2012年2月5日日曜日

「はやぶさ神話」の誤謬

最近、忙しくてブログの更新を怠けていましたが、ちょっと気になることがあったので雑文を書きます。

今朝の朝日新聞の「天声人語」で「はやぶさ2」が取り上げられていました。ウェブに掲載されているとはいえ、著作物なので、最低限の引用に限って使わせてもらおうと思います。

この記事の基本的なメッセージは以下のとおりである。

準備中の「はやぶさ2」は、先代の経験を生かし、生命の起源に迫る試料を持ち帰る計画だ。税金は地上で使え、との異論もあろうが、成功すれば無上の共有資産となる。苦難に押し潰されそうな時、国中で見直せる「試合」はそうない。(出典はこちらだが、URLは変更されるとみられる)
2010年に地球に帰還した「はやぶさ」は世界を感動させ、3本も同時に映画化されるといった、国民的に共有される感動の物語となり、久しく途絶えていた「国民の一体感」のようなものを感じさせる快挙であったことは間違いない。

しかし、「天声人語」が述べる「はやぶさ2」への期待は大きな誤解に基づくものであり、思考の危うさを感じさせるものであった。

というのも、この「天声人語」の執筆者は、「はやぶさ2」があくまでも初代「はやぶさ」が経験した苦難と、紙一重のギリギリのところで成功したという体験を改めて繰り返すことを期待しているからである。

こうした初代「はやぶさ」が映画化されるほどの感動を巻き起こした「神話」を作り出した要素を分解してみよう。


  1. 「はやぶさ」は世界初となる小惑星への無人機によるサンプルリターンにチャレンジし、成功した(しかし、サンプルの量は極めて限られていて完璧ではなかった)
  2. 「はやぶさ」は予期せぬ工学的なトラブルに見舞われたが、ギリギリのところで冗長系が生き残り、何とか帰還した
  3. 本来、冗長系として設計していなかったものまでを駆使して、創造性あふれる問題解決手段を提供し、絶体絶命の状況から回復した
  4. 何度も通信が途絶え、絶望的な状況になったにも関わらず、川口先生をはじめ、チームがあきらめずに頑張った結果、地球への帰還が成功した
  5. こうしたあきらめない気持ちを奮い立たせた川口先生の卓越したリーダーシップがあった
  6. 傷つきながら、帰還しようとする「はやぶさ」を擬人化し、そのストーリーを発信したISASのチーム、そしてそれを受けた人たちがSNSなどで「はやぶさタン」といったイメージを作って拡散した
思いつくまま書いたので、まだ要素としてはいろいろありそうな気もするが、これらを一読してわかってもらえることがあると思う。それは、初代「はやぶさ」が感動を巻き起こし、「神話」となったのは、工学的に失敗し、危機的な状況に陥ったからである。つまり、本来の宇宙開発の考え方からすれば、「はやぶさ」のようなトラブルは二度と起こしてはならず、この失敗の経験を踏まえ、さらに技術的に改良し、確実にミッションを達成できる探査機を作ることである。

つまり、上記の「1.」で挙げたサンプルリターンがミッションであり、これ自体を実現することが目的であるが、「2.」以降のことは、むしろ失敗として考えるべきであり、失敗のリカバリーに驚異的な努力と奇跡を伴って成功した、というドラマなのである。

それは言い換えれば「はやぶさ2」は、より技術的に高度化し、失敗の確率が減り、ミッションを確実に成功させるための努力が打ち上げ前になされることを意味し、それがゆえに「天声人語」がいうような「試合の再現」はあってはならない、ということを意味する。

しかし、この「天声人語」では、その「試合の再現」を求めている。これは、「はやぶさ2」が初代「はやぶさ」同様、工学的な失敗をすることを期待し、その失敗を何とかリカバーするための努力をISASのチームに強いることを要求しているのである。それはおかしい。

おかしいとは思うのだが、世間における「はやぶさ」のイメージは、世界初の無人機によるサンプルリターンではなく、あの川口先生のリーダーシップであり、大気圏突入前の地球の画像であり、ボロボロになったイオンエンジンなのである。それが感動のストーリーを生み出したのだから仕方がない。

なので、はっきり言わせてもらおう。「はやぶさ神話」は工学的な失敗の産物が生み出した誤謬である。「はやぶさ」の経験は二度と繰り返してはならない。だから「はやぶさ2」に同じものを期待してはいけない。「はやぶさ2」は恐ろしく退屈で、予定通り、何のハプニングも起こらず、ミッションを達成することを期待すべきであり、そうなるだろう。そして映画化できるようなストーリーもなく、淡々と1999JU3という名もなき小惑星に到達し、サンプルを回収し、地球に帰還する。そういうミッションになるべきであるし、そうなることを期待する。

そして「天声人語」の執筆者は、「今回のはやぶさ2は試合の再現ではなかった」といって、自らの不明を反省することを期待する。