本日(2012年7月15日)の朝日新聞で「日本のロケット技術、旧ユーゴで軍事転用 元軍幹部証言」との記事が出された(記事を読むには登録が必要)。これは拙著『宇宙開発と国際政治』でも取り扱った事柄なので、興味をもって読んだ。
この記事では1960年代(正確には1950年代)から糸川英夫博士率いる宇宙科学研究所が開発した固体燃料を推進剤とするロケットが当時のユーゴスラビアに輸出され、それがミサイルとして転用されたことを、当時のユーゴ軍関係者が証言したという。
こうした証言が具体的に出てくるのは、私が知る限り初めてであり、その意味ではこの記事の資料的価値は大きい。しかし、記事およびその解説でも、拙著で取り上げた問題点が議論されず、やや歪曲した理解になっているような印象も受けたので、ここでコメントしておく。
まず、当時の宇宙科学研究所による宇宙開発は、明示的ではないが、科学者が行うものであるから、「平和利用」であるという大前提が共有されていた(大前提というよりは思い込みに近い)。また、ユーゴへのロケット技術の輸出は、解説記事でも書いてある通り、「平和技術によって外貨を稼ぐ有力な手段としても、ロケット輸出を肯定的にみる風潮が国内にはあった」。
つまり、当時はロケット(とりわけ固体燃料ロケット)がミサイルに転用されるということについて、ほとんどといってよいほど懸念されることはなく、政治的なイシューとして取り上げられた形跡はない。
しかし、当時アメリカは日本が独自でロケットを開発することで、自力で弾道ミサイルの開発が可能になること、また、その技術が第三国に移転されることを恐れていた。それゆえ、アメリカは日本に対して、ミサイルへの転用がより難しい液体燃料ロケットの技術移転を申し入れたのである。
ところが、その時に突如として反応したのが社会党であった。アメリカのロケット技術は軍事目的で開発されたミサイル技術の応用であり、アメリカの技術が導入されることになれば、日本もロケット技術をミサイル技術に転用する恐れがある、として、1969年に「宇宙の平和利用決議」を提唱し、ロケット開発を進めるために自民党も含め、この提案を受け入れ、全会一致で決議が採択された。それ以来、宇宙の「平和利用原則」は日本に定着したのである。
なお、「宇宙の平和利用原則」は日本だけでなく、例えば欧州各国が協力して設立した欧州宇宙機関(ESA)の憲章にも「もっぱら平和的目的のみ(exclusively peaceful purpose)」との文言が入れられている。
しかし、ESAの平和利用は、日本の平和利用と解釈が異なる。1969年の決議では、日本の平和利用は、防衛省や自衛隊の予算を使うことも、宇宙技術を開発することも、宇宙機器を保有することも、宇宙政策に口を出すことも認められなかった。すなわち「非軍事」という解釈であった。他方、ESAでは、加盟各国の安全保障政策が異なっていることもあり、軍事目的の技術開発は行わなかったが、加盟国の軍がESAで開発した衛星通信や地球観測の技術を応用することを止めることはなかった。しかも、冷戦後には、安全保障の概念が変化したとして、ESAが積極的に安全保障問題に関与し、GMES(Global Monitoring for Environment and Security)、すなわち環境と安全保障のグローバル監視というプログラムを実施し、各国の軍隊と協力して衛星開発や衛星データを平和維持活動や海賊対処活動などへの利用できるような体制を整えている(この点に関しては2012年7月8日の毎日新聞の『論点』で議論したのでそちらもご参照ください)。
さて、話は脱線したが、朝日新聞の記事を手がかりに、かつて拙著で論じた日本における平和利用の問題を改めて考えてみたい。1969年の「宇宙の平和利用原則」決議がアメリカの技術移転によって引き起こされたことは、二つの点で日本の政治と技術と安全保障の問題でおかしな点を感じる。
一つは、日本はそれまで軍事的に転用可能な技術を保有しており、それが具体的に他国に輸出され、軍事転用されているにも関わらず、「科学者がやっていることだから平和利用だ」という思い込みに基づいて、問題提起がなされなかったことである。
もう一つは、アメリカの技術だから軍事的である、という決めつけが幅を利かせたということである。アメリカの技術は悪であり、日本の独自技術は善であるという、全く根拠のない善悪の判断がベースにあった、ということがいえる。
この二点によって導き出されたのが「宇宙の平和利用」原則であるとすれば、そのおかしな解釈や基礎となっている思い込みを一度払拭し、新たに問題を立てなおして、安全保障と科学技術の関係を考えなければならないだろう。これが毎日新聞に寄稿した文章のメッセージである。
しかし、せっかく、「日本人が独自で開発した技術=善」という思い込みを払拭する記事を朝日新聞が取り上げたのに、その解説記事は、そうした問題点に切り込むことをせず、おかしな方向に議論を展開している。
ここでは、まず「海外からは軍事転用の懸念を抱かれてきた」として、ガイアツによって宇宙科学研究所のロケットが輸出されたことが批判され、その結果、武器輸出三原則につながった、という議論にしている。確かに、武器輸出三原則をもたらしたガイアツは存在したが、それでもなお、国内では「宇宙の平和利用」原則についての議論がなされていなかった、ということが重要な問題なのである。つまり、日本は自発的に宇宙開発研究所のロケット開発の軍事転用可能性について懸念を示したことはなく、「日本人が独自で開発した技術=善」という図式を、ガイアツを受けた後でも持ち続け、外国に輸出さえしなければ、国内で軍事転用可能な技術を開発することは問題ない、という判断をしていたのである。
むしろ、問題にしたのは別のガイアツである、アメリカからの技術移転であった。その結果、生まれた「宇宙の平和利用原則」決議は、故に、日本の国内から生まれた宇宙の平和利用への歯止めではない。アメリカの技術が移転されるから、それは軍事転用される危険がある、という論理で作られたものである。
しかし、朝日新聞の解説記事では、突如「だが近年、ロケット以外の軍事転用可能な技術の開発や利用の歯止めを緩和する動きが国内で相次ぐ」と議論を展開し、ユーゴへの技術移転に伴う軍事転用の問題とは関係のない、衛星利用の問題についての議論を始める。
この点については、既に毎日新聞に寄稿した文章でも書いたし、上述したように「宇宙の平和利用」の考え方は様々である、ということは述べているので、繰り返さない。しかし、ここで問題にしたいのは、せっかく歴史的な史料価値のある記事を書いておきながら、つまらない「ロケット以外」の話に展開し、日本の「宇宙の平和利用原則」が抱える闇に切り込んでいない、という点である。
「宇宙の平和利用原則」を大事にしたいという気持ちはわかる。しかし、それは、日本人が独自で軍事転用可能な技術を開発したことに目をつぶり、アメリカから技術移転をされることで突如として生み出されたものであること、また、原則として当時の「平和利用」はロケット技術に関する議論であり、衛星の利用については十分な議論がなされないまま、なし崩し的に衛星の利用も禁じてきたことの問題性などを問わずに、ただ「宇宙の平和利用」というきれいな言葉だけを守る意味はない。宇宙の平和利用とはどういうことなのか、平和のために宇宙を利用するということはどういうことなのか、改めて考える時に来ていると思う。
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