2012年7月2日月曜日

官邸前原発再稼働反対デモに感じた違和感

6月29日に行われた官邸前の原発再稼働反対デモは主催者発表で15万人とも20万人とも言われ、警察発表では1万7千人と言われる大規模なものであった。これだけ多くの人が集まり、自らの立場を主張するということは、注目に値するし、その政治的な影響力についての関心が向く。

しかし、私はこの原発再稼働反対デモに対して、何とも言えない違和感を持った。それは、このデモが「関西電力大飯原子力発電所」の再稼働を具体的な対象としているデモだったからだ。この違和感を説明するのに、少しこれまでの経緯を整理しておこう。

大飯原発の再稼働についてのこれまでの経緯を振り返ると、定期点検で1年3ヶ月前に停止していた大飯原発3、4号機の再稼働に関して、関西電力がストレステストの一次評価を提出し、それを原子力安全保安院が承認し、原子力安全委員会は「ストレステストの一次評価だけでは不十分」という立場を取りながらも、この再稼働について抵抗も阻止もせず、関係閣僚の決定によって政府は再稼働の立場をとった。その上で「地元の理解」を得るため、大飯町と福井県に諮り、大飯町議会は再稼働を認めたが、福井県知事は「消費地の理解を得ること」を条件にした。

この時、福井県知事が求めた「消費地の理解」というのは、大飯原発再稼働に反対の立場をとっていた大阪府市エネルギー戦略会議、そして「被害地元」という概念を生み出して、再稼働に必要な「地元の理解」に関与することを求めた京都府と滋賀県の理解を得ることを意味していた。これらの自治体は関西電力管内の自治体であり、大飯原発の電気を消費する自治体であることから、原発が再稼働しない場合、その影響を被る自治体でもある。

その「消費地」たる大阪府市や京都府・滋賀県が反対するのに、わざわざ原発のリスクに直面する福井県が積極的に消費地の反対を押し切って再稼働する意味はない、という理屈はわからないでもない。原発を再稼働することは福井県にとっては雇用や財政という観点からすればメリットがあるが、原発事故のリスクが福井県よりも小さい遠隔地のために、自らが大きなリスクを取る必要はない、と判断するのはやぶさかではないだろう。

しかし、結果として、大飯原発の再稼働をしなければ、消費地における電力不足は深刻なものになりかねないという計算結果が出て、それを踏まえて大阪府市や京都府・滋賀県を含む、関西広域連合は、最終的に再稼働を容認する立場をとった。その結果、福井県も再稼働に応じる方向で、最終的な再稼働の条件として、野田総理に対し、総理の口から国民を説得してほしいとの要請があり、それにこたえる形で野田総理は6月8日に記者会見を行った。これにより、すべての条件が満たされたとして、大飯原発の再稼働に至ったのである。

この経緯を振り返って、何に違和感を感じたかというと、大飯原発の再稼働は、関西の問題(より正確には関西電力管内の問題)であり、首相官邸前に集まった多くの非関西居住者(もちろんその中には関西出身の人もいるだろうし、関西から来た人もいるだろう)が口を出してよいものなのかどうか、という点であった。

仮に野田総理が原発再稼働反対デモを見て、自らの決断を覆し、再稼働を中止するという判断をした場合、関西電力はもちろんのこと、福井県の原発関連の従業員や、関西電力管内の消費者にとって大きな影響をもたらす結果となる(電力不足が起こらない可能性もあるが、それでもより厳しい節電は必然の状態となる)。しかし、大飯原発が再稼働しても、しなくても、電力供給に影響のない多くの非関西居住者が、関西の人たちの運命を決めることは正しいのだろうか、という違和感である。

誤解のないように書いておけば、私は原発再稼働に反対する人たちが、その意思を表現することは正しいことだと思っているし、それは積極的になされるべきだと考えている。デモが否定される社会、自らの意見を表明することができない社会には断固として戦う意思もある。しかし、今回の官邸前で行われたデモについては、どうしても納得できない部分があった。

というのも、関西の人たちは、関西広域連合という民主的に選ばれた代表によって構成される会議において、起こるかもしれない電力不足のリスクを回避するために、大飯原発の再稼働を容認するという決定をしているからである。もちろん、最終的な決定は政府でなされているが、その決定に至るまでの重要な要素して、地元、つまり原発立地自治体である福井県と、消費地である関西広域連合が「民主的に」決定したことを、なぜ大飯原発のリスクの引き受け手でもなく、電力不足のリスクの引き受け手でもない非関西居住者の人たちが覆せるのか、ということが理解できなかった。

確かに、最終的な決定をしたのは政府であり、野田総理は「私の責任において」再稼働すると言っているのだから、当然、再稼働を止めることができるのは野田総理ということになる。なので、大飯原発の再稼働に反対する人は総理に働きかけるというロジックは成立する。

しかし、それならば、なぜ関西広域連合で再稼働を容認した時に、同じように大阪市庁舎の前でデモをやらなかったのか。私が知らないだけかもしれないが、少なくとも、もしデモが行われたとしても今回の官邸前デモ程の規模ではなかったことは確かだろう。また、関西広域連合で大飯原発の再稼働を容認した後の大阪府の世論調査では、再稼働の決定に賛成する人が49%にのぼり、反対の18%を大きく上回っている ( 毎日新聞2012年6月5日 ) 。この世論調査はあくまでも大阪府の住民が対象であるが、それにしても、関西に住んでいる人たちが再稼働に賛成したという傾向を示すものであることは間違いない。

なぜ関西に住む人が賛成していることを、そして民主的な手続きを経て選ばれた人たちが決めたこと(関西広域連合での決定が制度的な正当性を持つかどうかは別として)を、リスクの引き受け手でない人たちが決めることができるのだろうか、という疑問はいまだに解消されていない。

この違和感を考えていた時、何かに似ていると思ったのが、北九州における震災瓦礫の受け入れに反対する運動であった。こちらの方は規模は小さかったが、様々なトラブルを起こしたこともあり、かなり知られることとなった。この時の論点は、①放射性物質を含んでいるとは思えない、震災瓦礫をあたかも放射性物質の塊のように扱ったことに対する問題、②北九州市議会も民主的な手続きを経て承認した瓦礫の受け入れを否定することの是非、③瓦礫を運搬する業者を止めようとする手段の是非、④逮捕者を含め、運動に加わった人が北九州の人たちではなかったこと、といったことであった。このうち、①と③については、官邸前デモとは一致しないが、②と④については、官邸前デモと共通する問題なのではないか、と考えている。

あの時に感じた違和感(それは①に対しても③に対しても感じていたが)は、やはり民主的な手続きを経て、当事者が合意したことを、当事者でない人たちが反対することに対するものであった。その違和感を今回の官邸前デモでも感じている。

民主主義とは、本来、当事者が自らのことを自らで決めることができる仕組みであるべきである。イギリスの名誉革命も、アメリカの独立戦争も、フランス革命も、当事者である人々が、自己決定権を得るために戦い、勝ち取ったものだと認識している。その自己決定権を奪うことは、どのような方法であれ、非民主的な行為のように思えるのだ。独裁政権が非民主的なのは、当事者である市民が決定に参加することができず、特定の権力者だけが決定に参加できるという仕組みだから問題なのだ。形式的な民主主義(北朝鮮にだって選挙はある)が民主主義的と思えないのは、それが自己決定につながらないからである。自らの運命を自らが決定することが民主主義の本義だとするならば、関西広域連合で決定したこと、福井県が決定したこと、大飯町が決定したことを尊重すべきなのではないだろうか。もちろん、彼らは選挙の争点として原発再稼働を掲げたわけではない。しかし、現代の間接民主制の仕組みである限り、民主的に選ばれた為政者が判断したことは、民主的な決定と言ってよいだろう。

そう考えれば、やはり、当事者たる関西広域連合、福井県、大飯町の決定を尊重するべきなのだと考える。それを当事者ではない人たちが介入し、その結果生まれるかもしれない電力不足のリスクを引き受けないということは、やはりおかしな感じがするのである。

39 件のコメント:

  1. 私は当事者ではないのでしょうか?

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    1. あなたがどのような方で、どこにお住まいで、誰なのか全くわからないので、私が判断することはできません。少なくとも大飯原発が再稼働する/しないによって直接的な影響を被る関電管内にお住まいであれば当事者かと思います。その地域のご出身か、その地域に大切な人がいる方であれば、間接的に当事者とはなりうると思いますが、当事者性は薄いと考えています。

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  2. 大飯原発が再稼動する/しないに係る当事者と、大飯原発に事故が発生した場合/しない場合に係る当事者とは、どう整理されるのでしょうか?
    また、当事者である/ないということと、当事者性が濃い/薄いということとは、どう整理されるのでしょうか?

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    1. 原発の事故がどのくらいの規模で起こるのか、ということを事前に予見することはできません。つまり、非常に不確実な可能性に限定された「当事者」と、実際に大飯原発が再稼働しないことによって直接的な影響を被る「当事者」は、その「当事者性」において異なると考えています。その違いを程度で表すと「濃い/薄い」という表現になります。

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  3. はじめまして。小西と申します。
    現在名古屋市に在住し、実家が奈良県です。
    大飯原発の再稼働について調べていたところ、
    再稼働へ至った過程を詳しく記載されていたので目を通させていただきました。

    個人的な意見を書かせてください。

    官邸前で行われた反原発デモについて、違和感を覚えられたとのことですが、
    扱う問題が「原発」という非常に壮大なもので、福井の原発事故が
    この日本におよぼした「影響」を考えると地元が納得していても、
    地元の人以外でも原発が再稼働することに対して相当な危機感を抱くのは
    仕方のないことだと思います。さらに、大飯原発再稼働を機に、
    その他の原発も再稼働されるのではないか?という不安も官邸でデモを
    繰り広げた人々は危惧していたのではないでしょうか。

    鈴木さんがブログで述べた「当事者」を、どこまで解釈するかが
    争点になるのではないでしょうか。

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    1. 上記のコメントへの返信でも書きましたが、原発の事故の規模や確率が不確定であり、影響を受けるかどうかわからない(そして大飯原発の事故が直接的に関東地方に影響を及ぼす可能性はかなり低い)状態で「当事者性」を主張するのには無理があると考えています。

      もちろん、多くの人が不安を持ち、原発事故など無くなった方が良い、と考えていることもわかります。私も原発などない方が良いと思っています。しかし、上述したように、ほとんど影響を受ける可能性が低い地域にいる人が、極めて大きな影響を受ける人たちが「引き受ける」と覚悟したリスクを否定することは、やはり違和感があります。

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    2. しかし、いざ事が起きてからの被害の濃い薄いは逆転しますよね?
      そう言った意味では「当事者」と言うのは地球規模に拡大すると思いますよ。
      僕は関西広域連合はおろか福井県知事や橋本市長が受け入れてしまったことの方が違和感があります。
      「また裏で幾ら動いたんだろう?」とか勘繰ってしまいますね。

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    3. 私が申し上げている「当事者性が濃い」は事故が起きたときに被害をより多く受けるというという意味でもあります。福島の事故で着のみ着のまま避難しなければならなかったのは福島浜通りの人たちであり、東京の人たちではありません。もちろん、東京にも影響がないわけではありません。しかし、事故が起こって、最も大きな被害を受けるのは立地自治体です。ですので、事が起こっても当事者性の濃淡は変わらないと考えています。

      福井県知事や橋下市長が受け入れたのは、原発のリスクよりも電力不足のリスクや地域経済のリスクを考えた結果だと思います。それが正しい判断なのかどうかはコメントしません。しかし、民主主義の仕組みの中で、彼らが決めたことを尊重する必要はあるのではないかと考えています。それがどんな結論であっても。

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  4. このブログにこそ、違和感を感じます。私は福井県に生まれてから、60余年になりますが、事故の影響を受ける人はすべて、市民全員が当事者だと思います。なにか福井県の市民がいかにも賛成しているかのように、勝手に論点をすり替えているのは、本当に違和感を感じています。これでは福井県全員がまるで、「お金の亡者そのもの」になってしまうじゃありませんか?。実際はお金の欲しい人は福井県知事と大飯町町長ぐらいなもので、あとの残りすべての人は内心では反対です。ただ、福井県人は表立って声をあげることは嫌う、土地柄だからであって、それを錯覚し、逆用してはなりません!。

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    1. 私はブログ記事の中で福井県の全員が、と書いたわけではなく、民主的に選出された福井県知事が、という書き方をしています。福井県の中に原発再稼働に反対する方がいることは十分承知しており、その点についてきちんと書いていないというご批判は甘んじて引き受けます。ただ、私が言いたかったのは、住民が反対しているとはいえ、福井県知事も大飯町議会が決定したことは重く受け止めるべきだ、ということです。様々なご意見や価値観を持つ方がいて、全ての価値観を反映することができない以上、何らかの仕組みを通じて決定していかなければいけませんが、その決定をする人たちを選んだのは福井県民であり、大飯町民なので、間接民主主義の仕組みで物事を決める以上、致し方のないことかと思います。福井県民として反対されるのであれば、是非、福井県庁前でデモをやって意思を表明されたら良いと思います。私は官邸前のデモには違和感はありますが、福井県庁前のデモには全く違和感を覚えませんし、応援します。

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  5. 官邸前のデモについて、地元県民のみが当事者という前提で違和感を述べることにどれ程の意義があるというのでしょうか。官邸前のデモに参加した人はおおげさに言えば国民たる「当事者」という意識で官邸前に臨んでいるはずです。この「当事者」たる立場についての考察を加えるというのならまだしも、誰もがわかりきった地元民たる当事者たちでないことに、今さら違和感など感じておられるのはピントずれすぎではないでしょうか。そんなことは先刻承知のデモなのではないでしょうか。
    地元の方たちは一定のリスクを負うて再稼動を引き受けたことでしょう。しかし、そのことにより生じる(高いか低いかは議論があるにせよ・・)別のリスクの当事者は地元民にとどまらないはずです。官邸前のデモはそうした立場の人たちによるものであることを前提として論じられるべきかと思います。
    実際に事故が起きてしまった福島原発に係る当事者は誰でしょうか?
    日本最北にお住まいのあなたは非当事者なのでしょうか。

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    1. 私を含め、北海道に住む人たちも当事者です。というのも、原発再稼働がなければ北海道では電力不足が起こり、計画停電の可能性もあります。なので、大飯原発の再稼働に限らず、今後のエネルギー政策の当事者です。
       そんな中で、私は現時点での再稼働に反対しています。それはすでに述べたとおり、安全規制の抜本的見直しができていない中での再稼働はすべきではないと考えているからです。しかし、北海道の多くの人が、自らの命を守り、自らの生活を守り、自らの雇用を守りたいということで「必要悪」として原発再稼働をすべきである、という判断をするならば、可能な限りの安全策を立て、まだ未整備の安全策をこれから急ピッチで進めるということを前提に、「必要悪」としての原発再稼働を認めることは仕方のないことと考えています。
       北海道に住む「当事者」である私と北海道民の皆さんが判断したことを、東京に住み、泊原発の再稼働の有無によって自らの生活が大きく変化するわけではない人たちがあれこれ言うことに違和感は感じます。
       私が「当事者性の濃淡」という話をしたのは、日本国民、いや世界中の人たちが原発問題の当事者だと考えているので、「当事者性の有無」という議論にはしない方が良いと考えています。しかし、被る影響の大小はあります。なので「当事者性の濃淡」という風にとらえています。

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  6. 〜電気が足りないから再稼働するのではない。関電が明言〜http://www.youtube.com/watch?v=mXoeCl5zW9c
    こちらの動画で、古賀茂明さんが、「電力不足はない。企業として破綻をしないために稼動するのだと関電自らが明言した」というような内容を話されています。
    国も多くのメディアも、経営問題にはいっさいふれず、原子力がないと電力不足だよ。大変なことになるよ。と国民を欺いている。
    今回のデモは、原子力そのものの反対であると同時に、権力者が政府が、国民を無視し、都合よく国を動かしてしまうことへの不信感も含まれています。
    福井だけの問題ではないのです。

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    1. 私は古賀さんのおっしゃっていたことは信用していませんし、非現実的だと思います。そもそも「(かなり大規模な)節電をすれば電気が足りる」というのは詭弁で、「電気が足りないから無理な節電をする」という方が適切な言い方だと思います。
       実際、古賀さん肝入りの「ネガワット発電」も関西電力管内で11件しか成立しませんでした。これは大規模な取引にならないと効果を発揮しないので、完全に空振りしたと評価せざるを得ません。
       なので、古賀氏の議論を出発点として議論を進めることには反対で、その上に組み立てられる論理は適切なものではないと判断しています。

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  7. 官邸前デモは「再稼働反対」のシュプレヒコールで成立していたようなので、大飯が現実に再稼働を決めた現在、「再稼働反対」のフレーズは抗議要求の語として整合性を欠くというか、部外者の暴論的なお話かも知れない。ただし、この象徴的な「再稼働反対」のシャウトは、本来ならば、「子どもを守れ」とか「未来を守れ」とか「原発いらない」であってもよいと思われる。まさにこの国の問題として、当事者としての国民によるデモなのではないか、と思う。

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    1. おっしゃる通りです。もし官邸前デモが原発一般の危険性を訴えるものであったり、より強い安全規制を求めるものであったり、今後のエネルギー政策に対する要求をするものであったなら、私も違和感は感じなかったと思います。
       ただ、大飯原発の再稼働に反対したことで、「関西の問題」になってしまい、「日本国民」としての当事者性を薄めてしまう結果になったと考えています。「日本国民」としての当事者性を基礎に訴えるのであれば、「日本全国の問題」として訴えかけなければ話のつじつまが合わなくなってしまうように思います。なので、その違和感が抜けていないのです。

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    2. なるほど。それは確かにその通だ。
      さっきまであなたに違和感を感じていたが、そう言うことであれば納得できた。

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    3. ご理解いただけたようで何よりです。拙い文章で混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。

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  8. おバカさんですね!
    こんな簡単な事が分からずに「違和感を感じる」のですか?
    首相官デモは象徴的に「大飯原発再稼働反対」とのスローガンが発せられましたが。
    デモに集まった多く方々は、
    福島での事故に何ら責任も取らず(問われず)
    福島県民を棄民状態にした侭の政府が 
    無責任にも再稼働する事に「怒り」「戸惑い」「疑問」「不安」を表わしたデモなのです。
    私もその意識で参加しました。
    原発一般の危険性を訴えるデモに決まっているでしょう!

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    1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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    2. デモは象徴が重要なので、象徴としてでも「大飯原発再稼働反対」と言う限り、メッセージは「関西の問題」になってしまいます。「原発一般の危険性」を訴えるのなら、それを象徴するメッセージにすべきでしょう。
      なお、面識のない人に向かって、いきなり「おバカさん」という人とは議論が成立しないと考えていますので、あなたとのやり取りはこれで終わりにしたいと思います。次からは「おバカさんと言った者ですが」と名乗っていただければ幸いです。
      なお、上のコメントを削除したのは誤字があったからで、このコメントと内容は全く同じです。

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  9. 賛同です。
    放射性物質が人に望ましくないとは思っておりますが、それをもって現在日本に存在する全ての原子力発電が即時不稼動であるべきであるというのはちがうなぁと思っております。もちろん仕組みに改革が必要だとは思いますが、現時点で代替の無いなかで電力が必要ですし、ガスや原油依存のエネルギー安全保障の観点でも”いたしかたない”、という思いのもと情勢を見ております。

    デモで意思を表明されることは尊重されるべきこととは感じますが、同時にその意思を相手に飲ませる責任も民主主義に内在するものだと思っております。
    放射性物質は悪だから、それを生み出す原発も悪、それに推進の方向で携わる人も悪、原発否定の意見に少しでもマイナスな事を表明するのも悪、だから子供の未来に悪の枢軸を今根絶するんだ、悪はあってはならない、悪を糾弾するのは正義なのだ…といった思考の傾向が垣間見えます。確かに正義なのでしょうが、それを実現するために他の犠牲をかえりみないのは同様に「違和感」を感じますね。

    いまはやりの、マイノリティ憑依。「原発問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい悪はありません。反原発を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てました」という構図です。こうやってデモでdisるだけや、マイノリティ憑依だとレッテルはりしてdisるだけでも解決しないですね。

    日本社会が利己的な個人のあつまりであり、個々人にとって合理的な判断・行動が、社会的に非合理になることの縮図のようです。

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    1. 適切なコメント、ありがとうございます。官邸前デモがマイノリティ憑依という側面はあると思いますが、それ以上に多様な人たちが集まっているのも確かなので、デモに参加する人に着目して論評をすることは避けようと考えています。私の論点はあくまでもデモのメッセージとして「大飯原発再稼働反対」ということに違和感があるということなので、改めてその点だけ確認させてください。

      個々人が集まって合理的と思った行動をしても、合成の誤謬が生まれるというご指摘はその通りだと思います。

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  10. 読者からのコメントに対してとても丁寧にご返信される、先生の真摯な態度に感銘を受けました。

    一点馬鹿な質問をして恐縮ですが、もし先生のおっしゃるとおり、関連の「濃い」当事者が、関西に閉じているのであれば、なぜ、政府や野田総理が、再稼動に対して決定する権利があるのでしょうか。

    政府や野田総理が「薄い」関係者であれば、例えば、関西広域連合は政府などと協議をして了承を得る必要はあるけれども、あくまで決定する主体は関西のみとするなど、手続き上も、政府の関与の度合いを、関西よりも「薄く」してもいいのではないでしょうか。また、先生が記事で書かれている通り、政府が再稼動に対して最終的な決定をするのであれば、決定権と責任は裏腹ですから、なぜ政府が、関西以外の国民にはそんなに「濃い」関係もないのに、日本政府として最終的という「濃い」責任をもってあげなければならないのでしょうか(例えば、関西広域連合として最終的責任を負えばいいということにはならないのでしょうか)。

    これまでの記入者のコメントにもありますが、再稼動の問題は、国民全体として受け止める問題であり、また、制度上も、そのように、原発の問題は国民全体が当事者であると捉えられていると考えられます。例え関西外からの人たちによるデモ行為で再稼動の中止が実現できたとしても、なんら当事者による民主主義と相反するところはないと、私には思えるのです。

    お忙しいところ恐縮ですが、この点につきましてご教示くださりますようお願いいたします。

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    1. 政府や総理が決定をする権限があるのは、原子力行政の責任を担っているからであり、その意味で当事者です。野田さん個人の問題ではなく、これは国家としての決定をしなければならないことだからです。政府・総理の当事者性は非常に「濃い」ものだと思います。

      その意味で、日本国民も当事者です。だから当事者性がないとは考えていません。しかし、実際の決定に対してどのような影響を被るのか、という点で見ると、非関西居住者の当事者性は「薄い」と考えています。

      私はデモが民主主義に反すると言っているのではなく、関西で民主的な手続きを踏まえて決定したことを尊重すべきだと考えています。彼らの運命を彼らが決めるという原則からみれば、強制されたわけでもなく、世論調査を見ても再稼働賛成が反対を大きく上回っていることを尊重するべきなのではないかと思っています。

      デモが非民主的だとは思っていませんし、日本国民として「薄い当事者性」を持つ人たちが声を上げることを否定していません。ただ、デモのメッセージが「大飯原発再稼働反対」である以上、やはり関西の「濃い当事者性」を持つ人たちの決定を尊重すべきだと考えています。

      ただ、大飯原発3号機は稼働してしまったので、今後、官邸前デモがどのようなメッセージを発するのか注目しています。これからより当事者性を濃くするメッセージになるのであれば、官邸前デモに感じている違和感は薄れていくと思います。

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    2. 丁寧なご教示、まことに感謝いたします。私どものような一般人が、大学の先生と直接意見を交わす機会などは普通無いのですが、鈴木先生は、多くの批判を受ける可能性もあるのにもかかわらず、積極的にやり取りをしてくださり、感銘をうけています。

      さて、ご返信の内容を読ませていただきましたが、先生の当初ご提示された問題点がわからなくなってしまいました。日本国民全体が当事者性をもっているのであれば、日本国民誰もがなんらかの形で自分の意思を表現するのは別にかまわないように思われます。一部の過激な人を除いて、別にデモも関西での決定をないがしろにしているわけではなく、ただ、単に彼らなりのやりかたで自分たちの意思を表現しているだけに過ぎないと思えます。

      当事者性が濃い、薄いというのも、非常に主観的な表現で、あいまいですね。関西に住んでいても、自然発電だけで生活している人は当事者性が薄いでしょうか。関西外にすんでいても個人の信条に大飯原発が深く関わっている人は当事者性が薄いのでしょうか。個人の信条が重要ではないなら、なんともすみづらい国ですね。関西に住んでいる人にとって見たら、圏外からの意見で自分たちのエネルギー政策が変えられてしまうのは、はた迷惑に感じられるかもしれませんが、もし口出しされたくなければ、関西だけで何事も閉じるやり方で原発をやればいいと思います(そんなやりかたないと思いますが)。

      関西での決定は、尊重されるべきだとおっしゃられますが、関西外からの意見についても、それなりに尊重されるべきだと思います。それが民主的だと思います。もうこれ以上は、デモをネガティブにとらえるか、ポジティブにとらえるかの違いかもしれませんね(英語で言えば、littleなのかa littleなのかの違いかもしれませんが)。

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    3. 返信ありがとうございます。誤解のないように、改めて説明いたします。

      まず日本国民が意思表示をすることを否定しているわけではありません。なので、デモをやりたければやればよいと思っています。ただ、何度も申している通り、直接的な被害を受ける関西の人たちの決定を尊重すべきであり、関西の人たちの生活に無自覚な再稼働反対のメッセージに違和感を感じています。

      当事者性の濃い・薄いは主観的な判断ではないと考えています。当事者性というのは、その決定によってどの程度影響を被るかという客観的な事象で判断できるからです。関西が閉じられているというのは前提です。というのも、現在のような地域独占の電力体制であれば、関西の問題は関西で閉じてしまうからです。

      なので、他の方のコメントにも書いたと思いますが、日本全国が一つの電力会社によって電源を供給されているのであれば、まだ理解はできますが、関西に閉じた電力供給システムについて、関西に住んでいる人の方が当事者性が濃いと考えています。

      関西に住んでいても再生可能エネルギーだけで生活し、関西電力に依存していない人であっても当事者性は濃いと思います。というのも、原発がもし事故を起こした場合、被害が一番及ぶのは関西だからです。

      なので、原発に反対するという一般的なメッセージを掲げてデモをすることには違和感はないのです。関西で閉じられた問題について、関西の外からあれこれいうのに違和感を感じています。その点を誤解されないよう、お願いいたします。

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    4. またもや私のTrivialな質問に対して丁寧なご回答をいただきありがとうございます。

      いただいたご回答で、なんとなく、先生と私の間ですれ違っている部分がわかったような気がします。先生は、「現在のような地域独占の電力体制であれば、関西の問題は関西で閉じてしまうからです。」と述べられていますが、私はそうは思いません。私は、この問題は関西で閉じないと思っています。大飯原発で3.11のような事故が起こったら、国全体として解決をしていかないといけないと思いますし、一方、原発を再稼動しなかったとして、関西圏の経済活動が停滞したら、それは直接国全体の経済にも響いてきます。関西の問題が関西で閉じないからこそ、国のトップである総理がその決定に関与していると思えます(この点、先生が前に説明してくださったのですが、私にはよくわかりませんでした。日本政府は濃い当事者性を持っているのに、なぜ、日本国民になると当事者性が薄くなるのでしょうか。日本政府は国民を代表しているので、当事者性の観点としては、日本政府=日本国民になるのではないのでしょうか)。もし、本気で関西に閉じる話だとお考えなら、原発事故の損害賠償も関西圏内のことはすべて関西圏内で処理するよう主張すべきです。

      当事者性の濃い、薄いという表現について、例えば、福井県は消費地の理解を得ることを条件にしたとのことですが、再生可能エネルギーだけに頼っている人と、原発からの電力に頼りきっている人とを比べたら、消費地としての当事者性はどっちが濃いのでしょうか。消費は関係ない、原発事故で影響受けるリスクだけが問題だとしたら、なぜ、福井県は消費地の理解を条件にしたのでしょうか。また、大飯原発は和歌山県の南端に比べたら、よっぽど別の電力会社の管区である岡山や石川に近いのですが、彼らの当事者性が福井県に認められなかったのは不適切なのでしょうか。たぶん、「幸せかどうか」のように、当事者性を計ろうとすることはできるのだと思います。ただ、その尺度もさまざまだろうし、研究テーマや政治的主張にあわせて、その物差しも変えることになるのだろうと思います。そういうのを見ると、私のような素人としては、結局、主観で決めているんじゃないかと思ってしまうのです。

      私はデモに対して賛成でも反対でもなく、先生に私の考えを押し付けようとも全然思っていないのですが、ただ、単純に、ロジカルに私を納得させていただけたらありがたいなと思っております(私も年をとって脳みそが凝り固まっているので、そもそも私にその能力が無いのかもしれませんが…)。

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    5. 原発の問題は確かに国全体、世界全体の問題です。しかし、原発を動かす・動かさないという判断の影響は地域的に出ます。なので、日本全体の問題だ、というご議論には理解しつつも、やはり「当事者性の濃淡」はあると思います。

      日本政府が責任を持つのは、法律でそうなっているからです。原発の安全運転には政府が責任を持っており、それであるがゆえに安全に関して責任を持つ政府は「当事者性が濃い」と考えています。しかし、日本国民全体には「当事者性はあります」が、関西に住む人と、その他の地域に住む人では濃淡があると考えています。

      原発事故の損害賠償も本来ならば地域で閉じる話になります。というのも、賠償をする主体は地域の独占企業体である電力会社だからです。本来ならば、電気料金に賠償金額を上乗せしてその地域で負担する、というのが筋だと思います。しかし、政府は福島事故に関して、東京電力を破たんさせないということを前提に国有化しました。その結果、東京電力管内以外の人たちから賠償の原資である税金を取るという形になっています。

      福井県が再稼働を認めたのは、再生可能エネルギーで生活している人よりも、再稼働せずに雇用を失うことの人や、その他さまざまなことを考慮して決定したのだと思います。福井県が再稼働を決定した=福井県に住む人が全員賛成している、という意味ではありません。原発の問題のように様々な価値観が入り混じる問題について、全員が同意する決定をするのは困難です。であるがゆえに、民主主義的な仕組みに則って判断をする人が判断をするのであり、それによって不利益を被る人がいても、それを受け入れるというのが多数決による決定の原則にあると理解しています(もちろん少数者の意見を聞くのが前提です)。

      関西が当事者であるといっても、もちろん関西の中にも濃淡はあると思います。ただ、結果として電力不足の影響を受けるのは関西電力管内の人なので、和歌山県の人の当事者性は東京の人よりも濃いと思います。

      ロジカルに考えるという姿勢には共感いたしております。この書き込みで納得していただけるかどうかわかりませんが、私なりの考えをお伝えするしか方法はないので、コメントさせていただきました。

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  11. 関西圏(関西電力管内)に住む土山と申します。
    東京圏の人たちが首相官邸前で「大飯原発再稼働反対のデモ」をすることに「違和感」がしていました。なぜ違和感を感じるのか。先生の丁寧なお話と、他の匿名の方のご発言でその姿が見えてきました。
    関西圏の人間が悩み、議論し、怒り、状況を再確認し、理解し合い、納得し、「大飯原発再稼働」を結論づけたことを尊重してほしいです。声なき賛成者を無視してほしくないです。
    今後のご活躍をお祈りします。

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    1. 関西からのコメント、ありがとうございます。私が書いたものが関西の人たちの腑に落ちるものであったのであれば、うれしく思います。

      関西の人たちが抱える葛藤は想像できます。北海道でもこれから泊原発の再開を巡って、同じような葛藤を抱えることになると思います。そう考えると、やはり官邸前デモは人ごととは思えず、このような書きこみをさせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

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  12. 関西在住のものです。デモのメッセージが重要であるとの考えはとても納得できます。

    今回の大飯原発の再稼動について、私のように賛成の立場を取っている者からすれば、今回のデモにより再稼動中止の判断がなされた場合は、正直迷惑だと考えてします。

    先生のお考えのとおり、脱原発のデモを行うなら、再稼動そのものを批判する内容でデモを行うべきです。

    今回のデモに対して私が思ったのは「今の脱原発の流行(韓流と同じような作られた流行)にただ乗っかっただけだろう」という様なものでした。
    大飯再稼動に影響ない人たちが、「計画停電によって起こるリスクを回避するために判断した内容」に対してとやかく言うなと、ただ感情的になった部分もありますが、それは今回の「デモのメッセージ」と「デモを行った方々の大半が当事者性の薄い地域の住民である事実」という2つの間で整合性が取れなかったからなんですね。納得させられました。

    そもそも、私は脱原発自体を反対(単に電力供給のみのための核技術とは考えていませんので。)している異端ですので、先生とは考え方の出発地点が違うと思いますが、少なくともこのデモに対してはお考えの通りだと思います。

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    1. 立場が異なる方から納得していただいたとのコメントをいただくのはうれしい限りです。原子力に対する考え方は様々なものがあり、それを一つにまとめるのは不可能だと考えています。なので、多様な立場からの議論が不可欠だとは思いますが、議論をして何らかの結論を出すことはできないと思います。それでも、議論をするところで、どこで合意できるかということは確認できると思っています。

      その観点からすると、単純化された「大飯原発再稼働反対」というメッセージは、異なる立場の人との議論を拒絶する可能性があり、それは望ましいことだと思いません。大事なことは、それぞれの立場を尊重しながら、当事者性の濃い人たちの決定を最優先にすること、そして異なる立場の人の話もきちんと聞くことだと思います。今回の官邸前デモに違和感を覚えるのは、この二つの原則が必ずしも守られていないように思うからです。

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  13. 首都圏在住宮城県人2012年8月8日 15:16

    >この経緯を振り返って、何に違和感を感じたかというと、大飯原発の再稼働は、関西の問題(より正確には関西電力管内の問題)であり、首相官邸前に集まった多くの非関西居住者(もちろんその中には関西出身の人もいるだろうし、関西から来た人もいるだろう)が口を出してよいものなのかどうか、という点であった。

    原発再稼動は現状では必要かもしれませんが大飯再稼動には反対です。
    経済性に重点を起き、節電・計画停電・安全対策をしないまま稼動したからです。

    稼動の是非は全国的な問題ですよ。
    大飯がokなら他の原発もokですよ。
    現状では原発を動かす事が電気の安定供給と経済的メリットが多いのですよ。
    違和感を覚えるのは経済的受益の方が多い傍観者だからでは無いですか?

    大飯原発再稼動反対者の多くは無論原発絶対反対者もいますが、
    おおまかに分けて

    ① あまりきちんとした知識は持たないが大飯の再稼動を欺瞞と安易な判断で早急  に結論を出した事に対する反対
    ② 政治家・官僚・大企業の傲慢さにやりきれない思いを抱いている人々の反対
    ③ きちんとした知識を持ち原発の稼動は致し方無い側面も有るが出来る事をやっ  てから稼動する考えの人々
    ④ 心情的に事故の悲惨さ・被害者の無念の思いを伝えたい人々

    ①と②は電力・政府が真摯に考え理解を得るよう努力すれば解決出来たと思います

    無論経済的なリスク・被害額を論理的に考えれば。
    原発事故リスク<<停止リスクに成るのですから稼動が合理的です。

    ④はどうですか?
    かなり豊かになった日本では、己の裕福さよりも我慢してでも安全・安心を望む人達です。再稼動を望む人達より大切な人達です。
    専門的な知識は少ないかもしれません、しかし困った人を助けたい・自分に出来る
    事なら応援するよ。

    稼動賛成派の方達は何をしたのですか?
    経済性だけを重視し
    高エネルギー→低エネルギー
    ピークシフト
    安全対策
    廃棄物処理
    等原発稼動の抱える問題の解決をせずに
    新たに出て来たのごとく自然エネルギーへの転換ばかりを言いますが
    新技術では無いのです。原子力が一番有望だったので開発したのですから。

    もう経済成長第一では無く、安全・安心を目指す人達が増えて来たのでは無いですか?
    被害者救済→負荷低減→安全対策→原発稼動論議
    では無いのですか?

    他の事象でもそうですが

    被害者への助け<加害者・受益者への保護の方が声高に言われる社会の方に違和感を覚えます。











    稼動の是非は全国的な問題ですよ。
    違和感を覚えるのは経済的受益の方が多い傍観者だからでは無いですか?

    論理的(経済的)に考えれば原発の被害リスク<現状での停止リスク
    でしょうから原発稼動に成ります。

    単純に電気の安定供給の問題で有れば民⇔民の契約ですから
    国がどうのこうの判断する問題では無いでしょう。
    原発立地県の方も多少の報酬を貰っていますが、最大の受益者は都会に住み大量の電気を消費している人々です。再稼動賛成派の多くは福島原発事故で被害を蒙って
    いないのです。

    再稼動賛成派は【事故が起きたら大変だけど、あまり大きな被害は無いし、恐らくあんな大地震・大津波もこないだろう。それより止めたら不便になるし、電気料金も上がったら困るから動かしてくれ】


    電気の供給者
    電気の受益者1(事故リスク<稼動利益)
    電気の受益者2(事故リスク>稼動利益)







    原発事故が関西だけで収斂するのであればそうでしょう。
    しかし原発問題は関西だけでの話しでは無いのです。
    関西圏では福島原発の実被害は受けていないので
    実感として事故の悲惨さをあまり認識していないのでは無いですか?
    先々の不安より目先の損得に目を向けるのは当然だと思います。
    直接被害を受けていない人々からすれば稼動の不利益<停止の不利益
    なので【何故止めるのだ】なのでしょう。


    大飯の決定は現総理の欺瞞とリーダー性の欠如に起因していると思います。
    急に全停止するのは経済性からみて多額の損失を受けます。
    一方原発の事故確率は非常に低いため論理的に考えれば。
    再稼動がベターとの結論に成ります。

    しかし事故の反省・対策も無く再稼動するのは疑問です。
    経済性はともかく再稼動しない方が安全・安心なのですから
    原発0が良い事位はみな解っていますよ。
    しかし何故
    節電→シフトピーク→原発安全対策を
    しないまま再稼動を行うのですか?

    もう一つ考えなければいけないのは
    電力の安定供給は民→民の契約事項です。
    原発の是非論とは切り離して考えるべき事です
    一方安全は国が規制すべき事です。
    そのため我々は国に対して声をあげているのですよ。

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  14. >〜電気が足りないから再稼働するのではない。関電が明言〜http://www.youtube.com/watch?v=mXoeCl5zW9c
    こちらの動画で、古賀茂明さんが、「電力不足はない。企業として破綻をしないために稼動するのだと関電自らが明言した」というような内容を話されています。
    国も多くのメディアも、経営問題にはいっさいふれず、原子力がないと電力不足だよ。大変なことになるよ。と国民を欺いている。
    今回のデモは、原子力そのものの反対であると同時に、権力者が政府が、国民を無視し、都合よく国を動かしてしまうことへの不信感も含まれています。
    福井だけの問題ではないのです。

    ①原発は化石燃料に変わる有望エネルギーとして推進して来た。
    ②原発は日本を支える電力の安定供給ネルギーとして貢献してきた。
    ③人間の想像を超える大事故が起こった。
    ④このまま原発を動かす訳には行かない。
    ⑤電力が安定供給出来ないと困る事も沢山有る。
    ⑥原発を動かさないでも何か対策は無いかな
    ⑦⑥をしても足りないのなら安全性を高め一番安全な原発からを動かそう。

    と考えるのが普通では無いですか?

    古賀氏他知識も実績も有り④を原点に考える人は
    ⑥を考えています。現在の技術水準では制御しきれない
    エネルギーだと考えています。
    事故確率は非常に低いとは思います。
    でも地殻変動活動期に入りつつある日本では
    未曾有の大地震が起きても不思議では無いのです。
    確かに⑤を最優先にする方々もいるでしょうが
    受益大きく、事故被害が殆ど無い
    経済重視・被害者に心を痛めない集団では無いですか?

    現政府はは⑥を飛ばし、⑦も十分に検討せず
    再稼動を決定しました。
    それも誰も確認出来ない安全性を
    詭弁を弄し安全性を確認したと。

    古賀氏のどこが論理的で無いのでしょうか?
    出来る事は全部やろう!
    再稼動はその後だ!

    どこに問題が有るのですか?

    再稼動派の方が
    反省をせず
    現状の問題を放置したまま
    思考停止したまま
    過去の貢献を錦の御旗にして
    問題を棚上げにするだけだと思います。

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  15. 宮城出身首都圏在住再稼動反対派2012年8月9日 17:55

    民主主義はおっしゃるとうりだと考えます。
    原発問題は、公が絡んでいるので問題を複雑にしていますが
    基本的には沖縄基地問題と同じだと考えています。
    良識有る賛成派は【リクスは引受けたく無いけど、利益は受容したいリスクは代価         として払う】
    良識有る反対派は【被害が甚大でリスクが0で無いならば利益が無くとも致し方無         いね代価は別のところに使う】

    本文では下記の点に疑問が有ります。

    ①現政権の正当性は有るのか
     先の総選挙で民意を得たのは鳩山・小沢両氏を中心とした民主党です。
     現総理は民主党・国会議員の信は得ていますが民意は得ていません。
     両氏(特に鳩山氏)の了解を得ているので有れば良いかも知れません
     が現総理とは反対の考えのようです。

    ②日本は共和国では有りません、原発問題のように地域で収斂しない事項
     (国の政策)に関して決定権が有るのか

    ③停電による被害・不利益は企業選択の自由が無い事を考慮しなければ
     民(電力会社)⇔民(需給者)の契約問題です。
     国が関与する事はおかしな事に成ります。

    ④原発稼動の最終判断は国が行いました、大飯原発再稼動反対が
     福井県・関西電力へ向くことの方にむしろ危機感が有ります。
     【人事だし、実害が無いから関係無い黙っていよう】
     被害者の事を考えない、思いやれない思考停止では無いですか?

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  16. 情報科学博士号取得者2012年12月17日 22:09

    横浜在住ですが、首相官邸前抗議行動に7月から行き始めて現在まで毎週参加しております。おそらく9月ぐらいだと思いますが(日記を探せば日付を特定できますが、今は省略します)抗議行動の会場で、関西の女性のグループが隣にいて話をしました。関西の方は「東京のデモにはとても勇気づけられる」とおっしゃっていました。彼女は関電本社前に5000人集まったデモの話をしてくれて、いろんな場所で続けていこうと話し合いました。
    社会学者の方が「非関西居住者が口を出してよいものなのかどうか、という点であった。」と仰る意味が全くわかりません。
    私は情報科学者として、意見を述べているつもりはなく、一日本国民としての意見です。
    関西の不利益になると考えれば、横浜市民であろうと、福島県民であろうと関係ありません。官邸前抗議行動には、私が実際に会話をしたことがある方だけで福島、北海道、九州、山口、青森、宮城など、全国各地から原発に反対する方がこられています。その場を維持するだけでも、非関西人(私の本籍は神戸市です)が集まっているのにも意味があると考えています。

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  17. 原発問題の記事を目にしましたので、大変申し訳ありませんが一言申し上げたくmailを致しました。私は3代前からの大阪在住人間でこよなく大阪を愛しています。北海道にも何度か訪れ日本国土の多面的な機能性、有効性を感じましました。その尊い日本国土を一昨年の東北大震災で、それまで愚かなエネルギー施策の政治継続で国家犯罪とも言うべき【原発破壊】が起し、未曾有の大被害を生じさせ、多くの人々の生活指針を奪い、その償いさえも出来ない愚かさを露呈させています。私は恒久的な【安心・安全・安定、安価】CO2ほぼ皆無の電力エネルギー開発手法を見出し、既に「世の為」「人の為」に利己心保全の為でなく地球上の尊い生命を未来永劫に育てる為、特許出願を行ないました。此の手法は全て地球上に存在する熱源と資源をシステム手法で得られた燃焼物質を燃やし発電を行なうものです。ほぼ日本中何処でもシステム利用が常時可能で、海外では特に環太平洋地帯、アフリカ、中部ヨーロッパ、、中央アジア地帯でシステム稼動可能です。日本の新たなODA施策に対応できます。
    国内電気使用料は現行23~25円/kWhですが、此のシステムは化石燃料等の使用しないため
    6~8円/kWhになり、現在の日本が発電用化石燃料輸入代金約30~35兆円/年間が不要になりその余剰年間予算を他の政策に活用することが可能です。、又CO2排出がなく、地球温暖化防止に役立ちます。此のシステムを運用させるためには政治的、法的規制緩和と規制発電利権緩和が必要ですが、近年、日本政府も規制緩和変更への政策実施を行なう様子で、此のシステム実現に多少なり明るさが見えてきました。以上の内容理由で「原発反対」を訴えています。どうぞご理解ください。

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  18. 原発で人が死んでるんだよ、これからも近い未来人が死んでいくんだよ。
    もしおまえが、なんとか洗脳されてない当事者だったらなんて言うか聞いてみたいね
    洗脳された民主主義なんてなんの役にも立たない、操り人形みたいなもんだ
    本当になんの意味ももたない
    そもそも民が何も事実を知る事ができないんだからな
    遺伝子組み換えにしろ原発にしろだ
    人が人を殺すことに麻痺してる
    金や、自分の家族の未来は心配できるのに、なんでその他の人々の未来は考えれない?
    科学って一体なんなんだ?
    人を殺す道具か?
    人を助ける金儲けの道具か?
    人類は自然が一番なんだよ、わかるか?
    心をもっと使ってくれ
    科学と情報を正しく使ってくれ
    じゃなきゃもっと人が人を殺す
    便利な世の中という大儀のために
    それで満足か?
    お前の洗脳された石頭じゃわかるはずもないけどな、、、、心に刻め!!!!

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