2013年4月13日土曜日

カーネギー財団主催、核・原子力政策国際会議でのパネルディスカッション

しばらくブログの更新をサボっていてすみません。サバティカルでアメリカにいるのは良いのですが、サバティカルであるがゆえに暇だと思われているのか、それとも授業などの理由で断ることが出来ないからなのか、とにかく出張が多く、また論文や原稿の締め切りにも追われており、ブログでまとまった文章を書く時間がありませんでした。

そのような出張の中で、記録に残し、皆さんにも見ていただきたいと思うものがあったので、久しぶりにブログに書き込む決意をいたしました(そのくらい気合を入れないと書けないわけではないのですが…)。しばらくお付き合いいただければ幸いです。

さて、その出張とは、4月8日にワシントンDCで行われたカーネギー国際平和財団(Carnegie Endowment for International Peace)主催の核・原子力政策国際会議(Carnegie International Nuclear Policy Conference)で、民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)の報告書の紹介をするよう、カーネギー側からお誘いがあり、たまたまアメリカにいるという理由で私が民間事故調委員長の北澤先生やプロジェクト・リーダーの船橋洋一さんの名代として発表するということになり、2日間にわたって会議に参加した件です。

元々、船橋さんから連絡をいただいた時は私が一人で報告して質疑に答えるという形だと思って安請け合いしたのですが、その後、カーネギー側から「パネルディスカッションの形式にしてほしい」という要望があり、しかも向こうから誘っておきながら「すでに会議のプログラムは決定しているので、サイドイベント(プログラムの正式なパネルではなく、その場を借りて自発的に開催するパネル)としてやってほしいとのこと。しかも、サイドイベントなので朝早く、7:45から一時間という枠しかない、という話になり、ちょっと困ってしまいました。

そんな中で、どうせパネルを組むのであれば、福島原発事故当時にアメリカ側で対応した当時のNRC委員長のヤツコさんに頼んでみてはどうだろう、ということになり、私が窓口になってお誘いしました。また、ヤツコさんだけでなく、私が現在所属しているプリンストン大学で原子力政策、特にインドの原子力政策をやっているM.V.ラマナ研究員にもお願いして、「福島原発事故の検証:国際的視点から」ということで、私とヤツコさんとラマナさんの三人でパネルを組むことになりました。

すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、ヤツコさんは2012年5月に任期を満了する前にNRC委員長の職を辞し、今はどの組織にも所属していない状態です。彼の辞任については、様々な風評も含め、色々な憶測があるようですが、それについては私からあれこれ言うこともできないので、ここでは控えておきます。ただ、一部の報道にあるようなパワハラやエキセントリックな性格といった評価は、かなり違和感があります。私がお会いし、議論をしたヤツコさんは大変誠実な人であることは確かで、人の話をよく聞き、頭の回転の速い人であることも確かです。なので、私は最初から変な先入観もなく、大変有意義な議論をさせていただきました。

パネルディスカッションの前に打ち合わせも兼ねてパネルを組んだ三人と民間事故調の事務局を務めてくれた北澤桂さん(パネルの司会もしていただきました)などと一緒に会食した時の議論については、すでにツイッターでつぶやいており、それをまとめていただいているので、そちらをご参照ください(http://togetter.com/li/484921)。

さて、パネルディスカッションですが、初日の朝7:45、まだ会議の開会式が始まる前のセッションであったにも関わらず、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。元々この会議は核不拡散問題を中心に、軍縮畑の人たちが集まる世界最大の会議で、それが核戦略や原子力安全、核燃料サイクルなどなど、核と原子力(英語にすると両方ともNuclearですが)にかかわる政策的な問題を専門にしている研究者と実務家、ジャーナリストが集まる会議で、50ヶ国ちかくから800人以上が参加する会議です。我々のセッションの部屋は70-80人くらいの収容規模だったので、参加者の一割に当たるわけですが、朝早くそんなに人はいないだろうと思っていたら、立ち見がでて、延べ150人近くの方に来ていただいたのは完全に想定外でした。

とはいえ、その人たちがみんな福島原発事故に関心があるのか、と言われると少しためらってしまうところがあります。もちろん核・原子力政策に関心がある人は福島原発事故に関心があるので、関心があって当然ともいえるのですが、朝早くからそれだけの人を集めることが出来たのは、やはりNRC委員長を辞任して以来、ほとんど公の場に姿を現さなかったヤツコさんの話を聞きたいというモチベーションがあったからなのだろうと思います。その意味で、多くの人に民間事故調の報告書の紹介が出来たのは良かったと思いますが、皆さんの関心がヤツコさんにあったとなると、少し歯がゆい感じもします。

さて、パネルディスカッションですが、本当はパネルのディスカッションにしたかったのですが、一時間という枠しかなく、しかも想像以上にオーディエンスが多かったので、三人のオープニング・リマークスを終えた後、すぐに質疑応答に入るという段取りに変更しました。オープニング・リマークスとして、私は民間事故調の報告書の論点を取り上げ、特に「絶対安全神話」が原発安全規制の基礎となる考え方にあり、それが結果的に「備え」の欠如や複雑な規制ガバナンス体制、さらにはスリーマイルアイランド事故やチェルノブイリ事故の教訓を受け入れなかった理由となった、という話をし、官邸の対応が遅れたことはそうしたガバナンスの問題であったことや日米協議が当初スムーズに進まなかったことについても、責任の所在が不明なことが多く、東電と政府の間の情報共有が不足していたため、アメリカ側のフラストレーションがたまり、それが日米で異なる判断に結びついて、適切な危機管理コミュニケーションが出来なかった点などを指摘しました。

その次にヤツコさんにお話しいただいたのですが、非常に興味深い話で、ニューヨークタイムズの記事(http://www.nytimes.com/2013/04/09/us/ex-regulator-says-nuclear-reactors-in-united-states-are-flawed.html)としても取り上げられました。まず彼は、福島の事故は「日本の事故」として受け止めるべきではなく、原子力安全規制にかかわる者全てが自分の問題として捉えるべきである、という発言から始めました。直接言及はしていませんでしたが、国会事故調が福島原発事故を"made in Japan"の事故として描いたことに対する批判でもあったかと思います(今のところ、日本から出されている英語の報告書としては国会事故調の英文抄訳が一番流通している)。

ヤツコさんは私の報告を受けて、「アメリカにも『安全神話はある』」として、これまでの規制者としての経験から、日本のようにシステムレベルでの安全神話はなくとも、アメリカの原発のオペレーターにも、規制者にも自発的にどこかで事故は起こらないもの、事故が起こっても一定の想定の中で起こるものという認識がある、という話をしていました。特に問題として挙げたのは、アメリカにおける確率論的リスクの考え方で、それぞれの機器が同時に壊れることはない、という想定から、一つ一つの機器が壊れるリスクを掛け算してリスクが低いと結論付けることに疑問を呈しました。これは、福島第一原発が津波によって電源を失い、本来個別に壊れていくと想定されていたものが一気に同時に壊れるというのを間近で見ていた実感なのだろうと思いました。

また、ヤツコさんが指摘した重要な点は、これまでアメリカでも世界中でも、事故が起こった時の直接のインパクト(Immediate Impact)についてはしっかり規制してきたが、長期的なインパクト、特に社会経済的なインパクトについては十分考慮してこなかった、ということです。これまで原子力安全の考え方は、あくまでも施設の安全を考えるということが第一であったわけで、周辺住民が避難し、長期的に家に帰れない、これまでの財産や仕事を全て失うという状況は、アメリカでは想定されてこなかったと指摘。特に放射性物質による汚染をいかに軽減するのか、ということを考えるべきだ、ということを指摘しました。

そして、これが新聞などで大きく取り上げられる発言となったのですが、アメリカも世界もこれからは「より安全な電源」を考えなければならない、という話をしました。すぐに全ての原発を止めるのは合理的ではないが、すでに40年以上の運転をしている原発の安全性は十分とはいえず、1979年のスリーマイルアイランド事故以来、新規原発を作ってこなかったのだから、現在稼働中の原発は全て何らかの問題があるとして見直していくべきであり、事故が起こったとしても長期的な社会経済へのインパクトを下げるための準備が必要だ、という話をしました。このカーネギー財団の会議は核不拡散や原子力政策の専門家が集まる会議なので、核兵器をいかに使わないようにするか、原発をいかに安全に使うか、ということは議論しても、極端な核廃絶論や原発廃止論という議論は出てこない会議なので、ヤツコさんの発言はかなり驚きを持って受け止められました。もちろんヤツコさんも即座に原発をなくせと言っているわけではなく、より安全な小型原子炉への移行や新しい安全措置を施した原発へのリプレイスといったことを話していたのですが、過去のいきさつもあり、ヤツコさんがかなり過激な発言をしたということで話題を集めました。

その後、ラマナさんはインドにおける原子力安全規制の問題について報告したのですが、これも実は重要なメッセージがたくさん入った良い報告でした。彼は2013年の2月にThe Power of Promise: Examining Nuclear Energy in India(http://www.amazon.com/Power-Promise-Examining-Nuclear-Energy/dp/0670081701/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1365801732&sr=1-1)という本を出版したばかりで、まさにインドにおける経済成長に必要な電源を原子力で賄おうとしている中で、政府が原子力推進一辺倒の立場に立っていることに警告を発し、インドの市民団体が原発建設反対運動をしている最中に福島原発事故が起こったことで、インドの多くの人が原発建設を推し進めることに疑問を持ち始めているとの話を紹介していました。その中で、インド政府は何とかして反対する市民団体を説得するために、日本における「絶対安全神話」を持ちだし、福島原発事故を「日本の事故であり、インドでは同じことは起こらない」という、かつて日本がスリーマイルアイランド事故やチェルノブイリ事故を無視したのと同じ状態が起きていることを指摘しました。

質疑応答ではやはりヤツコさんの発言に質問が集中し、アメリカの原発の中でもどこが問題があるのか、といったことや彼がユッカ・マウンテンの決定を遅らせたのも福島原発事故の影響だったのか、といった質問が多くありました。福島原発事故に関連するものとしては、当時の日本政府の対応のまずさがなぜそうなったのか、情報発信が適切でなかったのはなぜか、どうすれば適切な情報が提供できるか、また日本が原発安全規制のガバナンスを変えていく中で、今、何が問題なのかという質問がありました。情報発信については、いろんな人があれこれ言うことを止めることはできないが、政府がきちんと「権威を持って説得力のある情報提供」をすることが大事なのに、福島では東電、官邸、保安院がバラバラで説明し、枝野官房長官が取りまとめをしようとして結果的に情報が出にくくなったことが問題であると指摘しました。また、新しい体制は安全規制についてはしっかりしようという努力が見られるが、核のセキュリティ(原発施設や核燃料の防護)などについてはまだ十分な措置が取られていないという点についてを説明しました。

このように、大変中身の濃いパネルディスカッションとなりましたが、民間事故調が2013年末に英文の報告書を出すこともあり、それへの関心も持ってもらえるようになったので、とりあえず私に与えられた役目は果たしたかな、と思っています。

ここからは余談ですが、今回、このカーネギー国際平和財団の会議に出たのですが、予想していたよりもはるかに人が多くてびっくりしました。しかも、その中で女性が多いことが特に驚きでした。半分とまでは行かないですが、3割くらいは女性で、アメリカだけでなく各国から来ている参加者も女性が多かったです。普段、宇宙関係の国際会議に良く出ますが、宇宙は男性が圧倒的に多く、女性もいないわけではないですが、やはり1割程度。なぜ核不拡散や原子力政策にこんなに女性が集まるのか、ちょっと不思議ではあります。なお、ヤツコさんの後任の現在のNRC委員長も女性ですね。

それと、元々核不拡散の問題を扱う会議なので、ロシアの存在感が非常に大きかったということです。宇宙でもロシアは十分存在感があるはずなのですが、それほど目立つという感じではありません。しかし、核戦略や不拡散の問題となると、どうしてもロシアを外すわけにはいかないのと、このカーネギー財団の会議がある意味では、米ソ冷戦時代の対話のチャンネルとして機能していた(いわゆるトラック2)ということもあり、パネルにはアメリカ+ロシア+もう一人、といった感じの組み合わせが多かったのではないかと思います。

もう一つ、雑感として持ったのが、それでも核が一番重要、という議論はどこまで現実を反映しているのか、ということへの疑問でした。参加したセッションの一つに「サイバー攻撃や対衛星攻撃に核は報復として使えるか」というタイトルのセッションがあり、さすがにパネリストも無理な設定だと苦笑いしていましたが、それでもかなり真面目に核兵器が最終的な抑止力になるという前提で議論を進めていたので、かなり違和感がありました。核不拡散の問題に取り組む人たちは、当然、核兵器の恐ろしさを良く認識しているだけに、その核兵器が持つ圧倒的な力を使って、リスクをどう抑止するのか、という発想になりがちになるところに、普段から核問題をやっているわけではない立場から見ると強い違和感を覚えるところがありました。

だいぶ長くなってしまいましたが、カーネギーでの会議は大変有意義だったので、それが皆さんとシェアできれば幸いです。

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