本日、原子力安全委員会が原子力安全・保安院から提出された大飯原発3,4号機のストレステストの結果を了承した。定例ではなく臨時会合として開かれたが、かかった時間は5分。書かれた文書を読み上げるだけの会議であった。すでに非公式に議論が進められ、委員の間でコンセンサスが取れていたから、臨時会合はあくまでも公式な手続きにのっとって、公開の場で採択しなければならないので、それを行っただけなのだろう。
このストレステストの問題、安全委員会の役割など、いろいろな問題点はあるが、まずはこの「公開」の意味を考えてみたい。
これまで日本の原子力政策は「自主・民主・公開」の原則のもとに行われてきたことになっている。これは、日本が原子力の平和利用を始めるにあたって、原子力の軍事的利用を認めない、その歯止めとして導入された概念であり、同時に外国の技術ではなく、自らの技術で原子力開発をするという推進側の理念でもあった。
この「自主・民主・公開」の理念は素晴らしい。しかし、理念が素晴らしくても、「原子力ムラ」は立派に成長し、様々なトラブル隠しがあり、史上最悪と言われる事故が起こった。この理念があったからこのようなことが起こった、というつもりはないが、このような理念が空虚であったということを証明することは難しくないだろう。
ここで理念が役に立たなかったということを議論しても仕方がない。しかし、「なぜ」理念が役に立たなかったのか、「どうすればよかったのか」ということは考えておく必要があるだろう。
まず「自主」であるが、これは曲がりなりにも成功している。政府は一貫して原子力を推進し、様々な失敗、とりわけ核燃料サイクルに関連する技術の自主開発にはいまだに成功していないが、それでも商業炉の建設ということだけ見れば、自主技術の開発が進められてきた。この点は今回の議論の焦点ではないので、とりあえず置いておく(問題がないわけではないのでいずれ取り上げたい)。
次の問題は「民主」である。科学技術を民主的にコントロールするという理念は非常に重要で、崇高な概念だ。それを実現しようとして科学技術社会論(STS)などの分野も発達している。しかし、私は個人的に科学技術を「民主的」にコントロールできると考えるのは無理があるように思っている。
というのも、圧倒的な技術的専門的知識の格差があるからである。私は文系出身者で技術的なことがわかるわけではない。なのに、宇宙開発や原子力安全の問題を勉強している。しかし、技術的なことはわからないことが多い。多すぎる。本当にそれは適切な技術なのか、それは安全な技術なのかを判断する基準も知識もない。ゆえに、一生懸命勉強している。
しかし、これを市民がすべて行うことはほとんど無理だと思う。基礎的な知識だけでも理解することは大変難しい。そうなると技術的な知見に基づいた「民主的」なコントロールは大変困難である。
ただ、「自主・民主・公開」の原則における「民主」というのは必ずしも、市民が専門的技術的知見に基づく判断をすることを想定しているわけではなく、それは国会が良識を発揮して、原発に賛成、反対を含め、建設的に批判する知見を持つ人たちを含めて決定していく、という意味を持っていた。しかし、そうしたことを国会が行ったということは寡聞にして聞かない。むしろ、「原子力ムラ」を構成し、ともに利益を共有する存在として政治家は存在していた。そんな中で「民主」の理念が実現できるとも思えない。
また「公開」の原則も、理念としては良いかもしれないが、現実的には実現の難しい問題である。原子力技術や原子力発電所は、軍事的に応用可能な技術であり、それを一般に公開することは、他国(たとえばイランや北朝鮮)に軍事技術をただで教えるようなものになってしまうし、また、テロリストに攻撃する余地を与えることになってしまう。そのため「公開」にはおのずから限界がある。
さらに大きな問題は「公開」を前提にすると、様々なものが地下に隠れてしまう、ということである。私は一時、国連の様々な会議を見る機会があったが、国連というのは第二次大戦の反省から「秘密外交」ではなく、「公開外交」を行うため、オープンな場で会議を進めるということを理念としてきた。なので、我々もテレビで国連総会の様子を見ることができるし、会議での発言は議事録で見ることができる。
しかし、実は国連安保理は「公式チェンバー(会議室)」の隣に「非公式チェンバー」というものがあり、ここにはプレスも入れないだけでなく、国連加盟国であっても安保理のメンバー(15ヶ国)でないと入ることができない。我々がテレビで見る馬蹄形に並べられたテーブルで行われている国連安保理の採決は公式チェンバーの映像だが、あれは安保理の議論の最後、採決の時にしか使われない。それ以外の本質的な議論は非公式チェンバーですべて行われる。
本日の原子力安全委員会の5分間の臨時会合を見て思い出したのは、この安保理での決定プロセスである。「公開」を理念として謳っても、結局、本質的な議論を表でやることは難しく、「公開」を義務付けたところで、議論は見えないところで行われる。
そうなると「公開」を前提にして、人々が情報を受け取り、それに基づいて判断するという「民主」という概念は成立することが難しくなる。東京電力が提供した原発事故マニュアルも、結局、保安上の理由に加えて、知的所有権という理由から真っ黒に塗りつぶされて提出された。本来ならば、こうした事故の責任を取って、すべての情報を提供し、何が問題だったのかを検証する手続きに全面的に協力すべき東京電力は、これまでの形式的「公開」と地下に潜った情報公開(つまり原子力ムラの中でしか情報共有しないという姿勢)という態度を変えなかった。そこから東京電力の誠意も責任も感じることはできないが、それはともかく、原子力基本法を作った段階での「自主・民主・公開」の概念がこれほどまでに形骸化していたということを象徴する事例といえよう。
では、どうすればよかったのか。「自主・民主・公開」といった形骸化した理念などなかった方が良かったのか。
いや、そうではない。この理念は間違っていないのだ。何が間違っていたかといえば、こうした原則を作ったことで安心し、その理念が形骸化していくことを食い止める努力をしてこなかったことである。「自主」はともかく、「民主」と「公開」については、一般市民である我々も、政治家も、電力会社も、原子力技術者も、みんなこの理念にコミットし、それを守ろうとする意志を示せば実現できたはずである。しかし、原子力を推進することを国中を上げて支援した1950年代、激しい反原発運動が生まれた1970年代、そして様々なトラブルが発覚し、原子力政策が強く批判された1990年代と、様々な局面で、この理念は忘れられ、形骸化されていった。
特に重要だと思うのは、原子力の導入を決めた1950年代に政府が強引に進めていく原子力政策に対して、それを食い止めることができず、メディアも世論も原子力推進に向かっていく中で、ごくわずかな科学者や技術者しか批判的な勢力として存在せず、原子力推進の流れの中で、建設的批判を行う存在が無視されてしまったことがある。その結果、1970年代に反原発運動が活発化した時も、原子力推進によって強固に構築された制度的枠組みと「原子力ムラ」と国民の無関心に立ち向かうため、過激な言説や「何が何でも反対」という立場を貫かざるを得なくなった。それは、結局、反原発運動が一定の支持を集めることには成功しても、原子力政策の大きな流れに掉させる状況にはならなかった。また、過激な言説を導入することで、「賛成か反対か」という二元論に陥ってしまい、建設的な批判をすることが難しい状況になった。
その結果、反原発派に対抗するために、原子力推進派は「公開」の原則を形骸化させ、どんどん情報は地下に潜るようになり(といっても原子力委員会や原子力安全委員会の文書は公開され続けるが)、結局、あずかり知らないところで物事が決まるという状況が常態化し、「民主」的コントロールをするということがほぼ不可能になったのである。
今日の原子力安全委員会の臨時会合が5分しか開かれず、それに起こった傍聴者が野次を飛ばしたり、机を乗り越えて意見を言おうとしている姿を見て、「結局、何も変わっていないんじゃないか」と思わざるを得なかった。これまでの「賛成か反対か」という議論を乗り越えることができず、反対を騒ぎ立てれば立てるほど、「公開」の場で行われる議論が形骸化され、ほとんどが地下に潜ってしまうという構図が何も変わっていないのである。
今必要なことは、感情的に原発に反対し、何が何でも原発の再稼働を止めるということなのだろうか。確かに、今回の原子力安全委員会の決定には納得できず、何度聞いても班目委員長の説明は理解ができない。再稼働をするという判断を誰がするのかという責任の所在も曖昧なままだし、きちんとした安全規制の再検討がなされたとも言い難い。しかし、だからと言って、感情的な反原発を叫ぶだけでもよいのだろうか。
私は、今必要なことは建設的な批判をする集団を作っていくことなのではないかと思っている。すでに述べたが、「民主」的コントロールをするには、専門的技術的知識に大きな格差がある中で、感情的な反対をしても、「原子力ムラ」に訴える力は弱いのではないかと考えている。きちんと建設的な批判ができる場を作り、原子力政策をどのようにしていくのか、様々なオプションを示しながら、冷静に議論できるようになるのが一番望ましい。
そのためにも、情報の「公開」は絶対に必要である。その「公開」ができないような状況になるのは一番避けたいことである。そのためにも、感情的な反原発をぶつける場として「公開」の場を利用するのではなく、この理念をテコにして「原子力ムラ」の中から情報をどんどん引き出し、それに基づいて議論をするということができれば、今後の原子力政策を考える一助となるだろう。
そのためにも、単なる会議の「公開」にとどまらず、政治的・法的・制度的に情報の「公開」を保証し、建設的な議論ができる場を設けるのが政治の責任といえよう。そうしたことなしに素人である政治家が「政治的判断」を振りかざして原発再稼働に向かっていくことは最も望ましいことではない。
【追記】
敢えて本文では書かなかったが、この記事を書く動機は、民間事故調での検証作業で、保安院も東電も積極的に情報を提供してこなかったことが背景にある。本来ならば「公開」の原則に基づいて情報提供をするのが筋であり、また、事故を起こした当事者として、検証される立場としての責任であり、将来に向けての原子力安全を考えるための貢献という意識が全く見られなかったのはなぜか、という疑問から出発したため、ストレステストや安全規制の問題よりも、「公開」の問題について書いてみた。ご理解いただければ幸いである。
東日本大震災を受けて、世の中が大きく変わっていく中で、日々のニュースに触れて、いろいろと考えなければならないテーマが出てきました。商業的な出版や学術的な論文の執筆にまでは至らないものの、これからの世の中をどう見ていけばよいのかということを社会科学者として見つめ、分析し、何らかの形で伝達したいという思いで書いています。アイディアだけのものもあるでしょうし、十分に練られていない文章も数多くあると思いますが、いろいろなご批判を受けながら、自分の考えを整理し、練り上げられれば、と考えています。コメントなど大歓迎ですが、基本的に自分のアイディアメモのような位置づけのブログですので、多少のいい加減さはご寛容ください。
2012年3月23日金曜日
2012年3月7日水曜日
私にとっての民間事故調
さて、先ほどのブログ記事の続きだが、私が民間事故調をお手伝いするところから、説明をしていきたい。なお、ここに書くことはあくまでも私の体験を基にした記述であり、財団法人日本再建イニシアチブ(財団)および福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の記述ではないことをあらかじめ断っておく。
【なぜ私が関わることになったのか】
最初に話をもらったのは、正確に記憶していないが昨年夏の初めのころだった。畏友である一橋大学の秋山さんに「今度、福島原発事故の調査をすることになった。ついては鈴木さんにも手伝ってほしい」という話をいただいた。その時は、具体的にどのような調査となるのか、どのようなメンバーで行うのか、といった具体的なことは決まっていなかった。しかし、先ほどのブログ記事にも書いたように、自分に何ができるのか、科学技術政策を研究対象とする研究者として何をすべきかを考え、お誘いに乗ることにした。
私に声がかかったのは、秋山さんの知り合いだったからということもあると思うが、「原子力業界とはしがらみがない」人間で、経産省や文科省が行う科学技術政策が理解できる、という点にあったと思う。しばしば民間事故調の批判として、「誰が関与しているかわからない」とか「しがらみがない、というがそれは本当か?」といったものがあるが、少なくとも私に関しては、これまで原子力政策に直接かかわったことはなく、メーカーや電気事業者といった原子力業界とも全く縁がなかった。その意味で、全くしがらみがなかったことは胸を張って言える。
逆に、「しがらみがない」人であり、かつ、きちんとした調査ができて報告書が書ける人となると、なかなか適切な人材を見つけることが難しい。それでもワーキンググループに集まった仲間は、各方面で活躍し、本当に優れた能力を持つ人たちだった。実質的に半年しか時間がない中で、厳しい要求に応じながら、重要なインタビュー資料や外国での調査、資料の発掘など、それぞれが得意とするところをいかんなく発揮して調査を進めていた。何よりもすごいのは、多くの仲間が原子力に直接かかわらない分野から集まった人たちであり、みんな猛勉強をしてこの報告書を完成させることに力を注いだことである。実情を多少なりとも知る立場からすると「しがらみがない、なんて嘘だ」とか「この検証委員会は何らかのイデオロギーをもってやっている」といった根拠のない批判を受けると、ちょっと悲しくなる。できることなら、ワーキンググループの仲間たちで朝から晩までかわした議論を見てほしいくらいだ。
【ブレインストーミング】
最初に集まったのは、私の手帳によれば7月15日であった。この時は、まだ財団も発足しておらず、旅費も自腹で集まった。そこにはプログラム・ディレクターとなる船橋さん、秋山さんのほか、数名がいて、実質的に最初の会合であったと思う。とにかく最初から手さぐりで調査の仕方、論点の設定、報告書の性格付けなどを自由に議論した。この時、私が意識したのは、政府事故調での調査との関係であった(当時、国会事故調は存在していなかった)。
私は、政府事故調は政府の内部資料や東電に対しても強制的に証言を取ることはできるが、民間事故調にはそれは難しいと思われた(実際、東電は対応せず、保安院も協力的とは言えなかった)。そのため、政府事故調と同じことをやっても、あまり意味はないと思っていた。しかし、メンバーの中からは政府事故調の報告書を検証することを目的とし、同じような調査をする方が良いのではないかという意見もあった。
最終的に、民間事故調としては、単なるサイトで起こった出来事の検証をするのではなく、官邸での対応、福島県や自衛隊などの対応、諸外国の対応(とりわけ日米協力の問題)、そして歴史的・構造的な要因の分析など、幅広く問題を設定し、調査の幅を広げることで、政府事故調がカバーしないことに踏み込んだ調査をするという方向性が固まっていった。のちに政府事故調の中間報告が出たとき、かなりサイトでの出来事に焦点が当たった中間報告になっていたのを見て、当時想定していたことが大きく間違っていなかったことが確認できた。
ただ、ここでの議論はあくまでもブレインストーミングに過ぎず、正式な調査は財団が発足した後、有識者委員会が組織され、有識者委員会での議論と最終的な方向性の決定まで実質的な調査を進めることはできず、その間はワーキンググループのメンバー集めなどが進められていた。
【二週間に一回の会合】
本格的な調査が始まったのは財団の発足に伴い、具体的な調査の論点が定まった秋口からであった。その間、二週間に一回、東京に集まって会議をするのは北海道に住んでいる身からすればかなり大変であった。実際、多くのインタビューは東京で行われ、インタビューの対象者も東京にいることが多いため、すべてのインタビューやラウンドテーブルに出席することができず、忸怩たる思いをしたこともある。しかし、私は第3部である歴史的・構造的要因のパートリーダーの役目と、のちに第8章となる安全規制ガバナンスのところだったため、インタビューをベースとする必要が必ずしもなかったこと、また、同じ章を担当してくれるジャーナリストの仲間がインタビューを手伝ってくれるということで、かなり負担は減ることになった。
しかし、それにしても多くの方がインタビューに答えてくれ、また、歴史に証言を残そうという意識が見られたのはとてもうれしいことであった。もちろん、人によっては自分の責任ではないことを強調し、また人によっては事故を起こしたことよりも、必死になって事故の対処を頑張ったことを強調する人もいた。
私が出られないインタビューやラウンドテーブルに関しても、財団のスタッフがテープ起こしをしたり、音声ファイルを共有するなどして、できるだけワーキンググループメンバーが情報を共有し、理解を共有するように努めてくれた。おかげで遠くにいても、ともに仕事をする上では大きな支障はなかった。
【報告書の作成】
調査をしている段階は新たな発見や、これまでの報道には出てこなかったこと等、様々な驚きがあり、社会科学者としては大変興味深いことばかりで、仕事はとても楽しかった。民間事故調が明らかにしたことの一つは「最悪シナリオ」の存在であり、また、官邸内部での詳細なやり取りなど、メディアで報道されたものに限らず、かなり多くのことが明らかになったと思う。
(なお、メディアが報じた民間事故調報告書の解釈に対して、インタビューに応じてくれた下村内閣広報審議官が、メディアによる報告書の取り上げ方に違和感を持たれていて、それをツイッターで補足説明されていますので紹介しておきます。一橋大の秋山さんのツイートと一緒にまとめてあります。http://togetter.com/li/267010)
ただ、報告書を作成する段階になると、本当に大変だった。プログラム・ディレクターの船橋さんがジャーナリスト出身であるということにも関係するのかもしれないが、とにかく仕事の進め方が大学の研究者が本や原稿を書くというテンポとはまるで違うものだったので、細切れに来る締め切りや、そのたびに原稿をレビューし、ワーキンググループで文章を揉み、たとえば「安全神話」という言葉一つを巡って延々と議論を続けるなど、非常に刺激的で、かつ、負荷の大きい仕事であった。
その間、私や他の仲間も自分の仕事を抱え、本務をやりながらこの報告書を作ったことは奇跡に近いのではないかと思うくらいである。ただ、それだけ大変であっても、本務を別に抱える我々が執筆作業にかかわったことは非常に重要だと思う。つまり、我々の生業は別なところにあり、財団(やそのスポンサー)に依存していないからである。実際、調査にかかる費用(に加えて私の場合は北海道からの旅費)は出たが、それで生活できるわけがなく、その意味では、この民間事故調のワーキンググループは財団に雇われたわけでもなく、福島原発事故の真相を究明しようとする仲間の思いで成り立ってきたことは自信を持って言える。
【有識者委員会とワーキンググループ】
報告書の調査、執筆に関しては、ワーキンググループが中心になって行ったが、それだけで報告書が出来上がったわけではない。その上に北澤宏一委員長率いる有識者委員会がある。先ほど、細切れの締め切りという話をしたが、二週間に一度のペースで締め切りがやってくるのは、そのたびに進捗状況を有識者委員会に報告し、議論をしていただき、そのコメントや方向性を報告書に反映するためであった。通常、こうした有識者委員会は「よきに計らえ」といったスタイルで実質的な介入を避けることが多いが、このプロジェクトの有識者委員会は非常に熱心にドラフトを読み、詳細なコメントをするだけでなく、報告書全体の章構成やメッセージのところについても多くのコメントをしていただいた。
特に私がパートリーダーを務めた第3部は、「安全神話」「国策民営」「原子力ムラ」といった批判を受けやすい概念を多用し、その定義や解釈については何度もコメントをいただき、それに対してこちらの意見も出させてもらった。大変有意義な議論だったと思う。これまでジャーナリスティックに使われていた言葉を、報告書に耐えられるだけの概念に仕上げていくという作業はことのほか大変であった。実際、それが公の批判に耐えられるだけのものになったかどうかはわからないが、かなり努力をしたつもりではある。それは実際に報告書を読んでいただき、ご評価、ご批判をいただきたいと思う。
【報告書の公表について】
報告書が2月28日に公表された段階では、私の知る限り、公表の方法についての最終的な判断はなされていなかった。その前から市販するということは交渉していたようであるが、条件が合わず、交渉は成立しなかったらしい。ただ、報告書に対する関心が非常に強く、私も2月28日の記者会見の場に顔を出したが、予想をはるかに上回る関心が寄せられていることに驚いた。
しかし、ここからがすごかった。財団のスタッフが必死になって出版社との交渉をまとめ、2月29日の段階で市販する出版社との合意を取り付け、3月11日の出版が実現することとなった。
この点に関して、無料で公開するべき、PDFにして誰でも読めるようにするべき、という意見が多数寄せられている。最終的に市販にするという判断は有識者委員会や財団で決めているものであり、ワーキンググループにはその決定権はない。ただ、我々のワーキンググループの中でも無料・有料の公開方法を巡る議論はあった。
これまで政府事故調の中間報告も東電の事故調の中間報告もウェブ上に無料で掲載されており、誰でもアクセスできるようになっている。しかし、民間事故調はそうした組織に属しているわけでもなく、故に調査や報告書の作成の費用も、すべて財団の負担で行っている。どの組織にも属さず、寄付だけで成り立っている民間事故調としては、報告書の印刷、配布に係る実費を徴収するのは、筋の悪い話ではないと思う。
ウェブの世界は確かに無料でオープンにアクセスできることが魅力であるが、それには、その報告書(ないしはウェブ上のプロダクト)の背後にあるコストや負担を無料で提供するということにも限界がある。とりわけ、寄付のみに基づき、しがらみのない調査をすることを第一の目的に掲げる民間事故調としては、他の政府事故調や国会事故調のようにコストを負担する仕組みがない。
確かに一冊1575円の本がいくら売れたといってもその収入はたかが知れている。また、財団としては印税を放棄し、出版社がこの報告書をプロモートするための資金として印税分をプールして使うということになっていると聞いている。なので、あくまでもこの報告書を市販するのは、報告書を印刷し、頒布するコストを埋め合わせるものである。
また、PDFではなく、書籍の形態で残すというのも意味があると考えている。書籍であれば、図書館にも入り、永続的に保存されることが確実となるが、この財団が今後どうなるかは私にはわからず、永続的にサーバを管理する、PDFを公開しつづけられるかどうかがわからないからである。政府や国会のような組織の下にある事故調であれば、そうした永続性を前提にPDFで公開することはできるだろうが、民間事故調はあくまでも今回の調査をするための組織であり、財団も、元々福島原発事故の調査をやることをミッションとして立ち上げられていると理解している(それは財団のトップページhttp://rebuildjpn.org/を見ても明らかだろう)。そうなると、報告書を残すというためには、書籍の形が望ましいと考えられる。
このブログの最初で述べたが、この見解はあくまでも私個人の見解であり、財団や民間事故調の意見ではない。私も最初は無料のPDFでの公開を想定していたが、財団スタッフやワーキンググループメンバーとの議論をしていく中で、上記のような見解に至ったことをやや詳しく書かせていただいた。
【最後に】
この報告書の公表をもって、民間事故調の活動はいったん終了することになるが、この事故調に関わり、一定の責任をもってワーキンググループに参加し、最終的な文責(Authorship)は有識者委員会にあるとしても、やはりこれにかかわった者としての責任はこれからもずっと残るものと考えている。
政府は事故収束宣言を出し、電力事情から原発の再稼働を進めようとする動きも始まっている。一応、形式的にはストレステストを行い、地震に対する裕度を見て判断するといった方向性が打ち出されているが、この報告書でも指摘しているように、事故の原因は地震に対する耐性にあるわけではないにもかかわらず、耐震裕度だけでストレステストを行っている点についてはどうしても合点がいかない。
私が担当した第3部でのメッセージは、事故の背景には「安全神話」に基づく安全規制ガバナンスの未熟さがあり、「国策民営」という制度に埋め込まれた無責任体制であり、「二元推進・二元審査体制」という複雑で機能しない政府の仕組みであり、「深層防護」という考え方が徹底しておらず、津波やその他の事象に対する「備え」ができていなかったことであり、「原子力ムラ」という利益共同体に対する建設的批判ができないような状況・文化の問題があった、ということである(もちろんこれだけに限らない)。
確かに発災後、電源車を増やすなど、小手先の対策は取られてきたが、それは根本的問題に一切踏み込まない対策であり、また、4月から原子力規制庁ができるが、それとて、これまでの安全規制ガバナンスの最大の弱点であった事業者との技術力の格差を埋めることにはつながらない。このような状況を改善することなく、そのまま再稼働に向かおうとしている神経は理解できない。
本来ならば、政府も東電も真摯に自らを振り返り、過ちの元がどこにあったのか、何をすれば安全に原発を動かすことができるかを真剣に考える必要がある。民間事故調の報告書では津波による全電源喪失を一つの原因としながらも、それだけが問題ではない、ということを検証し、提言している。本来ならば、この程度のことは民間事故調で作業をした我々よりも、はるかにリソースを持ち、はるかに多くの人数をかけ、はるかに情報量の多い政府や東電が自ら調査し、結論を出すべきなのである。それにもかかわらず、政府事故調も最終報告は夏までかかるとしているし、国会事故調についてもいつ報告書が出るかはわからない状態である。東電に至っては自らの責任を十分に認識しない中間報告しか出していないし、保安院にしても、自らの対応を、その組織文化に至るまで振り返って反省しようとしていない。
このような中で、民間事故調が報告書を出し、問題の根源を直接的な原因だけでなく、中間因・遠因に至るまでカバーし分析したことの意義は、手前味噌だが、大きいと思う。確かに、突貫工事でやった仕事であるだけに、十分カバーできていないこともあるし、東電や保安院をはじめ、十分に資料を発掘して、徹底した調査ができたわけでもない。それらについての批判は甘んじて受けるしかない。また、「お前のような原子力の専門家ではない人間がやった調査など無意味だ」と言われれば、それは「しがらみのない」調査検証をするための代償として考えるしかない。とはいえ、専門家が見ても十分批判に耐えられる検証はしてきたと自負しているが。
しかし、この民間事故調の報告書を作り、日本の原子力行政のあり方に一石を投じ、二度と同じような過ちを犯さないようにするためにはどうすればよいのか、ということを真剣に考え、議論し、厳しい日程と条件の中で報告書を書き上げた仲間たちの思いは、どうかきちんと受け止めてほしい。そして、この報告書が、これまで「安全神話」を作り、またそれを受け入れ、そして原子力の安全に十分な努力を払ってこなかったすべての人たちに届き、二度と同じ過ちを繰り返さないためにどうすればよいのかを考えるきっかけになってもらえば、報告書に一端の責任を持つ者として、これ以上望むことはない。
【なぜ私が関わることになったのか】
最初に話をもらったのは、正確に記憶していないが昨年夏の初めのころだった。畏友である一橋大学の秋山さんに「今度、福島原発事故の調査をすることになった。ついては鈴木さんにも手伝ってほしい」という話をいただいた。その時は、具体的にどのような調査となるのか、どのようなメンバーで行うのか、といった具体的なことは決まっていなかった。しかし、先ほどのブログ記事にも書いたように、自分に何ができるのか、科学技術政策を研究対象とする研究者として何をすべきかを考え、お誘いに乗ることにした。
私に声がかかったのは、秋山さんの知り合いだったからということもあると思うが、「原子力業界とはしがらみがない」人間で、経産省や文科省が行う科学技術政策が理解できる、という点にあったと思う。しばしば民間事故調の批判として、「誰が関与しているかわからない」とか「しがらみがない、というがそれは本当か?」といったものがあるが、少なくとも私に関しては、これまで原子力政策に直接かかわったことはなく、メーカーや電気事業者といった原子力業界とも全く縁がなかった。その意味で、全くしがらみがなかったことは胸を張って言える。
逆に、「しがらみがない」人であり、かつ、きちんとした調査ができて報告書が書ける人となると、なかなか適切な人材を見つけることが難しい。それでもワーキンググループに集まった仲間は、各方面で活躍し、本当に優れた能力を持つ人たちだった。実質的に半年しか時間がない中で、厳しい要求に応じながら、重要なインタビュー資料や外国での調査、資料の発掘など、それぞれが得意とするところをいかんなく発揮して調査を進めていた。何よりもすごいのは、多くの仲間が原子力に直接かかわらない分野から集まった人たちであり、みんな猛勉強をしてこの報告書を完成させることに力を注いだことである。実情を多少なりとも知る立場からすると「しがらみがない、なんて嘘だ」とか「この検証委員会は何らかのイデオロギーをもってやっている」といった根拠のない批判を受けると、ちょっと悲しくなる。できることなら、ワーキンググループの仲間たちで朝から晩までかわした議論を見てほしいくらいだ。
【ブレインストーミング】
最初に集まったのは、私の手帳によれば7月15日であった。この時は、まだ財団も発足しておらず、旅費も自腹で集まった。そこにはプログラム・ディレクターとなる船橋さん、秋山さんのほか、数名がいて、実質的に最初の会合であったと思う。とにかく最初から手さぐりで調査の仕方、論点の設定、報告書の性格付けなどを自由に議論した。この時、私が意識したのは、政府事故調での調査との関係であった(当時、国会事故調は存在していなかった)。
私は、政府事故調は政府の内部資料や東電に対しても強制的に証言を取ることはできるが、民間事故調にはそれは難しいと思われた(実際、東電は対応せず、保安院も協力的とは言えなかった)。そのため、政府事故調と同じことをやっても、あまり意味はないと思っていた。しかし、メンバーの中からは政府事故調の報告書を検証することを目的とし、同じような調査をする方が良いのではないかという意見もあった。
最終的に、民間事故調としては、単なるサイトで起こった出来事の検証をするのではなく、官邸での対応、福島県や自衛隊などの対応、諸外国の対応(とりわけ日米協力の問題)、そして歴史的・構造的な要因の分析など、幅広く問題を設定し、調査の幅を広げることで、政府事故調がカバーしないことに踏み込んだ調査をするという方向性が固まっていった。のちに政府事故調の中間報告が出たとき、かなりサイトでの出来事に焦点が当たった中間報告になっていたのを見て、当時想定していたことが大きく間違っていなかったことが確認できた。
ただ、ここでの議論はあくまでもブレインストーミングに過ぎず、正式な調査は財団が発足した後、有識者委員会が組織され、有識者委員会での議論と最終的な方向性の決定まで実質的な調査を進めることはできず、その間はワーキンググループのメンバー集めなどが進められていた。
【二週間に一回の会合】
本格的な調査が始まったのは財団の発足に伴い、具体的な調査の論点が定まった秋口からであった。その間、二週間に一回、東京に集まって会議をするのは北海道に住んでいる身からすればかなり大変であった。実際、多くのインタビューは東京で行われ、インタビューの対象者も東京にいることが多いため、すべてのインタビューやラウンドテーブルに出席することができず、忸怩たる思いをしたこともある。しかし、私は第3部である歴史的・構造的要因のパートリーダーの役目と、のちに第8章となる安全規制ガバナンスのところだったため、インタビューをベースとする必要が必ずしもなかったこと、また、同じ章を担当してくれるジャーナリストの仲間がインタビューを手伝ってくれるということで、かなり負担は減ることになった。
しかし、それにしても多くの方がインタビューに答えてくれ、また、歴史に証言を残そうという意識が見られたのはとてもうれしいことであった。もちろん、人によっては自分の責任ではないことを強調し、また人によっては事故を起こしたことよりも、必死になって事故の対処を頑張ったことを強調する人もいた。
私が出られないインタビューやラウンドテーブルに関しても、財団のスタッフがテープ起こしをしたり、音声ファイルを共有するなどして、できるだけワーキンググループメンバーが情報を共有し、理解を共有するように努めてくれた。おかげで遠くにいても、ともに仕事をする上では大きな支障はなかった。
【報告書の作成】
調査をしている段階は新たな発見や、これまでの報道には出てこなかったこと等、様々な驚きがあり、社会科学者としては大変興味深いことばかりで、仕事はとても楽しかった。民間事故調が明らかにしたことの一つは「最悪シナリオ」の存在であり、また、官邸内部での詳細なやり取りなど、メディアで報道されたものに限らず、かなり多くのことが明らかになったと思う。
(なお、メディアが報じた民間事故調報告書の解釈に対して、インタビューに応じてくれた下村内閣広報審議官が、メディアによる報告書の取り上げ方に違和感を持たれていて、それをツイッターで補足説明されていますので紹介しておきます。一橋大の秋山さんのツイートと一緒にまとめてあります。http://togetter.com/li/267010)
ただ、報告書を作成する段階になると、本当に大変だった。プログラム・ディレクターの船橋さんがジャーナリスト出身であるということにも関係するのかもしれないが、とにかく仕事の進め方が大学の研究者が本や原稿を書くというテンポとはまるで違うものだったので、細切れに来る締め切りや、そのたびに原稿をレビューし、ワーキンググループで文章を揉み、たとえば「安全神話」という言葉一つを巡って延々と議論を続けるなど、非常に刺激的で、かつ、負荷の大きい仕事であった。
その間、私や他の仲間も自分の仕事を抱え、本務をやりながらこの報告書を作ったことは奇跡に近いのではないかと思うくらいである。ただ、それだけ大変であっても、本務を別に抱える我々が執筆作業にかかわったことは非常に重要だと思う。つまり、我々の生業は別なところにあり、財団(やそのスポンサー)に依存していないからである。実際、調査にかかる費用(に加えて私の場合は北海道からの旅費)は出たが、それで生活できるわけがなく、その意味では、この民間事故調のワーキンググループは財団に雇われたわけでもなく、福島原発事故の真相を究明しようとする仲間の思いで成り立ってきたことは自信を持って言える。
【有識者委員会とワーキンググループ】
報告書の調査、執筆に関しては、ワーキンググループが中心になって行ったが、それだけで報告書が出来上がったわけではない。その上に北澤宏一委員長率いる有識者委員会がある。先ほど、細切れの締め切りという話をしたが、二週間に一度のペースで締め切りがやってくるのは、そのたびに進捗状況を有識者委員会に報告し、議論をしていただき、そのコメントや方向性を報告書に反映するためであった。通常、こうした有識者委員会は「よきに計らえ」といったスタイルで実質的な介入を避けることが多いが、このプロジェクトの有識者委員会は非常に熱心にドラフトを読み、詳細なコメントをするだけでなく、報告書全体の章構成やメッセージのところについても多くのコメントをしていただいた。
特に私がパートリーダーを務めた第3部は、「安全神話」「国策民営」「原子力ムラ」といった批判を受けやすい概念を多用し、その定義や解釈については何度もコメントをいただき、それに対してこちらの意見も出させてもらった。大変有意義な議論だったと思う。これまでジャーナリスティックに使われていた言葉を、報告書に耐えられるだけの概念に仕上げていくという作業はことのほか大変であった。実際、それが公の批判に耐えられるだけのものになったかどうかはわからないが、かなり努力をしたつもりではある。それは実際に報告書を読んでいただき、ご評価、ご批判をいただきたいと思う。
【報告書の公表について】
報告書が2月28日に公表された段階では、私の知る限り、公表の方法についての最終的な判断はなされていなかった。その前から市販するということは交渉していたようであるが、条件が合わず、交渉は成立しなかったらしい。ただ、報告書に対する関心が非常に強く、私も2月28日の記者会見の場に顔を出したが、予想をはるかに上回る関心が寄せられていることに驚いた。
しかし、ここからがすごかった。財団のスタッフが必死になって出版社との交渉をまとめ、2月29日の段階で市販する出版社との合意を取り付け、3月11日の出版が実現することとなった。
この点に関して、無料で公開するべき、PDFにして誰でも読めるようにするべき、という意見が多数寄せられている。最終的に市販にするという判断は有識者委員会や財団で決めているものであり、ワーキンググループにはその決定権はない。ただ、我々のワーキンググループの中でも無料・有料の公開方法を巡る議論はあった。
これまで政府事故調の中間報告も東電の事故調の中間報告もウェブ上に無料で掲載されており、誰でもアクセスできるようになっている。しかし、民間事故調はそうした組織に属しているわけでもなく、故に調査や報告書の作成の費用も、すべて財団の負担で行っている。どの組織にも属さず、寄付だけで成り立っている民間事故調としては、報告書の印刷、配布に係る実費を徴収するのは、筋の悪い話ではないと思う。
ウェブの世界は確かに無料でオープンにアクセスできることが魅力であるが、それには、その報告書(ないしはウェブ上のプロダクト)の背後にあるコストや負担を無料で提供するということにも限界がある。とりわけ、寄付のみに基づき、しがらみのない調査をすることを第一の目的に掲げる民間事故調としては、他の政府事故調や国会事故調のようにコストを負担する仕組みがない。
確かに一冊1575円の本がいくら売れたといってもその収入はたかが知れている。また、財団としては印税を放棄し、出版社がこの報告書をプロモートするための資金として印税分をプールして使うということになっていると聞いている。なので、あくまでもこの報告書を市販するのは、報告書を印刷し、頒布するコストを埋め合わせるものである。
また、PDFではなく、書籍の形態で残すというのも意味があると考えている。書籍であれば、図書館にも入り、永続的に保存されることが確実となるが、この財団が今後どうなるかは私にはわからず、永続的にサーバを管理する、PDFを公開しつづけられるかどうかがわからないからである。政府や国会のような組織の下にある事故調であれば、そうした永続性を前提にPDFで公開することはできるだろうが、民間事故調はあくまでも今回の調査をするための組織であり、財団も、元々福島原発事故の調査をやることをミッションとして立ち上げられていると理解している(それは財団のトップページhttp://rebuildjpn.org/を見ても明らかだろう)。そうなると、報告書を残すというためには、書籍の形が望ましいと考えられる。
このブログの最初で述べたが、この見解はあくまでも私個人の見解であり、財団や民間事故調の意見ではない。私も最初は無料のPDFでの公開を想定していたが、財団スタッフやワーキンググループメンバーとの議論をしていく中で、上記のような見解に至ったことをやや詳しく書かせていただいた。
【最後に】
この報告書の公表をもって、民間事故調の活動はいったん終了することになるが、この事故調に関わり、一定の責任をもってワーキンググループに参加し、最終的な文責(Authorship)は有識者委員会にあるとしても、やはりこれにかかわった者としての責任はこれからもずっと残るものと考えている。
政府は事故収束宣言を出し、電力事情から原発の再稼働を進めようとする動きも始まっている。一応、形式的にはストレステストを行い、地震に対する裕度を見て判断するといった方向性が打ち出されているが、この報告書でも指摘しているように、事故の原因は地震に対する耐性にあるわけではないにもかかわらず、耐震裕度だけでストレステストを行っている点についてはどうしても合点がいかない。
私が担当した第3部でのメッセージは、事故の背景には「安全神話」に基づく安全規制ガバナンスの未熟さがあり、「国策民営」という制度に埋め込まれた無責任体制であり、「二元推進・二元審査体制」という複雑で機能しない政府の仕組みであり、「深層防護」という考え方が徹底しておらず、津波やその他の事象に対する「備え」ができていなかったことであり、「原子力ムラ」という利益共同体に対する建設的批判ができないような状況・文化の問題があった、ということである(もちろんこれだけに限らない)。
確かに発災後、電源車を増やすなど、小手先の対策は取られてきたが、それは根本的問題に一切踏み込まない対策であり、また、4月から原子力規制庁ができるが、それとて、これまでの安全規制ガバナンスの最大の弱点であった事業者との技術力の格差を埋めることにはつながらない。このような状況を改善することなく、そのまま再稼働に向かおうとしている神経は理解できない。
本来ならば、政府も東電も真摯に自らを振り返り、過ちの元がどこにあったのか、何をすれば安全に原発を動かすことができるかを真剣に考える必要がある。民間事故調の報告書では津波による全電源喪失を一つの原因としながらも、それだけが問題ではない、ということを検証し、提言している。本来ならば、この程度のことは民間事故調で作業をした我々よりも、はるかにリソースを持ち、はるかに多くの人数をかけ、はるかに情報量の多い政府や東電が自ら調査し、結論を出すべきなのである。それにもかかわらず、政府事故調も最終報告は夏までかかるとしているし、国会事故調についてもいつ報告書が出るかはわからない状態である。東電に至っては自らの責任を十分に認識しない中間報告しか出していないし、保安院にしても、自らの対応を、その組織文化に至るまで振り返って反省しようとしていない。
このような中で、民間事故調が報告書を出し、問題の根源を直接的な原因だけでなく、中間因・遠因に至るまでカバーし分析したことの意義は、手前味噌だが、大きいと思う。確かに、突貫工事でやった仕事であるだけに、十分カバーできていないこともあるし、東電や保安院をはじめ、十分に資料を発掘して、徹底した調査ができたわけでもない。それらについての批判は甘んじて受けるしかない。また、「お前のような原子力の専門家ではない人間がやった調査など無意味だ」と言われれば、それは「しがらみのない」調査検証をするための代償として考えるしかない。とはいえ、専門家が見ても十分批判に耐えられる検証はしてきたと自負しているが。
しかし、この民間事故調の報告書を作り、日本の原子力行政のあり方に一石を投じ、二度と同じような過ちを犯さないようにするためにはどうすればよいのか、ということを真剣に考え、議論し、厳しい日程と条件の中で報告書を書き上げた仲間たちの思いは、どうかきちんと受け止めてほしい。そして、この報告書が、これまで「安全神話」を作り、またそれを受け入れ、そして原子力の安全に十分な努力を払ってこなかったすべての人たちに届き、二度と同じ過ちを繰り返さないためにどうすればよいのかを考えるきっかけになってもらえば、報告書に一端の責任を持つ者として、これ以上望むことはない。
私にとっての3.11
あと数日で東日本大震災から一年。振り返れば、この一年は私にとっても大きな変化の年であった。中でも財団法人日本再建イニシアチブ(以下、財団)の福島原発事故独立検証委員会(以下、民間事故調)の作業部会(ワーキンググループ:WG)に参加したことは大きな変化であった。
ちょうど一週間前に民間事故調の報告書が公表され、メディアでも大きく取り上げられ、市販されることとなった報告書の予約注文も予想を超えるものとなっており、報告書の執筆にかかわったものとしてはうれしい限りだが、同時に様々な批判も寄せられている。
それらを踏まえて、私自身が何を考え、どのように民間事故調の調査にかかわったのかを記しておきたい。とりあえず、ここでは、一年前の3月11日から民間事故調のお誘いを受けるまでのところを記し、民間事故調に参加してからの分は別のブログ記事として書いておく。
【3月11日:その日】
ちょうど1年前の3月11日、私は国際問題研究所が主催するシンポジウムで報告するため、東京都内のホテルの会議場にいた。そのシンポジウムが始まってほどなく、あの大地震が建物を揺らした。さすがにホテルの地下の会議場であったため、被害らしいものはなかったが、ガラスが割れるなどの危険があるため、シンポジウムは私の出番が来る前に中止となり、その場で解散することとなった。
かなり堅牢な建物の地下にいたこともあり、地震の大きさを感じることはあっても、その被害がどの程度のものになるのかは予想がつかなかった。シンポジウムが中止になったため、時間を持て余した私を含む出席者は控室でインターネット経由での情報収集をしながら、呑気におしゃべりをしていた。発災直後はネット上に流れてくる情報も限られており、何が起こっているか、正確なところは理解できなかった。
その後、控室を出てみると、大勢の人がホテルのロビーに集まり、タクシー乗り場には長い列ができていた。鉄道も地下鉄もすべて止まっており、再開の見込みは立っていないということで、多くの人が車や徒歩で帰ろうとしていたが、ホテルにとどまる人も多かった。
この時、初めてテレビを見て、事態の深刻さに気が付いた。あまりのショックに1-2時間はテレビの前を離れることができなかった。人間の作った文明や技術をあざ笑うかのように津波がすべてを乗り越え、すべてを飲み込んでいった。私たちが呑気におしゃべりをしている間に世界が変わってしまったような気がした。
【阪神淡路大震災の経験】
震災の被害をテレビで見るにつれ、いやでも思い出されたのが阪神淡路大震災の記憶であった。私はあの時大学院生で、京都の公立高校で宿直のバイトをやっていたのだが、京都でも震度5であり、強烈な揺れを経験した。そのあと、テレビでゲームのスコアが上がっていくように死傷者の数が表示され、何もできない自分の無力さを感じていた。当時、友人も多く神戸周辺に住んでいたこともあり、発災から3日後には西宮北口まで鉄道が通るようになったので、京都から支援物資をもってボランティアらしきものをやっていた。あの時に見た、崩壊した建物やその下敷きになったご遺体のことが思い出され、胸が苦しくなった。阪神淡路大震災も、東日本大震災も、直接被害にあう場所にいたわけではないが、その揺れを感じ、恐怖と悲しみを想像できるくらいの距離にいたことになる。といっても、実際の被害にあった人達と比べられるわけもなく、その中途半端さがもやもやした気持ちを残すという点で、阪神淡路大震災と東日本大震災の経験が重なったというだけである。
【阪神淡路大震災の経験】
震災の被害をテレビで見るにつれ、いやでも思い出されたのが阪神淡路大震災の記憶であった。私はあの時大学院生で、京都の公立高校で宿直のバイトをやっていたのだが、京都でも震度5であり、強烈な揺れを経験した。そのあと、テレビでゲームのスコアが上がっていくように死傷者の数が表示され、何もできない自分の無力さを感じていた。当時、友人も多く神戸周辺に住んでいたこともあり、発災から3日後には西宮北口まで鉄道が通るようになったので、京都から支援物資をもってボランティアらしきものをやっていた。あの時に見た、崩壊した建物やその下敷きになったご遺体のことが思い出され、胸が苦しくなった。阪神淡路大震災も、東日本大震災も、直接被害にあう場所にいたわけではないが、その揺れを感じ、恐怖と悲しみを想像できるくらいの距離にいたことになる。といっても、実際の被害にあった人達と比べられるわけもなく、その中途半端さがもやもやした気持ちを残すという点で、阪神淡路大震災と東日本大震災の経験が重なったというだけである。
【3月12日:原発事故】
翌日の3月12日は東京大学での国際ワークショップの予定が入っていたが、あれだけの震災の後に開催されるかどうかわからなかった。それでもとりあえず行ってみると、外国からのゲストも来ており、ワークショップは開催されることとなった。しかし、朝から菅首相が福島第一原発に行くなど、原発の問題が抜き差しならない状況になっていると思い、ワークショップの最中もスマホをいじりながら限られた情報を得ようとしていた。しかし、首相が出ていくほどの事態であるにも関わらず、ほとんど情報が出てこないことにイライラしていた。そのワークショップが終わるころ、枝野官房長官による「爆発的事象」という記者会見があり、原発事故が深刻なものだという認識はあった。
しかし、私は原子力の専門でもなんでもなく、何が起こっているのかを理解することは難しかった。テレビに出てくる解説者や官邸、保安院、東電などの記者会見を見ていても、さっぱり要領を得なかった。明らかに危機時におけるコミュニケーションが破たんしていると感じざるを得なかった。
【翌週:パリ出張】
福島第一原発の1、3、4号機で水素爆発が起き、大量の放射性物質がまき散らされている中、3月17日からフランスに出張に行った。その出張中にフランス首相府での会議に招かれ報告をすることになっていたが、首相府の建物の中にあるモニターがすべてNHK Worldを流しており、外国でも福島原発事故に対する関心が強く、その行く末に注目していた。日本にいると、そんなことは感じなかったが、地震・津波だけならローカルな災害であっただろうが、原発事故はグローバルな災害であるということを強く認識した。
また、パリでは、原発の問題についてあれこれと聞かれることが多かった。これまで科学技術政策をやっているとは言っても、宇宙政策が中心であり、原子力については科技庁(文科省)と通産省(経産省)が絡む「Big Science」として比較できる対象であったので、その範囲で勉強はしてきたが、さすがに今回の事故がなぜ起こり、どうなっていくのかは見当がつかなかった。
【3月中に考えたこと】
そんな中で、仮にも科学技術政策を研究対象とし、日本の科学技術行政について批判的に考え、提言をするべき立場にある自分が、この原発事故について、全く何もやってこなかったこと、全く何も具体的な提案をしてきていないことを強く意識させられた。もちろん、私もスーパーマンではないので、あらゆることについて提言するわけでも、きちんと分析できるわけでもない。しかし、宇宙政策の問題に取り組んでいた時に感じた「当事者による利益共同体」、いわゆる「宇宙ムラ」のようなものは、原子力ではより強く存在し、「原子力ムラ」が成立していることは明らかであった。だとすれば、私が宇宙政策に取り組んだ時の経験、つまり、複雑で高度な技術分野であるがゆえに、技術者がヘゲモニーを握り、そこにメーカーや産業界、官僚機構が絡み合っている状況を分析し、理解してきたことは、この原発事故を分析する上でも役に立つのではないかと考えるようになった。
とはいえ、自分一人で何かをやりだすのは難しい。原子力関係の知人がいないわけではないが、彼らはすでに事故対応で手いっぱいである。自分で勉強することはある程度できても、それが具体的な問題設定となり、政策を変えていくところまでに昇華させるためには、技術的な問題や法制度的な問題を含め、多くの人との議論を重ね、「建設的批判」として認知される水準となる研究成果を出さなければならない。そのための手段もネットワークもない中で、たまたま声をかけられたのが、民間事故調での調査であった。(続く)
2012年3月2日金曜日
人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム二日目のメモ
昨日から続く「人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」のメモです。昨日のブログではきちんと説明していませんでしたが、私はこのシンポジウムの実行委員をやっているので、そのために取っているメモをツイッターでオンタイム・ブロードキャストしようと思っていたのですが、会場にwifiが飛んでいなかったので、こうやってまとめてメモにしています。
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二日目の最初のスピーカーは欧州宇宙機関(ESA)の宇宙監視及び追跡マネージャーのエメット・フレッチャー氏。ESAは設立当初からデブリの発生を避けるための規則を適用してきた。しかし、欧州の活動として注目するのは、EUが提案したCode of Conduct(CoC:「行動規範」)がある。これは現在、アメリカが提唱しているInternational Codeof Conduct(国際行動規範)の基礎となっている。欧州のレーダー、光学センサーは各国が整備したものであり、ESAとして持っているわけではない。そのため、ESAは2008年11月の閣僚理事会で汎欧州SSAプログラムを決定した。ここでは、欧州「独自(Independent)」のSSA能力を構築することが定められた。今年の11月により詳細なSSA戦略を採択するため、現在調整中。ESAはISO(国際標準化機関)、CCSDS、ECSSといった国際的、地域的団体を使って、センサーデータやカタログの標準化を進めようとしている。こうした動きとともにアメリカとの協力を進めている。Exchange of services, exchange of inputs, interoperabilityのルール作りを進めている。
(鈴木:SSAにおいても、ESAと加盟国の間の調整が難しく、加盟国が求めているものとESAが求めているものが異なる。それは軍と民が求めるものが違う、ということに起因す
る。また、欧州「独自」を強調するのも面白い。外国(特にアメリカ)の言うなりになるのではなく、自分たちで必要なデータを取得、分析できるようになったうえで、国際協力を行うという考え方に基づいている。)
(鈴木:ESAはISOなどを通じて、データの標準化を進めようとしており、アメリカに後れを取りながらも、この分野での国際協力枠組みのリーダーシップを握ろうとしている。技術や設備で優位に立つのではなく、ルールやスタンダードで優位に立とうとする姿勢は、私がこれまで論じてきた「規制帝国」の考え方と全く同じ。しかも、欧州域内での調整を進め、足元を固めてからアメリカと交渉するという、そつのなさを感じる。)
次のスピーカーはフランス国立宇宙研究センター(CNES)のフェルナン・アルビー氏。デブリの追跡に関しては欧州で一番の専門家。フランスは空軍がDetection(監視・発見)、CNESがPrediction(解析・予測)を行い、空軍と国防省がMeasurement(実測)を行う。CNESは軍とCivilianの両方の性格を持っているので軍民の協力はスムーズ。常に13-18の衛星を監視し、2011年には122のリスク件数があり、15件のデブリ回避行動がとられた。デブリ対策を今から始めたとしても、すでに軌道上に衛星があり、これらはきちんと対策が取られていない。ゆえに、デブリ低減の努力も10年間は古い衛星の面倒を見なければならない。
(鈴木:やはりリアルなニーズがあるところは、自らSSAをやる必要があると認識し、そのための投資と仕組みづくりをする。日本がこれまでSSAをやってこなかったのは、逆に言えば、宇宙にリアルなニーズを感じていなかった、ということだろう。)
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二日目午前の後半は日本のスピーカー。最初は日本宇宙フォーラムの吉冨さんとJAXAの成田さん。吉冨さんは日本宇宙フォーラムが持つデブリ観測施設の紹介。日本のレーダー観測施設は1350kmのレンジで1mの物体を認識できる設備。最初から高い水準の物ではなく、パイロットプロジェクトとして建設されたという経緯がある。
(鈴木:日本宇宙フォーラムは、このシンポジウムの主催者で吉冨さんは事務局長的な役割をしていて忙しいのに、スピーカーをやっているので大変そうだ。日本宇宙フォーラムはJAXA・文科省が所管する財団法人だが、この日本宇宙フォーラムの下に日本スペースガード財団という組織があり、ここが上齋ヶ原のレーダー観測施設、美星の光学観測施設を運営している。元々は地球近傍の小惑星などを観測することが目的であり、最初のパイロットプロジェクトとして導入されたため、観測精度は低く、SSAの能力としては低い。施設を紹介するときに、ちょっと悲しいのは、常に「予算の関係で」と言い訳しなければいけないこと。それにしても「スペースガード」という仰々しい名前にしては施設がしょぼい。)
成田さんはJAXAのSSA活動の紹介。日本から観測できるのは東経68度から200度まで。500程度のデブリを定期的に観測できている。JAXAのデブリ分析は、JAXAが運用している衛星を基準に、その衛星に近づくデブリを観測するという方法で整理している。アメリカがやっているようなモデルを構築して分析するということではない。各国のデブリ監視の担当者とデータを交換して、データの確認をしている。衛星を基準にみているので、デブリがどう動いているかが見えておらず、その分析ができないことが課題。2011年は100回のアラートが出て、30回くらいの接近があり、2回デブリ回避の運用を行った。JAXAは独自のデブリ低減ガイドラインをもち、国際的なガイドラインと合わせて運用している。
(鈴木:日本の場合、やはりSSA能力が限られているため、自分たちが軌道を知っている衛星に焦点を当てて、その近傍のデブリを見ているので、どうしても国際的なコンテキストからは外れている印象がぬぐえない。自分のことだけをやるというのは最低限のことだが、それ以上のことが求められているのが現状なので、それにどう対応していくのか、ということがこれからの課題だろう。)
スカパーJSATの篠塚さん:数年前からCSM(Conjunction Summary Message)データを受けるようになり、年に3-4件のアラートを受けることになったので驚いている。放送通信衛星は静止軌道に位置しているので、デブリの心配はないと考えていたが、アラートを受けているので、認識を変えているところ。スカパーJSATは15機の衛星を運用している。静止軌道は抵抗がないため、デブリが発生するとそれが自然落下していかないので、デブリが生まれると軌道が「汚染される」。CSMは46の連絡があり、そのうち12は管理された物体。34の連絡がある(複数衛星を運用しているので、同じデブリで複数の通報が来る)。きちんとDeorbit(軌道離脱)をせず、ドリフトしている衛星がデブリとして接近してくるケースが多い。無責任に運用を終了した衛星があると、繰り返しその衛星に悩まされることになる。静止軌道は軌道位置(経度上の位置)によってデブリのリスクが変わってくる。また、ロケットの残骸などは楕円軌道を描いて動くため、比較的短い周期(数時間単位)で静止軌道に接近してくる。高い頻度で接近してくるため、リスクの高いデブリの場合、運用が難しくなる。民間企業であるスカパーJSATが他の国の軍事衛星と運用上の問題が発生した場合、政府(総務省・外務省)を経由して調整しようとしたが、軍が相手の場合、きちんと対話することが難しく、運用を調整する仕組みが存在していない。静止軌道も軌道修正する必要があるため、東西軌道制御をするスケジュールをずらすことで、物体の接近を回避することができる。その意味で、きちんと情報が集まっていれば、負担を大きくすることなくデブリ回避をすることができる。
(鈴木:静止軌道のデブリ回避問題については、あまり事例がないため、なかなか面白い報告であった。静止軌道の問題は、数年前に起こったIntelsatの衛星がコントロールを失った件があるが、この事件をきっかけに静止軌道での民間企業の情報共有が進んでいる。スカパーJSATもきっとこれがきっかけでCSMを受け取ることになったものと思われる。いずれにしても静止軌道でもデブリが問題になっているというのは大変興味深い。特にこの軌道は民間企業が多いので、グローバルなガバナンスにおける官民協力が不可欠なだけに、新しいガバナンスの仕組みが生まれてくるのかもしれない。)
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二日目の午後はIAASS(国際宇宙安全推進協会)のアレックス・スーンス氏。1996年から2006年までのデブリ発生の傾向は、それ以前に比べ、非常に落ち着いてきたのに、2007年の中国による衛星破壊実験および2009年のコスモスとイリジウムの衝突によって急激にデブリが増加した。デブリが増えるとケスラー・シンドロームというデブリが他の衛星やデブリにぶつかってどんどん数が増えていく現象が起き、そのため近年に入ってデブリの衝突や衛星同士の衝突が増えてきている。低軌道には2600の使われていない衛星が存在しており、衝突のリスクは大きい。小さなデブリの除去はコストと効果のバランスが悪い。除去するなら大きなデブリを中心とすべきだ。ランデブー技術はすでにあるので、デブリ除去は技術的に可能。しかし、デブリを除去しようとして動かすことで、他の衛星にぶつかる可能性もあり、デブリ除去がデブリを増やすという皮肉な結果をもたらす可能性もある。「何がデブリなのか」という定義も難しく、またそのデブリの所有権を持つ国が「デブリでない」と責任を逃れるために言い続ければ、デブリとして処理することが難しくなる。デブリを作り出した国が責任を持つ、という形にすれば、当然、こうした問題は起こってくる。また、打ち上げ国、宇宙物体として登録した国、衛星の運用国が違う場合などは、誰が責任を持つのかという条約上の問題も出てくる。
(鈴木:デブリ除去は、活動中の衛星を無力化する技術でもあるため、それを法的、政治的に制御するのは難しい、という点が十分議論されていなかったような気がする。本質的な問題はそこにあるのに・・・)
(鈴木:IAASSは宇宙空間の安全確保や持続的利用について活動している民間団体で、宇宙デブリ問題については長らく取り組んできた組織です。ここでは、デブリ除去技術の研究や法的・経済的・政治的側面の低減をしています。)
(鈴木:本来20分の割り当てで、スタッフが時間が終わったとサインを出しても、それを無視して20分も話し続けるという神経の太い方だった・・・。運営側としてはこういうのが一番困る・・・)
次はアメリカのSecure World Foundation(SWF)のヴィクトリア・サムソン氏。ランデブー技術は重要な技術だが、その技術が持っているリスクも考えなければならない。SWFはこれまでランデブー技術の技術的、法的、政治的側面での対話を続けてきた。そのためには、SSAの協力枠組みが必要。特に非軍事のSSAユーザーが増えていることから、SWFは独自でグローバルSSAデータベースを構築し、各国との協力を呼び掛けている。また、民間衛星オペレーターの組織である宇宙データ協会(SDA)の設立にも協力している。
(鈴木:このSecure World Foundationは個人の基金で設立されているシンクタンクで、宇宙の持続的利用を中心に研究、提言をしている。実は私はこの財団の諮問委員(Advisory member)で、この財団のスタッフや活動はずっと見てきている。国連の会議でも招かれて、非国家メンバーとして議論にも参加する組織なので、実力のある組織。ただ、何分所帯が小さいので、なかなか思い通りに活動できていないのが課題。)
(鈴木:グローバルSSAデータベースは、公的に使えるデータに基づき、民間のオペレーターや天文台のデータなどを使いながら作り上げたデータベース。)
最後のスピーカーは欧州宇宙政策研究所のヤナ・ロビンソン氏。宇宙空間の持続的利用については、これまで様々な国際的提案がなされてきたが、トップダウンの提案(政府が主導する提案)とボトムアップの提案(現場や個人のレベルから上がってきた提案)がある。宇宙活動に関与する主体は政府であれ、民間であれ、自発的にデータ共有しなければ宇宙空間の持続的利用はできない。透明性と信頼醸成措置(TCBM)がカギとなる。デブリ除去のためのランデブー技術は宇宙兵器にもなりうる。それを避けるためにはTCBMが存在し、誤解が起きないようにすることがカギ。しかし、TCBMは国際的なオープンな場で議論することが難しい。各国の利害が対立する機会が多くなってしまう。信頼関係を構築するためにも、ホットラインや対話のしくみを制度化することが必要だ。デブリ低減活動は、まだベストプラクティスが実践されていない。信頼関係を作ることに
ためらう国もあるが、TCBMの必要性がなくなるわけではない。
(鈴木:この欧州宇宙政策研究所も設立された時からお付き合いがあり、この研究所の外部研究者ネットワークのメンバー。このスピーチは組織としての意見ではなく、研究者としての彼女の意見。)
(鈴木:彼女の議論は何回も聞いているが、日本での議論の中で最も欠けている論点を提示してくれたので非常に良かったと思う。ただ、残念ながら時間が足りず、駆け足になってしまったことがもったいない。)
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パネルディスカッション:
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本のSSAの能力を他の国の観測能力と比較して日本の能力に限界があるという説明。日本は将来的にはデブリの回収などで貢献できるが、直近の課題はSSAの能力を高めること。現在、1m以下のレーダーの改修を検討しているが、それだけでは不十分。人材の育成など、やらなければいけないことがたくさんある。
マッキニー氏(国防総省):日本に求めるのはレーダーのサイズではなく、地理的な場所として東アジアで観測してもらうということ、様々なリソースを提供してくれることである。また、新たなデブリを作り出さないということも大事だ。
吉冨氏:地図で見るとユーラシア大陸のアジア側は全くカバーされていない。なので、日本がSSA能力を提供して、情報共有できるような状態になることが望ましいということは重要なポイントである。ヨーロッパはどういう状況なのか。
フレッチャー氏(ESA):衝突予測に必要なシステムを構築することを目指している。しかし、どれだけ効果的なシステムを作るのか、という問題と、どこまで幅広く観測するのかという問題はトレードオフの関係にある。SSAの目的は衛星を守ることであり、そうならないようにするためには効果的なシステムを作ることが重要だ。
アルビー氏(CNES):デブリの数から考えれば、大量のアラートを受けることになるだろう。そのためにも精度の高い観測能力が必要であり、不要なアラートを減らす必要がある。
堀川氏(JAXA/UNCOPUOS):JAXAでは宇宙ステーションを担当したが、その時デブリ対策をやった。1cmのデブリと衝突しても大丈夫なようにはしたが、確率的に10cm以下のもの(地上からとらえることはできない)が当たらない、という前提で考えていたが、そのリスクは思ったよりも高いのではないかと考えるようになった。
マッキニー氏(国防総省):1961年にSSAを始めたが、それから改良を重ねている。より高い精度を得るためにSバンドのレーダーを使うことを予定している。
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本が国際的な枠組みのなかでどう位置づけられるか、ということが問題となってきている。JAXA法も改正により、JAXAも積極的にかかわれるようになってきた。これは人類共通の利益だ。日本はこれまで厳密な平和利用を進めてきたため、出遅れてきた。日本は何に気を付けていけばよいのか、パネリストに聞きたい。
ローズ氏(国務省):この分野で日本とできることはいろいろとある。宇宙基本法ができたことで、アメリカは日本との対話を2010年から強化した。閣僚レベルでの宇宙安全保障フォーラムができるようになった。TCBMやSSAの側面で協力することを議論している。実践的な協力ができるようになった。SSAでの協力が重要だ。
マッキニー(国防総省):最も重要な問題はデータポリシーだ。どうやってデータを共有するか、誰がどのようなデータにアクセスできるか、アメリカでもNASAと国防総省は異なる機関であり、常に対話しながら調整している。データポリシーと対話だ。
ローズ氏(国務省):アメリカは2010年に国家宇宙政策を出したが、これは「全政府アプローチ」で作った。国防総省もNASAも他の機関も参加している。現代は軍民の区別が難しくなってきている。ゆえにWhole of governmentアプローチをとり、縦割り(Stovepipe)を越えなければならない。それによって効果的な宇宙政策ができる。
マッキニー氏(国防総省):GPSは軍のシステムだが、PNT調整委員会があり、民生機関も一緒になって政府内でWhole of government approachで対応している。軍民両用技術はそういうやり方しかない。
堀川氏(JAXA):軍民両用の間のデータポリシーの問題は、どういう線引きをするかが難しい。対話をするのが当然だが、どこで線引きをしているのか聞きたい。
フレッチャー氏(ESA):ESAも平和的利用原則があるが、ガリレオ(欧州版GPS)やGMES(Global Monitoring for Environment and Security)などで軍民両用分野に踏み込んでいる。SSAも軍民両用だ。ESAは軍事目的の衛星は持っていないが、加盟国は持っている。なので、ESAと加盟国の間で対話をして、透明性を高めて運用するようにしている。
ヴィルト氏(DLR):ドイツはESA、EU、ドイツの間で宇宙関連予算を分けている。ドイツは最大の財政貢献をESAにしている。ドイツから見るとESAは技術開発機関であり、EUはサービスを提供する機関であり、ドイツのDLRは研究開発をしてESAにインプットする活動をする。ドイツのレーダー(TIRA)は欧州最大だが、これは国の施設ではなく、研究機関の設備である。しかし、政府や欧州のリクエストにこたえる活動をしてもらうために、政府からの資金拠出をしている。
ローズ氏(国務省):2010年、議会は国防長官にSSA協力協定を結ぶ権限を与えた。アメリカとフランスでこの協定が結ばれた(他にもカナダとの協定が結ばれた)。これは政治的な協定であり、具体的なプログラムではないが、これから技術的な詳細を詰めるための政治的な枠組みである。
マッキニー氏(国防総省):政治的な協力がなければ、SSAの技術的な協力はできない。これは技術的な問題だけではない。
ローズ氏(国務省):同時に米軍戦略空軍が積極的に国際協力に関わっていることは重要である。これも戦略空軍のリーダーシップが効いている。
アルビー氏(CNES):アメリカとの協力は、ロシアのフォボス・グラントの再突入の追跡で初めて活用したが、データ共有の重要性が認識できた。一国だけ、ヨーロッパだけだと軌道の一部しか見えない。地理的に広がった観測施設が必要だ。そのためにも国際協力が必要だ。
山川氏(戦略本部事務局):新しい宇宙政策体制が早ければ4月にできる。2008年の宇宙基本法に安全保障は組み込まれていて、今回の改正で宇宙基本法に合わせてJAXA法を改正するが、現時点でJAXAが何か防衛の仕事をしているわけではない。日本はロケットを打ち上げるときも、JAXA、米国との調整をし、衛星を上げるときも電波の干渉を避けるために国際的な調整を行う。それと同じ意味でSSAにかかわる意味がある。日本の地理的な意味の重要性も理解している。
しかし、日本の予算が限られており、デブリの対策にどの程度予算をかけられるのか、ということを考えなければならない。そのためにも国際協力、対話が重要。こうした対話については測位衛星の会合などでも実体験しており、顔を合わせて信頼関係を築くことは大事だと思う。
欧州の例に見るように、軍民の協力をするうえで、やはりデータ共有、データポリシーが大事。それを考えたうえでハードウェアの仕様を考える必要がある。
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):TCBMが大事なのはわかるが、アジアには中国やインド、その他いろいろな国で衛星を持ち始めているが、日本がアジアの国々とどう付き合えばよいのか?
ローズ氏(国務省):アメリカから見れば日本は重要な同盟国。また日本は宇宙活動、TCBMでも共有する価値を持っている。日本は独自にアジアの国々と関係を作ってきた。
その関係を使ってアジアの国々とTCBMについて議論をする機会を作ってほしい。新興国に関与することは非常に重要である。彼らが責任を持った宇宙利用をすることが大事なポイントだ。その意味でも日本がこれらの国々との関係で重要な役割を果たせると思う。
堀川氏(JAXA/COPUOS):国際協力というのはギブ・アンド・テイクだと考えてきたが、近年、いろんな国が技術を持つようになった中で、SSAだけでなく、お互いにどのような宇宙政策をやろうとしているのか、どのような技術水準にあるのか、どのような設備を持っているのか、ということを踏まえ、どのように情報交換をするのかというところまで考えて関係を作ることになっている。その意味でも信頼感がなければならない。その信頼感を作るための努力としてAPRSAF(Asia-Pacific Regional Space Agency Forum)があるが、まだSSAや宇宙の持続的利用という話はできていない。ラテンアメリカ、アフリカでも地域での活動が進められている。そうした地域協力の結節点としてUNCOPUOS(国連宇宙空間平和利用委員会)がある。そういう関係づくりを支援していきたい。
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本から見ると、欧州は規模も性格も似ている。その観点からコメントを。
フレッチャー氏(ESA):確かにデータ共有などはチャレンジングな問題だが、技術的な問題を解決することも難しい課題。欧州は複数の国が集まっているので、Work togetherするだけでも大変。各国が異なる要求や要望があり、技術レベルの違いや予算の違い、政策目的の違いなどがあり、調整することは大変困難であるが、それをやるのがESAの役目。
ヴィルト氏(DLR):技術者たちにもルールやガイドライン、スタンダードなど、単なる技術だけではない、政治、経済、法律といった問題に対する意識を高めるように努力している。技術開発や品質向上をするためにも、こうしたルールや法制度などにのっとって進めていくことが大事だ。
アルビー氏(CNES):欧州はそれほど複雑ではない。いくつかのプログラムは国家でやり、国家でできない規模の物はESAでやる。
山川氏(戦略本部事務局長):日本は国際協力をしなければいけない国である。SSAは民でも軍でもない。宇宙全体の問題である。そういう認識を持つようになった。アジアでの役割は「一緒にやっていく」部分と「競争する」部分があるが、デブリの問題だけでなく、様々な衛星システムの問題と関連してアジアでのリーダーシップを発揮する必要がある。
吉冨氏:こういうテーマがようやっと日本でもできるようになった。これをきっかけに日本の役割を高めて行きたいと考える。
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以上、「人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」のメモでした。
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二日目の最初のスピーカーは欧州宇宙機関(ESA)の宇宙監視及び追跡マネージャーのエメット・フレッチャー氏。ESAは設立当初からデブリの発生を避けるための規則を適用してきた。しかし、欧州の活動として注目するのは、EUが提案したCode of Conduct(CoC:「行動規範」)がある。これは現在、アメリカが提唱しているInternational Codeof Conduct(国際行動規範)の基礎となっている。欧州のレーダー、光学センサーは各国が整備したものであり、ESAとして持っているわけではない。そのため、ESAは2008年11月の閣僚理事会で汎欧州SSAプログラムを決定した。ここでは、欧州「独自(Independent)」のSSA能力を構築することが定められた。今年の11月により詳細なSSA戦略を採択するため、現在調整中。ESAはISO(国際標準化機関)、CCSDS、ECSSといった国際的、地域的団体を使って、センサーデータやカタログの標準化を進めようとしている。こうした動きとともにアメリカとの協力を進めている。Exchange of services, exchange of inputs, interoperabilityのルール作りを進めている。
(鈴木:SSAにおいても、ESAと加盟国の間の調整が難しく、加盟国が求めているものとESAが求めているものが異なる。それは軍と民が求めるものが違う、ということに起因す
る。また、欧州「独自」を強調するのも面白い。外国(特にアメリカ)の言うなりになるのではなく、自分たちで必要なデータを取得、分析できるようになったうえで、国際協力を行うという考え方に基づいている。)
(鈴木:ESAはISOなどを通じて、データの標準化を進めようとしており、アメリカに後れを取りながらも、この分野での国際協力枠組みのリーダーシップを握ろうとしている。技術や設備で優位に立つのではなく、ルールやスタンダードで優位に立とうとする姿勢は、私がこれまで論じてきた「規制帝国」の考え方と全く同じ。しかも、欧州域内での調整を進め、足元を固めてからアメリカと交渉するという、そつのなさを感じる。)
次のスピーカーはフランス国立宇宙研究センター(CNES)のフェルナン・アルビー氏。デブリの追跡に関しては欧州で一番の専門家。フランスは空軍がDetection(監視・発見)、CNESがPrediction(解析・予測)を行い、空軍と国防省がMeasurement(実測)を行う。CNESは軍とCivilianの両方の性格を持っているので軍民の協力はスムーズ。常に13-18の衛星を監視し、2011年には122のリスク件数があり、15件のデブリ回避行動がとられた。デブリ対策を今から始めたとしても、すでに軌道上に衛星があり、これらはきちんと対策が取られていない。ゆえに、デブリ低減の努力も10年間は古い衛星の面倒を見なければならない。
(鈴木:やはりリアルなニーズがあるところは、自らSSAをやる必要があると認識し、そのための投資と仕組みづくりをする。日本がこれまでSSAをやってこなかったのは、逆に言えば、宇宙にリアルなニーズを感じていなかった、ということだろう。)
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二日目午前の後半は日本のスピーカー。最初は日本宇宙フォーラムの吉冨さんとJAXAの成田さん。吉冨さんは日本宇宙フォーラムが持つデブリ観測施設の紹介。日本のレーダー観測施設は1350kmのレンジで1mの物体を認識できる設備。最初から高い水準の物ではなく、パイロットプロジェクトとして建設されたという経緯がある。
(鈴木:日本宇宙フォーラムは、このシンポジウムの主催者で吉冨さんは事務局長的な役割をしていて忙しいのに、スピーカーをやっているので大変そうだ。日本宇宙フォーラムはJAXA・文科省が所管する財団法人だが、この日本宇宙フォーラムの下に日本スペースガード財団という組織があり、ここが上齋ヶ原のレーダー観測施設、美星の光学観測施設を運営している。元々は地球近傍の小惑星などを観測することが目的であり、最初のパイロットプロジェクトとして導入されたため、観測精度は低く、SSAの能力としては低い。施設を紹介するときに、ちょっと悲しいのは、常に「予算の関係で」と言い訳しなければいけないこと。それにしても「スペースガード」という仰々しい名前にしては施設がしょぼい。)
成田さんはJAXAのSSA活動の紹介。日本から観測できるのは東経68度から200度まで。500程度のデブリを定期的に観測できている。JAXAのデブリ分析は、JAXAが運用している衛星を基準に、その衛星に近づくデブリを観測するという方法で整理している。アメリカがやっているようなモデルを構築して分析するということではない。各国のデブリ監視の担当者とデータを交換して、データの確認をしている。衛星を基準にみているので、デブリがどう動いているかが見えておらず、その分析ができないことが課題。2011年は100回のアラートが出て、30回くらいの接近があり、2回デブリ回避の運用を行った。JAXAは独自のデブリ低減ガイドラインをもち、国際的なガイドラインと合わせて運用している。
(鈴木:日本の場合、やはりSSA能力が限られているため、自分たちが軌道を知っている衛星に焦点を当てて、その近傍のデブリを見ているので、どうしても国際的なコンテキストからは外れている印象がぬぐえない。自分のことだけをやるというのは最低限のことだが、それ以上のことが求められているのが現状なので、それにどう対応していくのか、ということがこれからの課題だろう。)
スカパーJSATの篠塚さん:数年前からCSM(Conjunction Summary Message)データを受けるようになり、年に3-4件のアラートを受けることになったので驚いている。放送通信衛星は静止軌道に位置しているので、デブリの心配はないと考えていたが、アラートを受けているので、認識を変えているところ。スカパーJSATは15機の衛星を運用している。静止軌道は抵抗がないため、デブリが発生するとそれが自然落下していかないので、デブリが生まれると軌道が「汚染される」。CSMは46の連絡があり、そのうち12は管理された物体。34の連絡がある(複数衛星を運用しているので、同じデブリで複数の通報が来る)。きちんとDeorbit(軌道離脱)をせず、ドリフトしている衛星がデブリとして接近してくるケースが多い。無責任に運用を終了した衛星があると、繰り返しその衛星に悩まされることになる。静止軌道は軌道位置(経度上の位置)によってデブリのリスクが変わってくる。また、ロケットの残骸などは楕円軌道を描いて動くため、比較的短い周期(数時間単位)で静止軌道に接近してくる。高い頻度で接近してくるため、リスクの高いデブリの場合、運用が難しくなる。民間企業であるスカパーJSATが他の国の軍事衛星と運用上の問題が発生した場合、政府(総務省・外務省)を経由して調整しようとしたが、軍が相手の場合、きちんと対話することが難しく、運用を調整する仕組みが存在していない。静止軌道も軌道修正する必要があるため、東西軌道制御をするスケジュールをずらすことで、物体の接近を回避することができる。その意味で、きちんと情報が集まっていれば、負担を大きくすることなくデブリ回避をすることができる。
(鈴木:静止軌道のデブリ回避問題については、あまり事例がないため、なかなか面白い報告であった。静止軌道の問題は、数年前に起こったIntelsatの衛星がコントロールを失った件があるが、この事件をきっかけに静止軌道での民間企業の情報共有が進んでいる。スカパーJSATもきっとこれがきっかけでCSMを受け取ることになったものと思われる。いずれにしても静止軌道でもデブリが問題になっているというのは大変興味深い。特にこの軌道は民間企業が多いので、グローバルなガバナンスにおける官民協力が不可欠なだけに、新しいガバナンスの仕組みが生まれてくるのかもしれない。)
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二日目の午後はIAASS(国際宇宙安全推進協会)のアレックス・スーンス氏。1996年から2006年までのデブリ発生の傾向は、それ以前に比べ、非常に落ち着いてきたのに、2007年の中国による衛星破壊実験および2009年のコスモスとイリジウムの衝突によって急激にデブリが増加した。デブリが増えるとケスラー・シンドロームというデブリが他の衛星やデブリにぶつかってどんどん数が増えていく現象が起き、そのため近年に入ってデブリの衝突や衛星同士の衝突が増えてきている。低軌道には2600の使われていない衛星が存在しており、衝突のリスクは大きい。小さなデブリの除去はコストと効果のバランスが悪い。除去するなら大きなデブリを中心とすべきだ。ランデブー技術はすでにあるので、デブリ除去は技術的に可能。しかし、デブリを除去しようとして動かすことで、他の衛星にぶつかる可能性もあり、デブリ除去がデブリを増やすという皮肉な結果をもたらす可能性もある。「何がデブリなのか」という定義も難しく、またそのデブリの所有権を持つ国が「デブリでない」と責任を逃れるために言い続ければ、デブリとして処理することが難しくなる。デブリを作り出した国が責任を持つ、という形にすれば、当然、こうした問題は起こってくる。また、打ち上げ国、宇宙物体として登録した国、衛星の運用国が違う場合などは、誰が責任を持つのかという条約上の問題も出てくる。
(鈴木:デブリ除去は、活動中の衛星を無力化する技術でもあるため、それを法的、政治的に制御するのは難しい、という点が十分議論されていなかったような気がする。本質的な問題はそこにあるのに・・・)
(鈴木:IAASSは宇宙空間の安全確保や持続的利用について活動している民間団体で、宇宙デブリ問題については長らく取り組んできた組織です。ここでは、デブリ除去技術の研究や法的・経済的・政治的側面の低減をしています。)
(鈴木:本来20分の割り当てで、スタッフが時間が終わったとサインを出しても、それを無視して20分も話し続けるという神経の太い方だった・・・。運営側としてはこういうのが一番困る・・・)
次はアメリカのSecure World Foundation(SWF)のヴィクトリア・サムソン氏。ランデブー技術は重要な技術だが、その技術が持っているリスクも考えなければならない。SWFはこれまでランデブー技術の技術的、法的、政治的側面での対話を続けてきた。そのためには、SSAの協力枠組みが必要。特に非軍事のSSAユーザーが増えていることから、SWFは独自でグローバルSSAデータベースを構築し、各国との協力を呼び掛けている。また、民間衛星オペレーターの組織である宇宙データ協会(SDA)の設立にも協力している。
(鈴木:このSecure World Foundationは個人の基金で設立されているシンクタンクで、宇宙の持続的利用を中心に研究、提言をしている。実は私はこの財団の諮問委員(Advisory member)で、この財団のスタッフや活動はずっと見てきている。国連の会議でも招かれて、非国家メンバーとして議論にも参加する組織なので、実力のある組織。ただ、何分所帯が小さいので、なかなか思い通りに活動できていないのが課題。)
(鈴木:グローバルSSAデータベースは、公的に使えるデータに基づき、民間のオペレーターや天文台のデータなどを使いながら作り上げたデータベース。)
最後のスピーカーは欧州宇宙政策研究所のヤナ・ロビンソン氏。宇宙空間の持続的利用については、これまで様々な国際的提案がなされてきたが、トップダウンの提案(政府が主導する提案)とボトムアップの提案(現場や個人のレベルから上がってきた提案)がある。宇宙活動に関与する主体は政府であれ、民間であれ、自発的にデータ共有しなければ宇宙空間の持続的利用はできない。透明性と信頼醸成措置(TCBM)がカギとなる。デブリ除去のためのランデブー技術は宇宙兵器にもなりうる。それを避けるためにはTCBMが存在し、誤解が起きないようにすることがカギ。しかし、TCBMは国際的なオープンな場で議論することが難しい。各国の利害が対立する機会が多くなってしまう。信頼関係を構築するためにも、ホットラインや対話のしくみを制度化することが必要だ。デブリ低減活動は、まだベストプラクティスが実践されていない。信頼関係を作ることに
ためらう国もあるが、TCBMの必要性がなくなるわけではない。
(鈴木:この欧州宇宙政策研究所も設立された時からお付き合いがあり、この研究所の外部研究者ネットワークのメンバー。このスピーチは組織としての意見ではなく、研究者としての彼女の意見。)
(鈴木:彼女の議論は何回も聞いているが、日本での議論の中で最も欠けている論点を提示してくれたので非常に良かったと思う。ただ、残念ながら時間が足りず、駆け足になってしまったことがもったいない。)
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パネルディスカッション:
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本のSSAの能力を他の国の観測能力と比較して日本の能力に限界があるという説明。日本は将来的にはデブリの回収などで貢献できるが、直近の課題はSSAの能力を高めること。現在、1m以下のレーダーの改修を検討しているが、それだけでは不十分。人材の育成など、やらなければいけないことがたくさんある。
マッキニー氏(国防総省):日本に求めるのはレーダーのサイズではなく、地理的な場所として東アジアで観測してもらうということ、様々なリソースを提供してくれることである。また、新たなデブリを作り出さないということも大事だ。
吉冨氏:地図で見るとユーラシア大陸のアジア側は全くカバーされていない。なので、日本がSSA能力を提供して、情報共有できるような状態になることが望ましいということは重要なポイントである。ヨーロッパはどういう状況なのか。
フレッチャー氏(ESA):衝突予測に必要なシステムを構築することを目指している。しかし、どれだけ効果的なシステムを作るのか、という問題と、どこまで幅広く観測するのかという問題はトレードオフの関係にある。SSAの目的は衛星を守ることであり、そうならないようにするためには効果的なシステムを作ることが重要だ。
アルビー氏(CNES):デブリの数から考えれば、大量のアラートを受けることになるだろう。そのためにも精度の高い観測能力が必要であり、不要なアラートを減らす必要がある。
堀川氏(JAXA/UNCOPUOS):JAXAでは宇宙ステーションを担当したが、その時デブリ対策をやった。1cmのデブリと衝突しても大丈夫なようにはしたが、確率的に10cm以下のもの(地上からとらえることはできない)が当たらない、という前提で考えていたが、そのリスクは思ったよりも高いのではないかと考えるようになった。
マッキニー氏(国防総省):1961年にSSAを始めたが、それから改良を重ねている。より高い精度を得るためにSバンドのレーダーを使うことを予定している。
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本が国際的な枠組みのなかでどう位置づけられるか、ということが問題となってきている。JAXA法も改正により、JAXAも積極的にかかわれるようになってきた。これは人類共通の利益だ。日本はこれまで厳密な平和利用を進めてきたため、出遅れてきた。日本は何に気を付けていけばよいのか、パネリストに聞きたい。
ローズ氏(国務省):この分野で日本とできることはいろいろとある。宇宙基本法ができたことで、アメリカは日本との対話を2010年から強化した。閣僚レベルでの宇宙安全保障フォーラムができるようになった。TCBMやSSAの側面で協力することを議論している。実践的な協力ができるようになった。SSAでの協力が重要だ。
マッキニー(国防総省):最も重要な問題はデータポリシーだ。どうやってデータを共有するか、誰がどのようなデータにアクセスできるか、アメリカでもNASAと国防総省は異なる機関であり、常に対話しながら調整している。データポリシーと対話だ。
ローズ氏(国務省):アメリカは2010年に国家宇宙政策を出したが、これは「全政府アプローチ」で作った。国防総省もNASAも他の機関も参加している。現代は軍民の区別が難しくなってきている。ゆえにWhole of governmentアプローチをとり、縦割り(Stovepipe)を越えなければならない。それによって効果的な宇宙政策ができる。
マッキニー氏(国防総省):GPSは軍のシステムだが、PNT調整委員会があり、民生機関も一緒になって政府内でWhole of government approachで対応している。軍民両用技術はそういうやり方しかない。
堀川氏(JAXA):軍民両用の間のデータポリシーの問題は、どういう線引きをするかが難しい。対話をするのが当然だが、どこで線引きをしているのか聞きたい。
フレッチャー氏(ESA):ESAも平和的利用原則があるが、ガリレオ(欧州版GPS)やGMES(Global Monitoring for Environment and Security)などで軍民両用分野に踏み込んでいる。SSAも軍民両用だ。ESAは軍事目的の衛星は持っていないが、加盟国は持っている。なので、ESAと加盟国の間で対話をして、透明性を高めて運用するようにしている。
ヴィルト氏(DLR):ドイツはESA、EU、ドイツの間で宇宙関連予算を分けている。ドイツは最大の財政貢献をESAにしている。ドイツから見るとESAは技術開発機関であり、EUはサービスを提供する機関であり、ドイツのDLRは研究開発をしてESAにインプットする活動をする。ドイツのレーダー(TIRA)は欧州最大だが、これは国の施設ではなく、研究機関の設備である。しかし、政府や欧州のリクエストにこたえる活動をしてもらうために、政府からの資金拠出をしている。
ローズ氏(国務省):2010年、議会は国防長官にSSA協力協定を結ぶ権限を与えた。アメリカとフランスでこの協定が結ばれた(他にもカナダとの協定が結ばれた)。これは政治的な協定であり、具体的なプログラムではないが、これから技術的な詳細を詰めるための政治的な枠組みである。
マッキニー氏(国防総省):政治的な協力がなければ、SSAの技術的な協力はできない。これは技術的な問題だけではない。
ローズ氏(国務省):同時に米軍戦略空軍が積極的に国際協力に関わっていることは重要である。これも戦略空軍のリーダーシップが効いている。
アルビー氏(CNES):アメリカとの協力は、ロシアのフォボス・グラントの再突入の追跡で初めて活用したが、データ共有の重要性が認識できた。一国だけ、ヨーロッパだけだと軌道の一部しか見えない。地理的に広がった観測施設が必要だ。そのためにも国際協力が必要だ。
山川氏(戦略本部事務局):新しい宇宙政策体制が早ければ4月にできる。2008年の宇宙基本法に安全保障は組み込まれていて、今回の改正で宇宙基本法に合わせてJAXA法を改正するが、現時点でJAXAが何か防衛の仕事をしているわけではない。日本はロケットを打ち上げるときも、JAXA、米国との調整をし、衛星を上げるときも電波の干渉を避けるために国際的な調整を行う。それと同じ意味でSSAにかかわる意味がある。日本の地理的な意味の重要性も理解している。
しかし、日本の予算が限られており、デブリの対策にどの程度予算をかけられるのか、ということを考えなければならない。そのためにも国際協力、対話が重要。こうした対話については測位衛星の会合などでも実体験しており、顔を合わせて信頼関係を築くことは大事だと思う。
欧州の例に見るように、軍民の協力をするうえで、やはりデータ共有、データポリシーが大事。それを考えたうえでハードウェアの仕様を考える必要がある。
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):TCBMが大事なのはわかるが、アジアには中国やインド、その他いろいろな国で衛星を持ち始めているが、日本がアジアの国々とどう付き合えばよいのか?
ローズ氏(国務省):アメリカから見れば日本は重要な同盟国。また日本は宇宙活動、TCBMでも共有する価値を持っている。日本は独自にアジアの国々と関係を作ってきた。
その関係を使ってアジアの国々とTCBMについて議論をする機会を作ってほしい。新興国に関与することは非常に重要である。彼らが責任を持った宇宙利用をすることが大事なポイントだ。その意味でも日本がこれらの国々との関係で重要な役割を果たせると思う。
堀川氏(JAXA/COPUOS):国際協力というのはギブ・アンド・テイクだと考えてきたが、近年、いろんな国が技術を持つようになった中で、SSAだけでなく、お互いにどのような宇宙政策をやろうとしているのか、どのような技術水準にあるのか、どのような設備を持っているのか、ということを踏まえ、どのように情報交換をするのかというところまで考えて関係を作ることになっている。その意味でも信頼感がなければならない。その信頼感を作るための努力としてAPRSAF(Asia-Pacific Regional Space Agency Forum)があるが、まだSSAや宇宙の持続的利用という話はできていない。ラテンアメリカ、アフリカでも地域での活動が進められている。そうした地域協力の結節点としてUNCOPUOS(国連宇宙空間平和利用委員会)がある。そういう関係づくりを支援していきたい。
吉冨氏(日本宇宙フォーラム):日本から見ると、欧州は規模も性格も似ている。その観点からコメントを。
フレッチャー氏(ESA):確かにデータ共有などはチャレンジングな問題だが、技術的な問題を解決することも難しい課題。欧州は複数の国が集まっているので、Work togetherするだけでも大変。各国が異なる要求や要望があり、技術レベルの違いや予算の違い、政策目的の違いなどがあり、調整することは大変困難であるが、それをやるのがESAの役目。
ヴィルト氏(DLR):技術者たちにもルールやガイドライン、スタンダードなど、単なる技術だけではない、政治、経済、法律といった問題に対する意識を高めるように努力している。技術開発や品質向上をするためにも、こうしたルールや法制度などにのっとって進めていくことが大事だ。
アルビー氏(CNES):欧州はそれほど複雑ではない。いくつかのプログラムは国家でやり、国家でできない規模の物はESAでやる。
山川氏(戦略本部事務局長):日本は国際協力をしなければいけない国である。SSAは民でも軍でもない。宇宙全体の問題である。そういう認識を持つようになった。アジアでの役割は「一緒にやっていく」部分と「競争する」部分があるが、デブリの問題だけでなく、様々な衛星システムの問題と関連してアジアでのリーダーシップを発揮する必要がある。
吉冨氏:こういうテーマがようやっと日本でもできるようになった。これをきっかけに日本の役割を高めて行きたいと考える。
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以上、「人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」のメモでした。
2012年3月1日木曜日
人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム初日のメモ
本日、品川で行われた人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウムの内容をツイートしていたのですが、量が多くなるのと、関心のない人にまでツイートが配信されてしまうので、ブログにまとめることにしました。ツイート用に細切れの文章になっていますが、ご容赦ください。なお、シンポジウムのプログラム、講演者については、 http://www.jsforum.or.jp/debrisympo/program/index.htmlをご参照ください。
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会場にWi-fiが飛んでいないので、まとめて人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッションのメモをツイートします。
人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッション。今年の6月から国連宇宙空間平和利用委員会の本会議議長をやるJAXAの堀川さんが発言。国連の
宇宙活動の長期持続性ワーキンググループを紹介。なぜ日本人が報告すると形式的な話ばかりでつまらないのだろう?
形式的な話はホームページでも見ればわかることであって、わざわざ集まってくれた人の前で偉そうに話すことではないと思うのだが…。せっかく人が集まったのであれば、
単なる情報ではなく、もっと踏み込んだ分析や議論をするべきなのではないだろうか?
米国陸軍宇宙統合機能部隊副司令官のカート・ストーリー准将。宇宙資産(衛星など)は高価であり、重要であるがゆえに守らなければならないことを強調。同時にSSAのデー
タを共有することで宇宙空間の持続可能性を高めることを使命とすると発言。自らの利益を守るために地球益に貢献するという論理。
Joint Space Operation Center (JSpOC)では軍のデブリ情報だけでなく、民間企業などが持つデータなども統合したJoint Mission System(JSM)を構築し、精度の高いデー
タを提供していると説明。米軍が国際的な官民協力のハブになっている。
米軍宇宙戦略軍のデュアン・バード少佐。突如、演壇を降りて聴衆の中に入ってオーディエンスに「なぜこのシンポジウムに来たのか」を聞き出している。なんだかアメリカ
のトークショーを見ているようだ。日本人のオーディエンスも頑張って英語でしゃべってる。なぜか企業から来た人が多い。
米軍でもまだ数千の宇宙デブリをカタログできていない(誰が生み出したデブリかわからない)。大変危険なデブリであっても、そのデブリが「自分の物」でない場合、デブ
リの元々の所有者に断らずに除去することができるか?誰がその物体をデブリと認定するのか?
デブリ除去の技術は衛星破壊の技術と同じであり、どうやってデブリの除去を可能にし、活動中の衛星への攻撃を不可能にさせることができるのか?今、デブリの問題を対処
しなければ、我々の子供や孫が問題に直面する。なんだか年金の話を聞いているような気がする。
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人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッションの後半。NASAジョンソン宇宙センターのデブリプログラム室長のユージーン・スタンスベリーさ
ん。昨年、コントロールを失って地球に再突入したUARSの説明。
コントロールできない衛星がふらふらする中、ORSATというソフトウェアを使って再突入ポイントを解析し、デブリの落下予測をした結果、人に当たる確率は1/3200と判断した
とのこと。今後は再突入しても燃え尽きるような設計が必要との結論。
ドイツの宇宙状況認識センターのウーウェ・ヴィルト氏。ドイツのX線地球観測衛星のROSATがコントロールを失って再突入した時の説明。ドイツは軍民が連携して宇宙状況監
視をしていて、限られた予算と人材の中で効果的な対応をしようとしている。
ドイツ一国ではROSATの再突入の計算ができなかったため、欧州宇宙機関(ESA)に依頼して解析してもらったとのこと。やはりデータ共有は重要だ。軍だの民だの言ってデー
タ共有ができない日本とは大きな違いだ。
再突入の計算は衛星の軌道情報だけでなく、太陽活動や地球の大気の状況など、様々な条件を加味してモデルを作成し、再突入の予測を立てる必要がある。なんとなくSPEEDI
の話と似ているな。
元米国空軍参謀長、国防分析研究所(IDA)のラリー・ウェルチ氏。宇宙には「主権」の概念がない、故に伝統的な国際条約を適用することが難しいと発言。拙著『宇宙開発と
国際政治』の第八章で論じたことと同じ論理だが、ウェルチさんのような大御所だと説得力があるな。
宇宙の持続的利用は宇宙空間だけの話ではなく、サイバー空間の話でもある。サイバー空間が使えなければ、宇宙からの情報も無意味になる。サイバー空間の安全保障と宇宙
空間の持続的利用は連続した問題群との指摘。全くその通りだ。
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質疑応答:国務次官補代理のローズ氏。アメリカ独自の「行動規範」があるわけではない。EUが提出した「行動規範」を基礎にする。これまでEUは「行動規範」を作るプロセスが不透明だったのが問題。オープンなプロセスで国際的コンセンサスを作るのが目的。(鈴木:結局、自分が関わることなくEUが決めて、それが国際的なスタンダードになることに対する不満がアメリカだけでなく、インドやブラジルなども含めてあるのだ、ということが良くわかる回答だった)
同じくローズ氏:透明性、信頼醸成措置(TCBM)として重要なのは宇宙安全保障の対話を進めること。TCBMで重要なのは誤解を少なくすること。重要なのは中国との対話。2007年に中国が行った衛星破壊で生まれたデブリが中国の衛星にぶつかる予測が出たとき、アメリカは中国に警報を出した。中国は自分の行為の報いを受けるべきだが、その結果生まれたデブリがアメリカの衛星にぶつかるリスクが高まる。だから、中国に警報を出した。(鈴木:中国との関係でアメリカが情報を持っているから中国にお仕置きできたのに、それをやると自分に影響があるからできない、という話は面白い。アメリカが情報や宇宙技術で圧倒的な優位性があっても、宇宙空間ではそれが権力として機能しない、ということを意味する回答だった)
米国国防総省のフィンチ氏:日本に期待することとして、新しいデブリを出さないことは当然だが、日本が独自の宇宙状況監視(SSA)能力を強化すること、そのデータを共有することを期待する。デブリ除去の研究開発でも協力してほしい。(鈴木:ある意味、予想通りの回答。これ以上のことで何かできないのだろうか。まだ日本がやるべきことがありそうな気がする)
同じくフィンチ氏:大学などの小型衛星もきちんと国際的なデブリ低減ガイドラインに従って、寿命が終わるときにデブリにならないような運用をしてほしい。
米国戦略空軍のバード氏:中国の認識をどう変えるか。中国の認識を変えるためにできることは限られている。とにかく対話を続けるしかない。彼らが対話に応じるまで辛抱強く待つしかない。中国は自らの衛星破壊実験からいろいろと学んでいるはずだ。だから、対話することの必要性をそのうち理解するはずと考えている。(鈴木:なかなか正直で、ストレートな回答だった。国際的なコンセンサスを作る難しさが実感できる)
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会場にWi-fiが飛んでいないので、まとめて人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッションのメモをツイートします。
人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッション。今年の6月から国連宇宙空間平和利用委員会の本会議議長をやるJAXAの堀川さんが発言。国連の
宇宙活動の長期持続性ワーキンググループを紹介。なぜ日本人が報告すると形式的な話ばかりでつまらないのだろう?
形式的な話はホームページでも見ればわかることであって、わざわざ集まってくれた人の前で偉そうに話すことではないと思うのだが…。せっかく人が集まったのであれば、
単なる情報ではなく、もっと踏み込んだ分析や議論をするべきなのではないだろうか?
米国陸軍宇宙統合機能部隊副司令官のカート・ストーリー准将。宇宙資産(衛星など)は高価であり、重要であるがゆえに守らなければならないことを強調。同時にSSAのデー
タを共有することで宇宙空間の持続可能性を高めることを使命とすると発言。自らの利益を守るために地球益に貢献するという論理。
Joint Space Operation Center (JSpOC)では軍のデブリ情報だけでなく、民間企業などが持つデータなども統合したJoint Mission System(JSM)を構築し、精度の高いデー
タを提供していると説明。米軍が国際的な官民協力のハブになっている。
米軍宇宙戦略軍のデュアン・バード少佐。突如、演壇を降りて聴衆の中に入ってオーディエンスに「なぜこのシンポジウムに来たのか」を聞き出している。なんだかアメリカ
のトークショーを見ているようだ。日本人のオーディエンスも頑張って英語でしゃべってる。なぜか企業から来た人が多い。
米軍でもまだ数千の宇宙デブリをカタログできていない(誰が生み出したデブリかわからない)。大変危険なデブリであっても、そのデブリが「自分の物」でない場合、デブ
リの元々の所有者に断らずに除去することができるか?誰がその物体をデブリと認定するのか?
デブリ除去の技術は衛星破壊の技術と同じであり、どうやってデブリの除去を可能にし、活動中の衛星への攻撃を不可能にさせることができるのか?今、デブリの問題を対処
しなければ、我々の子供や孫が問題に直面する。なんだか年金の話を聞いているような気がする。
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人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム、初日午後のセッションの後半。NASAジョンソン宇宙センターのデブリプログラム室長のユージーン・スタンスベリーさ
ん。昨年、コントロールを失って地球に再突入したUARSの説明。
コントロールできない衛星がふらふらする中、ORSATというソフトウェアを使って再突入ポイントを解析し、デブリの落下予測をした結果、人に当たる確率は1/3200と判断した
とのこと。今後は再突入しても燃え尽きるような設計が必要との結論。
ドイツの宇宙状況認識センターのウーウェ・ヴィルト氏。ドイツのX線地球観測衛星のROSATがコントロールを失って再突入した時の説明。ドイツは軍民が連携して宇宙状況監
視をしていて、限られた予算と人材の中で効果的な対応をしようとしている。
ドイツ一国ではROSATの再突入の計算ができなかったため、欧州宇宙機関(ESA)に依頼して解析してもらったとのこと。やはりデータ共有は重要だ。軍だの民だの言ってデー
タ共有ができない日本とは大きな違いだ。
再突入の計算は衛星の軌道情報だけでなく、太陽活動や地球の大気の状況など、様々な条件を加味してモデルを作成し、再突入の予測を立てる必要がある。なんとなくSPEEDI
の話と似ているな。
元米国空軍参謀長、国防分析研究所(IDA)のラリー・ウェルチ氏。宇宙には「主権」の概念がない、故に伝統的な国際条約を適用することが難しいと発言。拙著『宇宙開発と
国際政治』の第八章で論じたことと同じ論理だが、ウェルチさんのような大御所だと説得力があるな。
宇宙の持続的利用は宇宙空間だけの話ではなく、サイバー空間の話でもある。サイバー空間が使えなければ、宇宙からの情報も無意味になる。サイバー空間の安全保障と宇宙
空間の持続的利用は連続した問題群との指摘。全くその通りだ。
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質疑応答:国務次官補代理のローズ氏。アメリカ独自の「行動規範」があるわけではない。EUが提出した「行動規範」を基礎にする。これまでEUは「行動規範」を作るプロセスが不透明だったのが問題。オープンなプロセスで国際的コンセンサスを作るのが目的。(鈴木:結局、自分が関わることなくEUが決めて、それが国際的なスタンダードになることに対する不満がアメリカだけでなく、インドやブラジルなども含めてあるのだ、ということが良くわかる回答だった)
同じくローズ氏:透明性、信頼醸成措置(TCBM)として重要なのは宇宙安全保障の対話を進めること。TCBMで重要なのは誤解を少なくすること。重要なのは中国との対話。2007年に中国が行った衛星破壊で生まれたデブリが中国の衛星にぶつかる予測が出たとき、アメリカは中国に警報を出した。中国は自分の行為の報いを受けるべきだが、その結果生まれたデブリがアメリカの衛星にぶつかるリスクが高まる。だから、中国に警報を出した。(鈴木:中国との関係でアメリカが情報を持っているから中国にお仕置きできたのに、それをやると自分に影響があるからできない、という話は面白い。アメリカが情報や宇宙技術で圧倒的な優位性があっても、宇宙空間ではそれが権力として機能しない、ということを意味する回答だった)
米国国防総省のフィンチ氏:日本に期待することとして、新しいデブリを出さないことは当然だが、日本が独自の宇宙状況監視(SSA)能力を強化すること、そのデータを共有することを期待する。デブリ除去の研究開発でも協力してほしい。(鈴木:ある意味、予想通りの回答。これ以上のことで何かできないのだろうか。まだ日本がやるべきことがありそうな気がする)
同じくフィンチ氏:大学などの小型衛星もきちんと国際的なデブリ低減ガイドラインに従って、寿命が終わるときにデブリにならないような運用をしてほしい。
米国戦略空軍のバード氏:中国の認識をどう変えるか。中国の認識を変えるためにできることは限られている。とにかく対話を続けるしかない。彼らが対話に応じるまで辛抱強く待つしかない。中国は自らの衛星破壊実験からいろいろと学んでいるはずだ。だから、対話することの必要性をそのうち理解するはずと考えている。(鈴木:なかなか正直で、ストレートな回答だった。国際的なコンセンサスを作る難しさが実感できる)
また、明日、二日目の内容をブログに掲載する予定です。
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