2011年6月14日火曜日

イタリアは本当に「脱原発」するのか?(6月14日12:00修正)

現在、イタリアで原発を巡る国民投票が行われている。日本でも多く取り上げられ、ドイツに続いてイタリアも脱原発路線に進んでいることを受け、「21世紀の日独伊三国脱原発同盟」のような話も出てきている。なんとなく、脱原発の話を日独伊三国同盟にひっかけて議論をするのは気が進まないというか、センスがないような感じもするが、まあ、それは置いておこう。

このイタリアの国民投票をめぐる日本での報道は、「脱原発」カラーに染め上げられているが、このイタリアの国民投票は実は原発の話ばかりをしているわけではない。同時に「水道民営化」「水道事業に関する料金値上げ」「国の要職者の政治訴追の可否」という四つの問題についての投票が行われている。確かに原発問題は一つの大きなイシューだが、イタリア政治で一番問題になるのは、実は四番目の要職者の訴追の問題だ。

ここは重要なポイントであるが、今回のイタリアにおける国民投票は福島原発の事故を受けて行ったわけではなく、2011年1月からすでに準備されていたものであった。ベルルスコーニ首相の原発再稼働政策については、福島原発事故以前からイタリア国内では問題視されていたため、国民投票となったのである。しかし、1月の時点では、今回の国民投票が政府要職者の政治訴追の可否に関する問題が最も重要なイシューとして考えられており、原発の問題は水道民営化などとならぶ公益事業のあり方を巡る問題として見られていた。つまり、必ずしも重要なイシューとして国民投票にかけられたということではない、ということである。

この政府要職者の政治訴追が重要なイシューになったことは、改めて説明するまでもないだろう。イタリアはベルルスコーニ首相が未成年の女性を買春した問題や脱税疑惑で刑事訴追されており、ベルルスコーニが自ら作った、政治的要職者の免責を議会が葬ったため、国民投票に訴えかけて、その免責を再度勝ち取ろうとしている。日本でも政権に固執する首相への批判が高まっているが、イタリアのそれはレベルが違う。刑事事件になっていても、国民投票にかけてでも政権に居座ろうとする根性は見上げたものだが、ほめられたものではない。

また、イタリアの「脱原発」路線という表現にもやや違和感がある。というのも、イタリアでは稼働している原発は一つもない(G8で唯一原発がない)。そのため、すでに「脱原発」しているのである。今回国民投票で問われているのは、ベルルスコーニ首相が提案した、チェルノブイリ事故以来、停止している原発を再稼働させ、新たに原発を建設するという計画に対する投票である。つまり、すでに脱原発しているイタリアが、原発推進に動こうとしようとするのを止める、ということである。

ただ、イタリアはすでに電気料金がヨーロッパで一番高く、火力発電を継続するとしても、石油の輸入先であるリビア(イタリアの原油輸入量の23%がリビアから)が内戦で混乱しており、石油の供給が不安定になっている状態である。今後、どのようなエネルギー政策を展開するのか、しっかりした展望がないなかで、原発の再稼働を封印したイタリアに残されている選択肢は少ない。

果たして、イタリア国民が電気代の上昇を受け入れる覚悟で原発再稼働拒否を選択したのか、それとも、イタリアにおける原発稼働は拒否しつつも、フランスから電力を購入するということで「自国だけは原発がない」という状態に満足しようとしているのか、明らかではない。少なくとも、今回明らかになったことは、福島第一原発の事故が原発の危険性への意識を高め、それが電気料金の上昇や、フランスの原発への依存を高める結果となるとしても、目の前の原発が再稼働し、新しく目の前に原発ができることを拒否したということであろう。

これは言い方を換えれば、イタリアにおける国民投票の選択は、必ずしも冷静な議論や科学的な分析評価や、選択の帰結に関する熟慮の結果ということではなく、あくまでも感情的、感覚的な判断をしたということであろう。考えてみれば、イタリアが1987年に原発をすべて停止し、「脱原発」を決定したのもチェルノブイリ事故があったからであり、それに対する反射的な対応であった。しかし、資源価格が高騰し、イタリアの電気料金が上がってきたため、原発再稼働をベルルスコーニが提起し、東日本大震災までは、それなりに現実的な政策として論じられてきた。しかし、日本での原発事故の結果、再度、反射的な反応をし、原発再稼働を止めるという結論に達したのである。そこには冷静で科学的な熟慮があったとは言い難い。

しかし、政治は理屈だけで動くものではなく、恐怖や不安といった心理や感情によっても動くものである。ゆえに、イタリアの「脱原発」という選択が間違っているわけでも、おかしいわけでもない。ただ、こうした感情的な判断によって政策を動かす結果、その後に国民にとって「不都合な真実」(たとえば電気料金の値上げや近隣諸国での原発事故)が起こったとしても、それに対しては文句を言うことはできない、ということである。感情的であれ、計算づくであれ、それがイタリア国民の下した判断なのだから。

3 件のコメント:

  1. 何故、火力発電だと云うと、石油火力の限定した話になるのか?日本ではガス火力の方が主流だと言うのに?
    イタリアは天然ガスは手に入らないという前提でも、有るのか?

    返信削除
  2. イタリアがチェルノブイリ事故をうけて2003年に脱原発した際、スロバキア、ルーマニアなど諸外国の原子力発電所への投資をし、そこから送電してもらう選択をしています。これがヨーロッパの脱原発の実情です。

    http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-05-14-01

    返信削除
  3. イタリアの脱原発ですが、2003年は間違いで、1990年でした。失礼しました。イタリアが脱原発後に電気の安定供給に苦しんで、東欧・中欧諸国の原発へ出資し、原発の電力を購入する選択をしたことはあまり知られていませんね。

    ドイツはまだ原発が稼働していますが、「フランスから電気を買っている」「いや、フランスもドイツから買っている。ドイツは電力輸出国だ(2012年は輸入国へ転落するようですが)」等の議論をよく見ますが、

    ドイツはチェコからも原発の電力を購入していますし、今後原発を停止していくにあたって、中欧・東欧諸国から原発の電力を購入せざるをえなくなってくるかもしれません。

    また、ロシアは原発をどんどん建設していますが、天然ガスだけを売ろうとしているわけではなく、ドイツに原発の電力も売ろうとしています。

    ドイツは電気代が高いので、ロシアにとっては良い儲け話でもあるようです。

    返信削除