2011年6月22日水曜日

ドイツの「脱原発」をめぐるつじつま合わせ

前のブログでイタリアの「脱原発」を取り上げたので、今度はドイツの「脱原発」について、いくつか思うところをまとめてみたい。

イタリアと並んでドイツが脱原発に踏み切ったことは世界に衝撃を与えただけでなく、日本でも「ドイツが脱原発したのだから、日本もするべきだ」という議論が巻き起こっている。私は将来的に脱原発を目指すべきと考えているが、今回のドイツの「脱原発」が果たしてどこまで参考になるのか、また、そのドイツが「脱原発」に失敗するリスクはないのかをあまりきちんと議論せずに、「ドイツがやっているから日本も」という議論を建てる気にはあまりならない。

イタリアと違い、ドイツは現在でも17基の原発を動かしている(イタリアは1987年以来、一つも動かしていない)。ドイツにおける発電量のうち、原発が占める割合は28%。これは日本以上の原発依存率だ。このドイツが2022年(つまり10年後)までに原発をすべて停止するという決定をしたのだから、これはやはり衝撃だ。

そもそもの問題として、ドイツの「脱原発」は既定路線であった、ということを思い出すことが大事である。2002年に社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権が制定した「脱原発法」ですでに2020年代までに原発をすべて停止し、再生可能エネルギーの割合を30%に高めるとしている。メルケル政権は、この法律の執行延期を政策として掲げ、既存の原発の停止時期を遅らせるという方針をとっていたが、脱原発法を廃案にするということはしていない。なので、ドイツは、2002年の法律に戻った、というのが正確な理解であるべきだ。言い方を変えれば、ドイツは突然脱原発をしたわけではなく、これまで国家の方針としてもっていた脱原発を再確認したということになるだろう。これは日本の状況とは大きく異なる。

にも関わらず、ドイツの「脱原発」が大きな話題となるのは、CDUを中心とするメルケル政権が基本的には産業界よりの政策をとっているということが前提にある。つまり、産業界は2002年の脱原発法を毛嫌いしており、原発がなくなることで電力の安定供給が失われたり、電力価格が高騰することを懸念しているということを意味している。メルケル政権は、その意を受けて原発停止を延期したのだ。

ここにドイツの持つ根本的な矛盾がある。一方では国民レベルでの脱原発や環境意識の高さがある。すでにあちこちで議論されているが、ドイツの環境問題は1968年の学園紛争で頑張っていた「団塊の世代」の人たちが、1980年代前半の中距離核ミサイル(INF)配備をめぐって反核運動を展開し、1986年のチェルノブイリ事故によって反原発運動へと発展、さらに旧東ドイツを含む旧共産圏の環境問題にも関心を高め、「黒い森」の保全運動など、高い環境意識をもって活動してきた。それが緑の党という政党を生み出し、国民的な政党にまで発展しようとしている。ドイツの街を歩いていてもごみの分別や環境保護に関する意識の高さは随所にうかがえる。

しかし、同時にドイツは先進国でも有数の工業国であり、輸出大国である。多くの先進国がサービス産業化するなかで、日本と並んで製造業の輸出割合が大きいのがドイツである。当然、こうした産業には電力の安定供給が不可欠であり、また、コスト競争力をめぐる問題が大きなテーマとなる。そのため、電力料金の値上げはドイツ産業にとって大きなハードルになる。すでにドイツ産業は中東欧諸国への工場の移転などで製造業の衰退を経験しており、近年になって中国向けの輸出を中心とする製造業(特に機械産業)の成長で経済的には安定した成長を享受しているが、それが滞れば、ドイツ経済も危なくなるとの意識も高い。

なので、メルケル政権は脱原発とドイツの産業基盤の維持を同時に達成させなければならず、そのための調整(悪く言えばつじつま合わせ)が必要になる。そこでいくつか気になる点が出てきている。

第一に、この「脱原発」路線を決定するためのラウンドテーブルが公開の場で行われ、反原発運動のNGOから電力会社まで、25人の人たちが集まり、議論をした結果決定した、というコンセンサスづくりである。日本でもこの会議のことは紹介されており、これをもって「熟議の結果」と報じているケースも多いが、私が見る限り、このラウンドテーブルはそれぞれの立場で言いっぱなしの状態であったとしか見えない。そもそも11時間の討議とはいえ、これだけの人数がいると、まとまることはあり得ないわけで、メルケル政権の「脱原発」はすでに既定路線であり、それを公開の場で議論したという程度にすぎない。これを「熟議」と持ち上げるのはいささか疑問が残る。その証拠に、ドイツ産業連盟(BDI)は「脱原発」決定に強い不満を示しており、ドイツ国内にコンセンサスがないことを示した。

第二に、2022年までの過程がかなり楽観的な予測に基づいているという点である。ドイツは現在電力を輸出しているが、それは原発で作った電気に加え、再生可能エネルギーでの発電量が増えたことで、電力輸出が可能となる。つまり、原発を止めれば電力の輸出は困難となる可能性が高いが、それでもメルケル政権は、電力の輸出によって得た資金を再生可能エネルギーへの投資や送電線網の整備に充てるという。これはかなり矛盾した政策だ。また、ドイツはEUの排出権取引で、温室効果ガスの排出を減らした分を外国に売り、それによって収入を得ているが、原発を停止させる代わりにガス、石油などの火力発電を強化すると言っている。これは必然的に温室効果ガスの排出を増大させるため、排出権取引市場においても、ドイツは売る側ではなく、買う側に回る可能性がある。そうなると、排出権取引によって得た収入を再生可能エネルギーに回すという青写真も困難となる。

この排出権取引についても一言言っておきたい。確かにドイツは環境先進国であり、すでに発電量の16%以上を再生可能エネルギーで賄っている。また排ガス規制などEU全体の規制もドイツが引き上げている部分があり、その点で、ドイツが温室効果ガスを削減する先頭に立っていることを否定するつもりはない。しかし、ドイツは排出権の基準設定で大変有利な立場にあるということも覚えておく必要があるだろう。現在の排出権取引の基準年は1990年。これは東西ドイツが再統一した年である。つまり、この時は東ドイツの大変効率の悪い石炭や石油の発電所や、環境にまったく配慮しない工場から出る温室効果ガスがたっぷりあった時代である。当然、これらの非効率な工場や発電所はドイツ統一後、ほとんどが廃止となっており、現在は稼働していないか、取り壊されている。つまり、1990年を基準にすると、当時の東西ドイツを合わせた温室効果ガスの排出量はべらぼうに大きく、そこから減らすことはとても簡単なことなのである。ゆえに、ドイツは1990年を基準に40%の削減と言っているが、その40%のかなりの部分は東ドイツの滅茶苦茶な排出分を減らすことで達成できる(といっても40%はなかなか厳しい数字で、ドイツの誠実さが表れていると思うが)。

第三に、火力発電、とりわけドイツの場合は天然ガスによる発電が増加することになるが、これはドイツの脆弱性ないしは欧州全体の脆弱性に影響が及ぶ話となるだろう。これはすでに比較政治学会で報告した内容にかぶるので、改めて書くのはちょっとしんどいが(今年度の終わりに『年報公共政策学』という紀要に載る予定の文章なので、改めてそちらをご覧ください)、簡単に言うと、ドイツの天然ガスは日本のように液化天然ガスとして輸入されているわけではなく(ドイツはほとんど国内で天然ガスをとることはできない)、ロシアからパイプラインを通って液化されていない(つまり気体のままの)ガスを輸入している。なので、ドイツが「脱原発」を推し進め、火力発電を増やすとなれば、当然天然ガスの需要は伸びることとなり、その供給元はロシアということになる。そのため、ロシアはドイツに対して絶対的に有利な立場となり、ロシアの国営ガス会社であるガスプロムはさまざまな形でドイツとの駆け引きを行っている。もちろん、ドイツはこうした脆弱性を理解しており、ロシア以外からもガスを供給できるよう、EU全体でロシアを経由しないガスパイプライン建設などを進めてはいるが、その完成も当面先であるため、ロシアへの依存度の高さは変わらない。ロシアも大切なお客さんであるドイツに無理をすることは考えにくいが、ドイツに限らず日本も天然ガスの需要が高まっており、アメリカでシェールガスの開発が進んでいったんは値下がりした天然ガスも徐々に値段が上がってきている。こうした状況を踏まえ、「脱原発」を進めるドイツの発電コストが増大することは必至であろう。そうなると、上述した「楽観的な」見通しと合わせて、ドイツの「脱原発」が産業界や国民生活に与える影響は、予想よりも大きいと考えられる。

第四に、ドイツが「脱原発」に進むことで、最終的に電力不足に陥り(特にドイツの再生可能エネルギーの主力は太陽光と風力なので発電量が不安定)、外国から電気を買わなければいけない状況になる、ということが問題となる。すでに知られているように、EU域内の送電網はかなりの程度、国境を越えた接続がなされ(日本のように国内でも周波数が違うため送電できないというアホな状況はない)、フランスやチェコから電力を輸入することが可能となる。しかし、すでに知られているように、フランスもチェコも原発大国であり、ドイツは自国で原発をとめたとしても他国の原発で生産した電気を買うという矛盾に直面する。

この点で、大きく問題になるのは二点ある。そのひとつは倫理的な問題である。ドイツにおける「脱原発」の動きは、国民の感情的な反原発意識からして、ドイツ国内で原発がなくなり、原発によって発電された電気を使っていないという「安心感」を担保するためにも、外国から輸入する電気は原発で使われていないということを証明する必要がある。それが見事に表れているのが、ドイツ政策当局者の次のような発言である。
我々は7つの原子力発電所を停止し、フランスから電力を輸入しました。しかし、フランスの原子力発電所は既に最大レベルで稼働していたので、より多くの電気を発電するということはありせんでした。従って我々が輸入したものはおそらく、確信を持って言えないのですが、オランダで石炭から発電した電力であると思います。当時ドイツとオランダの間の送電網は最大の容量に達していたので、フランスを経由する必要がありました。(出典はこちら

この理屈はかなり怪しげである。まず第一に原子力発電所というのは定期点検に入っているもの以外は常にフル稼働状態となる。というのも、電力需要に応じて発電量を増減することが難しい発電方法だからである。すでに良く知られている通り、原子力発電所の発電は制御棒を入れて核分裂をおこし、そこから生まれた熱によって水を過熱させ、その蒸気でタービンを回す(これは沸騰水型と加圧水型で多少異なるが原理は同じく水を沸騰させること)。また制御棒を入れても急速に核燃料が冷えるわけではないので沸騰は続き、その間、水蒸気は出続ける(タービンを止めることは可能)。なので、柔軟に電気を作ったり止めたりすることが難しく、通常原子力発電というのは発電量の基礎部分(ベースロード)をなす(下図参照。フランスが100%原発で発電できないのも、原発が需要に合わせて変動できないため)。つまり、フランスの原子力発電がフル稼働しているからといって、その分がドイツに来てない、という論理はおかしな論理である。

(出典はこちら

また、電気に色が付いているわけではないため、フランス国内を経由した場合、どうしたって電気はフランス国内で発電した電気を買うわけで、その電気は原発で発電されたものが混じっているのが当然のことである。しかし、このドイツの政策担当者は「フランスの原発で作った電気は使っていない」という主張をし、ドイツ国内の反原発世論への配慮をしようとしている。これは、かなり怪しい。

もうひとつの問題は原発事故のリスクに対する考え方である。仏独国境にはフランス側にフェッセンハイムという原発があり、その原発が仮に事故を起こせば、ドイツに原発がまったくなくても、ドイツ国内に放射性物質が飛散する可能性は非常に高くなる。しかし、ドイツは正面切ってフランスに脱原発を求めることはなく(市民レベルで独仏国民が連携して反原発運動を展開しているが、フランス側では十分な盛り上がりにはなっていない)、あくまでもフランスの原発政策はフランスが決定するという姿勢を見せている。

これは統合が進んだEUとはいえ、各国のエネルギー政策はそれぞれの国家の運営に重大な問題として理解されており、他国の政策に干渉することはできない、という前提があるからである。したがって、ドイツはいかに自国の中の原発がなくし、原発事故のリスクが減ったとしても、他国で原発事故が起こることを未然に防げるわけではない。さらに言えば、ドイツの東側には旧共産主義時代に原発を建設したチェコやスロヴァキア、ハンガリーがあり、ポーランドも新たに6基の原発を建設しようとしている。フランスだけでなく、チェコからも電力を輸入しているドイツとしては、こうした国々で原発によって生産された電気を輸入しているということは、国内の反原発世論に矛盾する結果となり、結果的に「脱原発」のつじつまが合わなくなってきている。

EUのエネルギー政策について、もうひとつコメントしておくと、現在、EU域内では電力の自由化が進んでいる。将来的にはEU加盟国すべてで電力の自由化を進め、たとえばドイツの電力会社がフランスで電力を供給する(日本でいえば東京電力が大阪で電力を供給する)ことを可能にしようとしている。まだEU全域ではそれは実現していないが、電力自由化をすでに進めているイギリスなどでは、すでにドイツの電力会社であるE.ONが主要な電力会社として業務を行っている。つまり、ドイツの電力会社はすでに多国籍化しつつあり、ドイツ国内で原発停止になっても何とかやっていけるよう、収入源の多元化を進めている。この点は日本と大きく違う点であり、十分に理解しておきたいところだ。

以上、ドイツの「脱原発」路線が抱える矛盾と、それをめぐるつじつま合わせがうまくいきそうもない、という分析をしてみた。個人としてはドイツの「英断」を評価し、将来的な脱原発を目指すモデルとなってほしい気は十分にあるが、やや拙速であるとともに、「脱原発」が引き起こす矛盾を無理やり隠そうとしている点が気になる。原発推進派が事故情報を隠したりすることは言語道断であり、許されることではないが、同時に「脱原発」派が現実をきちんと分析せず、矛盾を隠して前に進もうとすることも望ましいことではない。ゆえに、本稿が脱原発を求める人たちの冷静な議論を進めるため、また矛盾を隠すことなく議論をするための材料となってもらえれば幸いである。

6 件のコメント:

  1. twitterやっていないのでここで失礼[小樽築港にあるアウトレットモールなう。さすがに商圏が狭く、ハコが大きいためガラガラ。やはり無理してデカい建物建ててもお客は集まらない。運営主体はNEXCO東日本。やはり。]ですが、NEXCOはテナントとして事務室に入居しているだけで、運営じゃないはずですよ。http://www.e-kensin.net/news/article/5268.html
    本当に社会学者ならちゃんと調べてからつぶやけばいいのに。言い訳したり黙って消すのではなくてちゃんと訂正コメントしてね。社会学者らしくww

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  2. 先ほどここにコメントさせていただいた者です。ツイッター拝見しました。でも問題はそこでしょうか?事実誤認は誰だってあるものです。問題は、社会学者を自認する者が、「北大」をいれたアカウントで、未確定情報を元に、一企業を「やはり」などとネガティブな評価をしていることではないのでしょうか?ここのコメントも消されちゃったし。「これが北大の社会学者とのこと、やはり。」ということですね。よく分かりました。

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  3. 匿名さん、コメントありがとうございます。確かに実名で書いているので、それなりの覚悟が必要だというご指摘はその通りだと思います。あやふやな勘違いでツイートしたことについては反省しています。

    なお、以前いただいたコメントは消去しておりません。私は何も手を加えていませんが、コメントとして反映されていないだけで、システム上の問題と思われます。前にいただいたコメントはメールで届いておりましたので、それでコメントを読むことはできましたが、ブログのコメント欄には反映されておりませんでした。

    私の不適切と不注意によるツイートで私個人を評価していただくことは構いませんが、私の作為ではないことで評価されるのはちょっと心外です。

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  4. やっと まともなブログにたどり着いた感です。
    私自身も 将来的には原発は無くして行くべきだと思っていますが 現時点では 感情論ばかりが先走っている気がしています。

    脱原発をするべきはっきりとした根拠 そして 脱原発が社会に与える影響などについて もっとキチンとした議論が必要だと思っています。

    国民投票を望む声もありますが ムードだけで将来を決めてしまうことに危惧を感じます。

    アカウントを持っていないので 匿名になってしまうこと お許しください。

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  5. 匿名さん、

    小生の記事に共感していただき、大変うれしく思います。昨今の脱原発を巡る議論はどうしても感情的になりがちで、しばしば現実を無視した極端な議論になってしまう傾向があるように感じています。

    しかし、現実離れした議論は、「絶対安全神話」同様、議論としては益が少なく害が多いと考えています。それゆえに、こういう時だからこそ、冷静に現実を分析し、不安や楽観や反発や不信感といった感情で議論するのではなく、将来、この社会にとって何が必要なのか、どうすればよいのかということを冷静に議論すべきだと思っています。

    これからもできるだけ冷静に議論をしていきたいと考えていますので、お手すきの時にでもブログをご覧いただければ幸いです。

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  6. おくればせながら投稿します。原発アレルギー論者の多い日本において本ブログの主張は冷静に分析されており感心しました。最近スイスの国民投票で脱原発の前倒し(2050までに脱原発→2029に脱原発)が否決されました。これに対し鹿児島、新潟の知事選挙でほぼ反原発というだけで当選してしまう状況を憂うばかりです。スイスの直接民主主義はレベルが高いですね。
    最近の状況も踏まえた鈴木さんのブログを期待しています。

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