====以下、未掲載原稿(4月14日脱稿)====
言葉を失うような凄惨な光景。住む場所も、愛する人も失い、途方にくれながらも生き抜こうとする人々。大津波から逃げ延びた人々は避難所に集い、必死で家族や友人の安否を確認しようとしている。3月11日に発生した東日本大震災は自然のすさまじい力の前に、人間は無力であることが思い知らされた。しかし、人間は完全に無力ではない。これだけの災害にあい、地上系のインフラが壊滅的な打撃を受けたが、人間の手で作り上げた宇宙システムは、震災の影響を受けることなく被災地にサービスを提供したのである。
通常、大規模災害において注目されるのは地球観測衛星による画像提供である(注:脱稿した時点では「だいち」は電源停止状態ではなかった。地球観測衛星に関してはブログの別の記事を参照)。しかし、今回の震災でより重要性が際立ったのが通信衛星インフラであった。地上の携帯電話基地局や固定電話ネットワークが壊滅的な打撃を受けた地域では、安否を知らせ、必要な支援を要請するために衛星電話が唯一のライフラインとして機能した。今回、主として使われたのは商業的なサービスで既に実績のあるNTT DocomoのN-Starという衛星(Widestarというサービスを提供)であり、JAXAの衛星ではなかった。
既にJAXAはWINDS(きずな)とETS-VIII(きく8号)を運用しており、高速インターネット接続、ブロードバンド通信を可能にする宇宙インフラがあったにもかかわらず、それが十分に活用されなかった。このような災害にもっとも適した能力を持っている衛星が使われなかったのはなぜなのだろうか。
JAXAは2006年にはETS-VIIIを使って災害情報収集のデモンストレーションを行い、2008年および2009年にWINDSを用いた災害時の大容量衛星通信の実証を行っている。にもかかわらず、今回の震災ではWINDSは盛岡市の岩手県庁と釜石市を結ぶだけにとどまっており、ETS-VIIIは大船渡市・大槌町とつくば宇宙センターを結ぶだけになっている。
この最大の問題は地上の可搬型通信機の数が限られ(WINDS、ETS-VIIIとも3台しかない)、多地点通信を可能にする能力を持つ衛星であるにもかかわらず、地上設備の不足で衛星が活かされていないということである。つまり、JAXAの衛星は技術実証が目的であり、実際に大災害が起こったときに衛星を活用することが目的とされていなかったため、地上の可搬型通信機を準備していなかったのである。
当然ながら、なぜ、可搬型通信機を準備していなかったのか?という疑問がわいてくる。なので、JAXAの広報に問い合わせてみると「当機構は研究開発機関であり、防災担当機関ではないため」との返事が返ってきた。確かにJAXAの存在を法的に規定する宇宙航空研究開発機構法という法律の第四条では以下のように書かれている。
第四条 独立行政法人宇宙航空研究開発機構(以下「機構」という。)は、大学との共同等による宇宙科学に関する学術研究、宇宙科学技術(宇宙に関する科学技術をいう。以下同じ。)に関する基礎研究及び宇宙に関する基盤的研究開発並びに人工衛星等の開発、打上げ、追跡及び運用並びにこれらに関連する業務を、平和の目的に限り、総合的かつ計画的に行うとともに、航空科学技術に関する基礎研究及び航空に関する基盤的研究開発並びにこれらに関連する業務を総合的に行うことにより、大学等における学術研究の発展、宇宙科学技術及び航空科学技術の水準の向上並びに宇宙の開発及び利用の促進を図ることを目的とする。(出典:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO161.html)ここには「防災」の文字はなく、JAXAの機構としての目的を「学術研究」「基礎研究」「開発、打ち上げ、追跡、運用」「研究開発」をするとしか書いていない。つまり、JAXAという組織は、新しい技術を開発するための研究開発を行う機関であり、それ以外のことはやらなくてもよい、という解釈が可能となる。言い方を変えれば、自分たちがやりたい研究だけやっていれば、後は社会がどうなろうと気にしなくてよい機関、ということになる。ただし、この条項の最後に 「宇宙の開発及び利用の促進を図ることを目的とする」とあるので、「利用してください」とお願いするところまでは法律に書かれた目的となっている。
ここで言いたいのは研究開発がいけないとか、無駄だということではない。重要なことは、研究開発は「何のための技術なのか」ということを考えずにやれば無駄になる、ということである。ここで取り上げたWINDSやETS-VIIIは技術的にもコンセプトとしても優れた衛星であり、それを作り出したJAXAは評価されるべきである。しかし、これらの衛星が本当に評価されるのは、それがきちんと社会のために何らかの貢献をし、とりわけ今回の震災のように衛星通信が唯一の通信手段であるような状態において、被災地や被災者、消防、警察、自衛隊の役に立つということで評価されるべきである。にもかかわらず、「防災機関ではない」という理由、「研究開発機関だから」という理由で、そうした利用について、きちんと対応しないのは、税金の無駄遣いとしか言えない。
もちろんJAXAの側にも言い分はあるだろう。可搬型通信機は一台あたり数百万から数千万円かかると言われている。ただ、それは研究開発のための実験だからそうした値段になっているのであり、大量生産し、実際に各自治体に設置すると言ったことを進めていれば、一台あたりの単価はもっと下がっていたはずである。なので、値段だけで問題を矮小化することは議論をすり替えているともいえる。もちろん、単価が安くなっても予算がつかなければ意味がない。また、JAXAは「研究開発」が任務であるため、「利用」のための予算をつけることが難しいということもあるだろう。しかし、そのためには、たとえば総務省や警察庁、防衛省といった他の利用官庁と協力し、これらの地上設備の整備にかかる予算をとることはできたはずである(もちろん財務省が必ず首を縦に振るとは言えないが・・・)。
というのも、すでに述べたように、JAXAはこれまでコンスタントにWINDSやETS-VIIIを使った防災訓練を展開しているのである。2005年にはその前年に起こった中越地震をベースに、新潟県長岡市で通信衛星を使った震災対応の訓練を行っており(JAXAプレスリリース)、2006年にはETS-VIIIを使って高知県や三重県を結んだ防災訓練が行われている(JAXAホームページ)。2008年および2009年にWINDSを用いた災害時の大容量衛星通信の実証を行っている。また、JAXAは中央防災会議やアジア防災センターなどと連携をして、防災に関する宇宙システムの役割について、さまざまな制度的連携をとってきた。このように、JAXAは「かつては」こうした試みを行っていたのである。
しかし、なぜ今回の震災でJAXAは十分機能せず、「研究開発機関だから」やらない、という姿勢を見せたのか。それは、JAXAの制度的問題がある。もともと、2005-9年にJAXAが積極的に防災に関与し、さまざまな試みを進めたのは、JAXAの宇宙利用本部のスタッフがそれに熱心であったからである。この時期は、アジアレベルで「センチネル・アジア」と呼ばれる、地域レベルでの災害時の地球観測データの提供枠組みが日本のイニシアチブで作られた時期でもあり、JAXAが防災や社会貢献ということに熱心であった時期であった。しかし、それから数年たつと、JAXAの中での人事異動が起こり、一時期盛り上がった防災への意識などが受け継がれなかった結果、いつの間にか「デフォルト」の状態である「研究開発機関だから」というロジックが復活してしまったのである。
ここから明らかになることは、宇宙は利用されて初めて意味をなすものであり、それをJAXAに任せていてもなかなか実現しない、ということである。いかに素晴らしい衛星であっても、地上で役に立たなければただの宇宙ゴミでしかない。素晴らしい衛星には、相応の地上設備、運用体制、そして利用のためのプランニングが必要である。
「宇宙基本法」が目指した利用中心の宇宙開発と国民の安全保障の確保とは、今回の震災のような事態において、宇宙を利用し、1人でも多くの人を救い、多くの人に希望を与えることを意味しているのである。宇宙開発に携わるものとして、それを忘れてはならない。