2011年6月4日土曜日

日本の政治はTwilight Zone

かつてアメリカで「Twilight Zone」というSFドラマがあった。日本では『未知の世界』とか『ミステリー・ゾーン』という名前で放送され、円谷プロの『ウルトラQ』や、今でも放送されている『世にも不思議な物語』のモデルになったドラマである。

日本の政治は、まさにTwilight Zoneに入っているような錯覚を覚える。Twilight Zoneが人気を博したポイントは、現実の生活風景の中に、一つだけ現実にはあり得ない条件が挿入され、それによって、人間の理解を超えた出来事が起こっていくという点にある。見慣れた風景が突如、違うものになり、「常識」が通用しなくなり、日常生活の平衡感覚を失うことで不条理なめまいを覚えるというのが、このTwilight Zoneの持ち味であった。

Twilight Zoneというのは、文字通り「黄昏時の時間帯」という意味である。日本では「逢魔時(おおまがとき、大過時とも書く)」とも呼ばれる、この日没前の時間帯は不思議な魔力があり、普段では起きないような出来事が起こる、という意味が込められている。

ここ数日の日本の政治(と呼べるような代物ではないが)で起こっていたこと、もしくは、ここ数年の日本の政治で起こっていた出来事は、ずっとTwilight Zoneに入っていた状態だったのではないかと感じている。「一定のメドが経ったら辞任する」「二次補正予算が通れば辞任する」「そんな期限を設けてはいない」「ペテン師だ」云々カンヌン・・・。官僚の世界でも「隠すつもりはないが国民に公表することは考えなかった」「官邸の空気を読んで海水注入を止めた」・・・。もう、論評する気にもなれない。

とりあえず誰が嘘をついたとか、何が正しいかとか、そういうことを判断する気力さえ失うような状況で、何をコメントしてよいかもわからない状況に漂っている浮遊感だけが残る。この不思議な感覚はTwilight Zoneのようだ、と感じている。

その感覚はどこから来るのか、と考えているうちに、Twilight Zoneへの入り口を開いたのは、あの「Trust me」という言葉だったのではないだろうか、と思うようになった。

曲がりなりにも政治学を勉強する人間として、これまで言葉の大切さというのは痛切に感じてきた。政治で使われる言葉がどのような現実を示し、どのような行動を表象しているのかを考え、そこから行為者の意図や思惑、利害などを推量し、そこから論理を組み立てていくというのが政治学の学び方だろうと思う。自然科学とは異なり、政治の営みを分析するには、表に出てくる「言葉」が最も重要であり、その「言葉」を手がかりに、どのような意図と認識と利害をもって意思決定がなされていくのかを見ていくのが政治学だと考えていた。

しかし、その「言葉」があまりにもいい加減で、何を表象しているのかがまったく明らかにならなくなり、その「言葉」からは類推できないような現実が現れてくると、政治学者はまったくの無力となる。それは自然科学にとって太陽が西から上がってくるとか、酸素と水素を化合すると二酸化炭素が出てくるような驚きである。そのような驚きというか無力感を痛烈に感じたのは、やはりあの「Trust me」だった。

もちろん、これまで政治の世界では「ウソ」とも「方便」ともとれる言葉は無数にあった。しかし、なぜそこでウソをつくのか、なぜそんな方便を使うのか、ということが、なんとなくではあってもわかるような使いかたをしていた。たとえば、中曽根政権時代の衆参同日選挙で「売上税は導入しない」と言いながら消費税の論議をしたり、「米は一粒たりとも輸入しない」と言いながらウルグアイ・ラウンドでコメのミニマムアクセスを受け入れたり、といった類の話は、十分政治学的に説明のつく「ウソ」であった。政治学者もバカではないので、言葉を額面通り受け取ったりはしない。

しかし、鳩山の「Trust me」だけは、どうしても「ウソ」でしかなく、そこに利害や意図や目的があってウソをついているのではなく、何の根拠や見通しや戦略や利害や駆け引きなしにウソをついていた。ということになると、政治学的に理解することが不可能になってくる。

しかも、そうした「ウソ」をさらなる「ウソ」で塗り固め、結局、沖縄の問題はどうにも解決できないような状況に陥ってしまい、彼は首相を辞めることとなった。しかし、その時に「首相経験者は影響力を行使してはならない」と自ら述べ、政治家を引退すると言いながら、結局、次の選挙で出馬し、まだ国会議員をやっているだけでなく(この点で北海道9区の有権者にも責任はある)、自らの言に反して力いっぱい影響力を行使しようとした。しかも、その企てが失敗すると、「あいつはペテン師だ」「先方はウソをついている」などと言う。もう、政治学者はお手上げだ。

今日も永田町には国会議事堂が立ち、「内閣」と呼ばれるものは存在し、「国会議員」と呼ばれる、国の税金で雇っている人たちがいる。また、「政党」と名のつく集団があり、政党助成金なるお金が国民の税金から投入されている。こうした日常の風景の中で、本来、自分の言葉に責任をもち、「言ったことは実現する、ないしは実現するよう最大限努力する」ことを職業とする政治家が、その自覚を失い、「言った」「言わない」「ウソをついた」「ウソはついていない」という政治家として使うべきではない言葉しかしゃべらなくなった時、この国はTwilight Zoneに入り込み、そしてそこから出られなくなってしまうのだろう。Twilight Zoneに入ってしまった以上、我々は平衡感覚を失ったまま、吐き気をもよおしながら、この「人類の知らない第五次元」を漂うしかないのだろうか。

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