動に外部から参加する人が増えていくということにはならないという気もしました。


これは、言い方を変えると、この「占拠運動」はティーパーティのような政治運動にはならないのではないか、という印象を受けました。ティーパーティの場合、明確な政治的目標があり、それを実現する政治家を支援し、その政治家を当選するために票を集めるという運動を展開したわけですが、この「占拠運動」は、必ずしもそうした政治的な単一のメッセージを訴えているわけでも、政策的なプログラムを提案しているわけでもなく、ただ単に批判をしているという段階にとどまっているという印象が強かったです。それは、個々の信念は強くても、結局、それは個人レベルの価値観でとどまっており、実現しようとする世界と、現実世界の間をつなぐイメージができていないということが問題だと思いました。

しかし、オバマ大統領もこの運動を支持し、私が見ている間に民主党の大物のジェシー・ジャクソン(彼は一応政治を引退したことにはなっていますが)が来ていました。また、民主党の下院院内総務のナンシー・ペローシも運動を支持する(Endorseすると言っていました)といっていて、一応、民主党リベラル派は運動にすり寄っているという印象はありますが、運動の側から積極的に彼らに働き掛けるという感じもなく、ジェシー・ジャクソンが来ている間も、メディアの取材記者は集まっていたようですが、周りの運動参加者は関心を持たず、ほとんど見向きもしていなかったのが印象的でした。


さらに、このズコッティ広場から見ると、ウォール街やグラウンド・ゼロなどがすぐ近くにあり、ビジネスマンや買い物客、観光客など、普通の生活をしている人たちが普通に通り過ぎていき、まったく交わる様子もありませんでした。観光客は(私も含め)この運動を見に来たという人たちがいて、写真を撮ったり、「99%!」と書かれたTシャツなどを買っていましたが、それ以上のコミットメントはしないというか、中に入りづらいような状況で、遠巻きに見ているという印象が強かったです。下の写真の手前を歩いている人たちやフェンスに沿って歩いている人たちは観光客の人たちです。


なので、ここの人たちは自らを99%だと主張しているけれども、結局のところ、ここに集まっている人たちは、強い信念を持って現状のシステムに不満を持つ1%であって、その向こうを歩いているビジネスマンや観光客が99%なのではないか、という気が強くしました。

確かに、この運動が主張する貧富の格差の問題や、銀行を救っても市民を救わない政府に対する怒りというのは多くの人に共有されているのだろうと思います。しかし、それは漠然とした抽象的なイメージだからこそ共有されるのであって、具体的な政策や税制の問題などになると、どこまで一致した議論になるのか、また、その後のアメリカの行方、経済政策などをどうマネージするか、という問題になった瞬間に、議論が停滞し、原理原則・信念の主張を繰り返すような結果になってしまいそうな気がしました。

その点から考えると、この「占拠運動」はティーパーティのような政治的なムーブメントにはならないだろうし、オバマ大統領にも失望している以上、彼以上のリベラルな候補をホワイトハウスや議会に送り込むというのは事実上無理なように思います。

とはいえ、これだけ大きな運動となり、大きく取り上げられ、世間の耳目を集めることには成功したので、この運動を完全に無視するということは実質的に無理だろうという気もしています。なので、この「占拠運動」の社会的な意味は、来年の大統領選、議会選挙において、どれだけ「占拠運動」で訴えられた貧富の格差の問題やウォール街の規制を行うのか、ということが争点となるということだろうと思います。「占拠運動」によって提起された問題が、何らかの形で政治家によって取り上げられ、選挙の争点になるようなことになれば、それだけで「占拠運動」は意味があると思いますし、それが一つの成果になるような気がします。

しかし、残念ながら、今日行われた共和党の大統領候補の討論会では、こうした問題が全く取り上げられず、やや泥仕合のような形になっていたのは残念。来年の選挙がどうなるかはわかりませんが、共和党が「占拠運動」が提起する問題を取り上げない限り、結局、アメリカ国民の中に蓄積されている不満は解消されず、問題は深刻になっていく一方のような印象を持っています。

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