現在、出張でニューヨークに来ています。仕事は国連総会の第一委員会に合わせて行われるシンポジウムに出ることなのですが、飛行機の都合で一日余裕があったので、「ウォール街を占拠せよ運動(Occupy Wall Street)」の現場を見に行ってきました。現地からの印象はツイッターでメモ書きを送信しましたが、現地で撮った写真もつけてコメントしたいと思います。
この「占拠運動」の第一印象は、「議論の場」ということでした。とにかく、いろんな人たちが様々なプラカードを掲げていて、好き放題に色々なことを主張していて、それに挑戦する人、共感する人がとにかくよくしゃべっている。「占拠運動」の基本的な路線はアメリカにおける貧富の格差への怒りであり、大企業や投資銀行が救われているのに、人々が救われていないということへの怒りなのですが、現在のシステムに対する不満を持っている人が思い思いに集まって、現状への批判を繰り広げているという点は、想定されているよりも運動の幅が広いということを示しているのと同時に、社会のマージナルな人たちの集合になってしまっているという印象もあり、運動としてどこまで力を持ちえるのか、疑問が残りました。
彼らの主張を見ていると、警察批判や遺伝子組み換え食品反対、共和党批判、オバマ支持と批判、エコロジー運動、戦争反対、ハイチ救済、ネイティブ・アメリカン差別問題、世界平和などなど、とにかくバラバラ。それらをまとめるという方向性もなく、思い思いに主張しているという印象でした。そこで重要になるのがプラカード。プラカードに書かれたメッセージを持っている人たちに対して、議論をふっかけたり、説明を求めたりするような討論の場が自然にできていることはとても面白かったです。以下の写真はいくつかのプラカードの写真です。
こうした状況を見ていると、リベラルなテーマを一堂に集めた、ある種の言説のデパートのような場所というのが、このズコッティ広場の特徴のように思いました。一応の統一感(参加している人たちの雰囲気や大きな意味での価値観)はありつつも、主張していることはバラバラで、それぞれ個人商店のようにやっているという印象でした。
しかし、それでもここに泊まり込み、自分たちの主張を表現し続けようとするエネルギーがどこから来るのか、というのは、今一つよくわかりませんでした。単なる怒りというだけではない、何かもっと信念のようなものを感じました。ということは、その信念を共有できなければ、この運動に外部から参加する人が増えていくということにはならないという気もしました。
これは、言い方を変えると、この「占拠運動」はティーパーティのような政治運動にはならないのではないか、という印象を受けました。ティーパーティの場合、明確な政治的目標があり、それを実現する政治家を支援し、その政治家を当選するために票を集めるという運動を展開したわけですが、この「占拠運動」は、必ずしもそうした政治的な単一のメッセージを訴えているわけでも、政策的なプログラムを提案しているわけでもなく、ただ単に批判をしているという段階にとどまっているという印象が強かったです。それは、個々の信念は強くても、結局、それは個人レベルの価値観でとどまっており、実現しようとする世界と、現実世界の間をつなぐイメージができていないということが問題だと思いました。
しかし、オバマ大統領もこの運動を支持し、私が見ている間に民主党の大物のジェシー・ジャクソン(彼は一応政治を引退したことにはなっていますが)が来ていました。また、民主党の下院院内総務のナンシー・ペローシも運動を支持する(Endorseすると言っていました)といっていて、一応、民主党リベラル派は運動にすり寄っているという印象はありますが、運動の側から積極的に彼らに働き掛けるという感じもなく、ジェシー・ジャクソンが来ている間も、メディアの取材記者は集まっていたようですが、周りの運動参加者は関心を持たず、ほとんど見向きもしていなかったのが印象的でした。
さらに、このズコッティ広場から見ると、ウォール街やグラウンド・ゼロなどがすぐ近くにあり、ビジネスマンや買い物客、観光客など、普通の生活をしている人たちが普通に通り過ぎていき、まったく交わる様子もありませんでした。観光客は(私も含め)この運動を見に来たという人たちがいて、写真を撮ったり、「99%!」と書かれたTシャツなどを買っていましたが、それ以上のコミットメントはしないというか、中に入りづらいような状況で、遠巻きに見ているという印象が強かったです。下の写真の手前を歩いている人たちやフェンスに沿って歩いている人たちは観光客の人たちです。
なので、ここの人たちは自らを99%だと主張しているけれども、結局のところ、ここに集まっている人たちは、強い信念を持って現状のシステムに不満を持つ1%であって、その向こうを歩いているビジネスマンや観光客が99%なのではないか、という気が強くしました。
確かに、この運動が主張する貧富の格差の問題や、銀行を救っても市民を救わない政府に対する怒りというのは多くの人に共有されているのだろうと思います。しかし、それは漠然とした抽象的なイメージだからこそ共有されるのであって、具体的な政策や税制の問題などになると、どこまで一致した議論になるのか、また、その後のアメリカの行方、経済政策などをどうマネージするか、という問題になった瞬間に、議論が停滞し、原理原則・信念の主張を繰り返すような結果になってしまいそうな気がしました。
その点から考えると、この「占拠運動」はティーパーティのような政治的なムーブメントにはならないだろうし、オバマ大統領にも失望している以上、彼以上のリベラルな候補をホワイトハウスや議会に送り込むというのは事実上無理なように思います。
とはいえ、これだけ大きな運動となり、大きく取り上げられ、世間の耳目を集めることには成功したので、この運動を完全に無視するということは実質的に無理だろうという気もしています。なので、この「占拠運動」の社会的な意味は、来年の大統領選、議会選挙において、どれだけ「占拠運動」で訴えられた貧富の格差の問題やウォール街の規制を行うのか、ということが争点となるということだろうと思います。「占拠運動」によって提起された問題が、何らかの形で政治家によって取り上げられ、選挙の争点になるようなことになれば、それだけで「占拠運動」は意味があると思いますし、それが一つの成果になるような気がします。
しかし、残念ながら、今日行われた共和党の大統領候補の討論会では、こうした問題が全く取り上げられず、やや泥仕合のような形になっていたのは残念。来年の選挙がどうなるかはわかりませんが、共和党が「占拠運動」が提起する問題を取り上げない限り、結局、アメリカ国民の中に蓄積されている不満は解消されず、問題は深刻になっていく一方のような印象を持っています。
東日本大震災を受けて、世の中が大きく変わっていく中で、日々のニュースに触れて、いろいろと考えなければならないテーマが出てきました。商業的な出版や学術的な論文の執筆にまでは至らないものの、これからの世の中をどう見ていけばよいのかということを社会科学者として見つめ、分析し、何らかの形で伝達したいという思いで書いています。アイディアだけのものもあるでしょうし、十分に練られていない文章も数多くあると思いますが、いろいろなご批判を受けながら、自分の考えを整理し、練り上げられれば、と考えています。コメントなど大歓迎ですが、基本的に自分のアイディアメモのような位置づけのブログですので、多少のいい加減さはご寛容ください。
2011年10月19日水曜日
2011年10月2日日曜日
Good News and Bad News(その2)
さて、前の記事の続きだが、昨日の閣議決定にはもう一つ大きな決定があった。こちらがBad Newsである。それは「宇宙空間の開発・利用の戦略的な推進体制の構築について(以下、体制決定)」である。
すでに前の記事で述べたように、2008年の宇宙基本法では宇宙政策の政策決定一元化が書かれている。つまり、これまで文科省や経産省などにバラバラについていた宇宙開発(関連)予算を一元化し、一つの意思決定ラインで日本の宇宙政策を戦略的に決定していく仕組みが描かれていたのである。その中心には、総理大臣を本部長とする宇宙開発戦略本部があり、宇宙開発担当大臣を設置するということは定められており、実際に宇宙基本法成立以降、戦略本部と担当大臣は設置されている。しかし、その戦略本部と担当大臣を支える行政機構については「一元化」という表現しか使われておらず、具体的にどのような形で一元化を進めるのかが明示されていない。
というのも、当時、宇宙基本法の共同提案を行った自民党と民主党の間で、この行政機構に関するイメージが共有されておらず、当時野党の民主党は「日本版NASAを作る」と主張し、より集権的で技術開発も政策立案も行う大きな仕組みを提案していたのに対し、自民党は「宇宙開発戦略本部を中心とする行政的な機構」を想定し、現在のJAXAのような技術開発機関は残す方針を示していた。
また、この一元化を実現するためには、それによって不利益をこうむる既得権益をもつ組織を納得させなければならなかった。その組織とは、日本の宇宙開発を主導し、その中心にあり続けた文科省(ないしは旧科技庁)である。
文科省にとって、宇宙開発は単なる既得権益以上の意味を持っているのではないかというのが筆者の見立てである。というのも、1999年の東海村におけるJCO事故をきっかけに、2001年の省庁再編で原子力局は経産省傘下の資源エネルギー庁、原子力安全局を経産省傘下の原子力安全保安院に奪われた旧科技庁にとって、宇宙は残された巨大プロジェクト分野であったからである。仮に宇宙基本法に従って、宇宙分野まで失ってしまえば、旧科技庁が行ってきた事業のほとんどが否定されるような状況になると言う組織的アイデンティティの問題があるからである。
そのため、文科省は宇宙政策の一元化に対して極めて強い抵抗を示し、宇宙基本法で示されているにも関わらず、それが実行されないという「違法状態」が続いている。このような文科省の抵抗によって一元化が進まないことに対し、宇宙政策決定過程の不効率や、「研究開発」のみを所掌する文科省が宇宙予算の大半を握っている状態を続けることで、「開発から利用へ」というシフトがなかなか進まないことが問題とされており、一刻も早い一元化を目指すべく、さまざまな議論がなされてきた。
しかし、今回の体制決定は、そうした議論を無視し、文科省がその既得権益を維持することを閣議決定したものと見ることができる。というのも、この体制決定では、「内閣府に我が国宇宙政策の司令塔機能と準天頂衛星システムの開発・整備・運用等施策実施機能を担当する耐性を構築するために必要な法案」を次期通常国会に提出する、とはされているが、以下のような留保がついている。
これらをまとめて言えば、内閣府には司令塔機能を移すが、JAXAと予算は文科省が独占させていただきます、という話である。つまり、文科省は政策決定の「司令塔機能」(これも行政用語としては今一つ輪郭がはっきりしていない言葉)は渡してもよいが、JAXAに流す予算は渡さない、ということを明示したに等しい。
ここから明らかになることは、(1)次期通常国会で内閣府に宇宙政策に関する部局ができること、(2)その部局は少なくとも準天頂に関しては予算を取ることができること、(3)しかし、それ以外の宇宙開発予算は基本的にこれまで通り文科省とその他の省庁に流れること、という三点である。
これは「一元化」という観点からみれば、ほとんど前進していないと言わざるを得ない。しかし、それでも一歩は一歩である。Bad Newsではあるが、まったく光明が見えない話ではない。
準天頂で可能であったように、最初に研究開発は文科省=JAXAで進め、それが整備・運用、つまり利用の段階に入ってくると、内閣府が担当し、予算を取ってくると言うパターンを作り出すことは可能だ。研究開発はあくまでも文科省が行うが、どのようなプロジェクトを進め、どのような研究開発を進めるべきかを判断するのは、宇宙開発戦略本部であり、内閣府の宇宙政策の司令塔である。その意味では、文科省はこれまでのような宇宙開発の「大半」を担当するのではなく、あくまでも全体の「一部」を担うだけの役所ということになるだろう。
重要なことは、これからの日本の宇宙開発が単に研究開発で終わるのではなく、最終的に利用につながる研究開発を進めるということである。単なる研究開発で終わってしまうのであれば、これまでと変わらない。しかし、新たにできる内閣府の司令塔が、研究開発から利用までの大きなビジョンを描き、その研究開発の部分を文科省が担当すると言う分業体制が確立すれば、宇宙基本法で目指した体制に近づくと言える。
こう考えると、今回の体制決定はそれほど悪いものではないように見えるかもしれない。しかし、それでもBad Newsとしてタイトルをつけたくなるのは、現実の宇宙政策を考える上で、現状の財政的な制約を考えると、文科省と内閣府が麗しく共存することが難しいと思われるからである。
宇宙開発予算はすべての役所に配分されているものを合わせても、3000億円程度の規模である。これは内閣府に司令塔機能ができても、それほど大きくは変わらないどころか、財政状況を考えれば減っていくと見るのが自然であろう。そう考えると、内閣府が利用のプロジェクトを進めれば進めるほど、文科省に回っていく研究開発予算は減っていく。単純なゼロ・サム・ゲームだ。
そうなると、文科省は自らの予算を何とか確保しようと、内閣府で進める利用プロジェクトの足を引っ張り、研究開発プロジェクトを増やそうとしていくインセンティブを持つことになる。そうなると、宇宙基本法が目指した「開発から利用」という一貫した宇宙政策の展開は難しくなり、「開発か利用か」という争いが起きる可能性もある。
しかし、宇宙基本法はそうなった場合の裁定方式もきちんと用意してある。それは、総理大臣を本部長とする宇宙開発戦略本部の存在である。これは総理を本部長とし、すべての閣僚がメンバーとなる、閣議と同等の位置付けにある。そのため、文科省と内閣府の間で「開発か利用か」という争いが生じた時、それを裁定し、日本の宇宙開発がどのような方向性を持って進められるべきなのか、ということを政治が決定することになる。
これは、これまで文科省の役人やJAXAの技術者が中心となって進めてきた宇宙開発の仕組みを大きく変えるものであり、そうした政治的な決定を高いレベルで行うことで、日本の宇宙開発が国家戦略の一部として遂行されるということを意味する。
奇しくも、野田総理大臣は自公民三党合意で宇宙基本法を国会に提出する際、民主党の科学技術PTのリーダーとして、民主党を代表して宇宙基本法を推進した方である。そういう人が総理大臣にいる限り、文科省が既得権益の維持を目指して、内閣府の司令塔機能とバトルを繰り返したとしても、政治の力で裁定をし、問題を解決することができるだろう。これまで様々な期待を裏切ってきた民主党であるだけに、なんとも心許ないが。
すでに前の記事で述べたように、2008年の宇宙基本法では宇宙政策の政策決定一元化が書かれている。つまり、これまで文科省や経産省などにバラバラについていた宇宙開発(関連)予算を一元化し、一つの意思決定ラインで日本の宇宙政策を戦略的に決定していく仕組みが描かれていたのである。その中心には、総理大臣を本部長とする宇宙開発戦略本部があり、宇宙開発担当大臣を設置するということは定められており、実際に宇宙基本法成立以降、戦略本部と担当大臣は設置されている。しかし、その戦略本部と担当大臣を支える行政機構については「一元化」という表現しか使われておらず、具体的にどのような形で一元化を進めるのかが明示されていない。
というのも、当時、宇宙基本法の共同提案を行った自民党と民主党の間で、この行政機構に関するイメージが共有されておらず、当時野党の民主党は「日本版NASAを作る」と主張し、より集権的で技術開発も政策立案も行う大きな仕組みを提案していたのに対し、自民党は「宇宙開発戦略本部を中心とする行政的な機構」を想定し、現在のJAXAのような技術開発機関は残す方針を示していた。
また、この一元化を実現するためには、それによって不利益をこうむる既得権益をもつ組織を納得させなければならなかった。その組織とは、日本の宇宙開発を主導し、その中心にあり続けた文科省(ないしは旧科技庁)である。
文科省にとって、宇宙開発は単なる既得権益以上の意味を持っているのではないかというのが筆者の見立てである。というのも、1999年の東海村におけるJCO事故をきっかけに、2001年の省庁再編で原子力局は経産省傘下の資源エネルギー庁、原子力安全局を経産省傘下の原子力安全保安院に奪われた旧科技庁にとって、宇宙は残された巨大プロジェクト分野であったからである。仮に宇宙基本法に従って、宇宙分野まで失ってしまえば、旧科技庁が行ってきた事業のほとんどが否定されるような状況になると言う組織的アイデンティティの問題があるからである。
そのため、文科省は宇宙政策の一元化に対して極めて強い抵抗を示し、宇宙基本法で示されているにも関わらず、それが実行されないという「違法状態」が続いている。このような文科省の抵抗によって一元化が進まないことに対し、宇宙政策決定過程の不効率や、「研究開発」のみを所掌する文科省が宇宙予算の大半を握っている状態を続けることで、「開発から利用へ」というシフトがなかなか進まないことが問題とされており、一刻も早い一元化を目指すべく、さまざまな議論がなされてきた。
しかし、今回の体制決定は、そうした議論を無視し、文科省がその既得権益を維持することを閣議決定したものと見ることができる。というのも、この体制決定では、「内閣府に我が国宇宙政策の司令塔機能と準天頂衛星システムの開発・整備・運用等施策実施機能を担当する耐性を構築するために必要な法案」を次期通常国会に提出する、とはされているが、以下のような留保がついている。
(1)「宇宙庁(仮称)」的な一元化ではない形で実効的な宇宙開発利用体制を構築すること。なお、宇宙庁については、科学技術・イノベーション政策の検討とも連携しつつ、将来的な課題として引き続き検討する。さらに、「独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の主務省については、これまでの文部科学省による監督実績及びその予算の大部分を文部科学省が支出していることを尊重しつつ、宇宙開発戦略本部を支える内閣府が司令塔機能の実効性をどのように確保するかについて検討を行う」という文言が入っている。
(2)内閣府の司令塔機能と準天頂衛星システムの開発・整備・運用等実施機能を行政組織のどのレベルで切り分けるかについては中立公正の要請および組織の肥大化防止の要請を踏まえた実効的な宇宙開発利用体制の構築に向け検討を行うこと。
これらをまとめて言えば、内閣府には司令塔機能を移すが、JAXAと予算は文科省が独占させていただきます、という話である。つまり、文科省は政策決定の「司令塔機能」(これも行政用語としては今一つ輪郭がはっきりしていない言葉)は渡してもよいが、JAXAに流す予算は渡さない、ということを明示したに等しい。
ここから明らかになることは、(1)次期通常国会で内閣府に宇宙政策に関する部局ができること、(2)その部局は少なくとも準天頂に関しては予算を取ることができること、(3)しかし、それ以外の宇宙開発予算は基本的にこれまで通り文科省とその他の省庁に流れること、という三点である。
これは「一元化」という観点からみれば、ほとんど前進していないと言わざるを得ない。しかし、それでも一歩は一歩である。Bad Newsではあるが、まったく光明が見えない話ではない。
準天頂で可能であったように、最初に研究開発は文科省=JAXAで進め、それが整備・運用、つまり利用の段階に入ってくると、内閣府が担当し、予算を取ってくると言うパターンを作り出すことは可能だ。研究開発はあくまでも文科省が行うが、どのようなプロジェクトを進め、どのような研究開発を進めるべきかを判断するのは、宇宙開発戦略本部であり、内閣府の宇宙政策の司令塔である。その意味では、文科省はこれまでのような宇宙開発の「大半」を担当するのではなく、あくまでも全体の「一部」を担うだけの役所ということになるだろう。
重要なことは、これからの日本の宇宙開発が単に研究開発で終わるのではなく、最終的に利用につながる研究開発を進めるということである。単なる研究開発で終わってしまうのであれば、これまでと変わらない。しかし、新たにできる内閣府の司令塔が、研究開発から利用までの大きなビジョンを描き、その研究開発の部分を文科省が担当すると言う分業体制が確立すれば、宇宙基本法で目指した体制に近づくと言える。
こう考えると、今回の体制決定はそれほど悪いものではないように見えるかもしれない。しかし、それでもBad Newsとしてタイトルをつけたくなるのは、現実の宇宙政策を考える上で、現状の財政的な制約を考えると、文科省と内閣府が麗しく共存することが難しいと思われるからである。
宇宙開発予算はすべての役所に配分されているものを合わせても、3000億円程度の規模である。これは内閣府に司令塔機能ができても、それほど大きくは変わらないどころか、財政状況を考えれば減っていくと見るのが自然であろう。そう考えると、内閣府が利用のプロジェクトを進めれば進めるほど、文科省に回っていく研究開発予算は減っていく。単純なゼロ・サム・ゲームだ。
そうなると、文科省は自らの予算を何とか確保しようと、内閣府で進める利用プロジェクトの足を引っ張り、研究開発プロジェクトを増やそうとしていくインセンティブを持つことになる。そうなると、宇宙基本法が目指した「開発から利用」という一貫した宇宙政策の展開は難しくなり、「開発か利用か」という争いが起きる可能性もある。
しかし、宇宙基本法はそうなった場合の裁定方式もきちんと用意してある。それは、総理大臣を本部長とする宇宙開発戦略本部の存在である。これは総理を本部長とし、すべての閣僚がメンバーとなる、閣議と同等の位置付けにある。そのため、文科省と内閣府の間で「開発か利用か」という争いが生じた時、それを裁定し、日本の宇宙開発がどのような方向性を持って進められるべきなのか、ということを政治が決定することになる。
これは、これまで文科省の役人やJAXAの技術者が中心となって進めてきた宇宙開発の仕組みを大きく変えるものであり、そうした政治的な決定を高いレベルで行うことで、日本の宇宙開発が国家戦略の一部として遂行されるということを意味する。
奇しくも、野田総理大臣は自公民三党合意で宇宙基本法を国会に提出する際、民主党の科学技術PTのリーダーとして、民主党を代表して宇宙基本法を推進した方である。そういう人が総理大臣にいる限り、文科省が既得権益の維持を目指して、内閣府の司令塔機能とバトルを繰り返したとしても、政治の力で裁定をし、問題を解決することができるだろう。これまで様々な期待を裏切ってきた民主党であるだけに、なんとも心許ないが。
2011年10月1日土曜日
Good News and Bad News(その1)
昨日、野田内閣の閣議で「宇宙空間の開発・利用の戦略的な推進体制の構築について」と「実用準天頂衛星システム事業の推進の基本的な考え方」という二つの決定がなされた。これまで日本の宇宙政策を踏まえて考えると、とても興味深い二つの決定であり、今後の日本の宇宙開発に色々な影響をもたらす可能性のある決定だと考えている。
まず二番目の決定(以下、準天頂決定)から考えてみたい。この準天頂衛星は非常に複雑な歴史を背負ってきたプロジェクトであり、この決定に至るまで、10年以上の歳月を費やしてここに至った、ある意味感慨深いものである。
準天頂衛星は、そもそも2000年に経団連や日本航空宇宙工業会という宇宙産業界のイニシアチブによって始まったプロジェクトであり、当時、欧州で進められていたガリレオプロジェクトにヒントを得て(というか、かなり真似をして)、官民協力プロジェクトとして提案されたものであった。当初、準天頂衛星プロジェクトは、GPSのような測位衛星に、移動体通信や放送サービスを可能にする機材を搭載し、測位は国が、通信放送は民間が行うというかなり野心的なプロジェクトであった。国と民間が共に資金を出し合って衛星を開発、打ち上げ、運用するという計画で、日本で初めての官民協力プロジェクトであり、新たな宇宙開発利用の時代を予感させるものであった。
しかし、欧州のガリレオが進めていた官民協力のメカニズムも、結局、GPSの信号を無料で受信できるという条件の中で、有料の測位信号でビジネスを成立させることが無理、ということが判明し、欧州の民間企業はガリレオプロジェクトから撤退した。それと同じく、日本の準天頂衛星に関しても、測位衛星に通信放送機能を搭載することが技術的に難しいことが判明し、民間が撤退することとなった。
そうなると、準天頂衛星は国の事業部分である測位機能だけが残ることになる。しかし、国(とりわけ国交省)は、民間が始め、民間が金を出すから参加するという姿勢であったのに、いつの間にか、すべてのコストを国が負担し、運用の責任も国が負担するというのは話が違う、といって、準天頂衛星に対するネガティブな姿勢を取るようになった。
ところが、準天頂衛星が実現することを前提にしていた宇宙産業界は、国の消極的な姿勢に対して、さまざまな政治的な働きかけを行い、何とかこのプロジェクトを継続しようと頑張った。その結果、2006年の段階では開発四省(文科省、経産省、国交省、総務省)と内閣府および内閣官房が連帯責任を持ち、文科省が「技術開発」の名目で準天頂衛星3機のうち1機を開発し、残りの2号機、3号機については「民間の事業化判断」に基づいて推進するかどうか決める、という話になった。
元々民間が始めたプロジェクトなのに、民間が撤退し、それでも継続するという流れになっていた準天頂は、ここにきて究極の宙ぶらりん状態になり、それが数年続くことになった。
それが大きく変わったのが2010年9月である。2010年9月に準天頂衛星の初号機「みちびき」が打ち上げられ、その打ち上げが成功したことで、部分的には準天頂衛星システムが動き始めたのである。
そうなると、政府としても3機必要なシステムを1機だけ打ち上げて運用しているという状態に説明がつかなくなってきた。かといって、そもそも国が自分で言い出したわけでもないプロジェクトをどこかの役所が引き受けるということもなく、その宙ぶらりん状態が解消する見込みはほとんどなかった。
しかし、2006年と2010年では一つ大きな違いがあった。それは2008年に自民・公明・民主三党の共同提案による議員立法である宇宙基本法が成立していたことであった。宇宙基本法では、宇宙開発担当大臣が存在し(2010年9月当時は前原国交大臣が兼務)、宇宙開発戦略本部という、これまでにはなかった、国家戦略的な意思決定の場があった(といっても、あまり機能してはいなかったが、その事務局が文科省や経産省から離れて政策立案調査を行うことができた)。
そのため、前原宇宙開発担当大臣がイニシアチブをとり、準天頂衛星を1機だけでとどめるのではなく、きちんとしたシステムとして構築するという政策的方向性が打ち出されることになった。その時のキーワードになったのが「持続可能な測位」である。
欧州がガリレオを進めたのも、中国やロシアやインドがGPSという無料の測位信号を使えるにも関わらず、自らの測位衛星システムを構築しようとしているのは、GPSがアメリカの軍事システムであり、いつ、何時アメリカの都合でGPSが使えなくなるかわからない、アメリカが正確な位置情報を提供し続けるかどうかわからない、というリスクがある、という問題があるからである。つまり、各国とも、GPSに依存せずとも持続的に自分たちで測位ができるようにすることは、国家の責任である、との認識を高めているからである。測位情報(地理空間情報)が社会生活、経済活動の中に深く浸透している現代において、一国の都合でその信号が受けられなくなった場合に発生する社会的な混乱や経済的な損害が非常に大きくなるという懸念(加えて安全保障上の懸念を抱える国もあるだろう)があるから、各国とも自国の測位衛星システムを構築するのである。
そうした流れの中で、日本も自らの測位衛星システムである準天頂衛星システムを構築し、「持続可能な測位」を確立することが重要と判断され、それを実現するための議論が積み重ねられたのである。
前置きが長くなったが、こうした環境の変化と議論の積み重ねにより、昨日、準天頂決議が採択され、閣議決定として「2010年代後半を目処に4機体制を整備する」ことが定められ、さらに「将来的には、持続測位が可能となる7機体制を目指すこととする」という決定がなされた。
2006年の段階では準天頂衛星は3機体制と言われていたが、ここには問題があった。準天頂衛星は日本からみると、ちょうど天頂近く(つまり自分の真上の空)に衛星があるように見えるため、準天頂衛星と呼ばれているが、衛星をこのような位置に配置するためには、特殊な軌道に衛星を乗せる必要がある。また、1機の衛星が準天頂(天頂近く)に滞在できるのは、長くても8時間しかなく、常に準天頂に見えるようにするためには3機が必要(8時間×3機で24時間)だが、衛星はしばしば自らの位置を補正するためにメンテナンスに入るため、3機であれば、衛星から信号を受けられなくなる時間が生じる。そのため、24時間常に信号を受信するためには予備の1機を含む4機体制が必要なのである。
さらに、衛星からの信号で測位をするためには、準天頂に1機だけ見えているだけでは不十分で、自分の位置を割り出すためには4機の衛星から信号を得る必要がある。4機体制の場合、準天頂1機とGPS衛星からの信号とを合わせて自らの位置を割り出すため、GPSが停止した場合は持続的な測位はできない。そのため、常に衛星が4機見えるよう、準天頂衛星4機に加え、静止軌道に同じ信号を出す衛星を3機揃えることで、常に準天頂にある衛星と静止軌道にある衛星からの信号を受けて持続可能な測位を可能にする、ということを意味している。
なので、準天頂決定において「4機体制+将来的に7機体制」という決定がなされたのは、準天頂衛星が将来に向けて持続可能な測位を可能にするシステムとして進められるということを意味しており、その意味では、この閣議決定は極めて重要な意味を持つ。
また、これが決定されたことで、2006年から続いていた宙ぶらりん状態は解消し、新たな宇宙開発の仕組みが生まれることとなった。これまでは開発四省+内閣府と内閣官房といういびつな状況にあり、予算は文科省の研究開発予算しか付けられなかった準天頂衛星であるが、この準天頂決定では「我が国として実用準天頂衛星システムの開発・整備・運用は、準天頂衛星初号機「みちびき」の成果を活用しつつ、内閣府が実施することとし、関連する予算要求を行うものとする」として、内閣府にその開発・整備・運用権限を与えたからである。
これによって、開発四省などから離れ、内閣府が独自で予算要求を行い、衛星の運用にまで至る過程をすべて管理することとなった。これは2006年の状況とは大きく変わった点であり、ようやっと準天頂が居場所を見つけたのである。
また、これによって、これまで宇宙開発の主導権を握ってきた文科省でも、またそのライバルとして独自のプログラムを進めてきた経産省でもなく、内閣府で準天頂衛星を整備・運用することで、その衛星からの信号を他の省庁が利用し、公的なインフラとして準天頂衛星システムを活用することができるようになったのである。
これは2008年の宇宙基本法が目指してきた、「開発から利用へ」という流れを実現する第一歩として記された大きな決定であると同時に、宇宙基本法が進めるべきとしていた、政策決定の一元化に一歩近づくものとして見ることができる。
ここまでがGood Newsである。ちょっと長くなったので、記事を変えてBad Newsを説明したい。
まず二番目の決定(以下、準天頂決定)から考えてみたい。この準天頂衛星は非常に複雑な歴史を背負ってきたプロジェクトであり、この決定に至るまで、10年以上の歳月を費やしてここに至った、ある意味感慨深いものである。
準天頂衛星は、そもそも2000年に経団連や日本航空宇宙工業会という宇宙産業界のイニシアチブによって始まったプロジェクトであり、当時、欧州で進められていたガリレオプロジェクトにヒントを得て(というか、かなり真似をして)、官民協力プロジェクトとして提案されたものであった。当初、準天頂衛星プロジェクトは、GPSのような測位衛星に、移動体通信や放送サービスを可能にする機材を搭載し、測位は国が、通信放送は民間が行うというかなり野心的なプロジェクトであった。国と民間が共に資金を出し合って衛星を開発、打ち上げ、運用するという計画で、日本で初めての官民協力プロジェクトであり、新たな宇宙開発利用の時代を予感させるものであった。
しかし、欧州のガリレオが進めていた官民協力のメカニズムも、結局、GPSの信号を無料で受信できるという条件の中で、有料の測位信号でビジネスを成立させることが無理、ということが判明し、欧州の民間企業はガリレオプロジェクトから撤退した。それと同じく、日本の準天頂衛星に関しても、測位衛星に通信放送機能を搭載することが技術的に難しいことが判明し、民間が撤退することとなった。
そうなると、準天頂衛星は国の事業部分である測位機能だけが残ることになる。しかし、国(とりわけ国交省)は、民間が始め、民間が金を出すから参加するという姿勢であったのに、いつの間にか、すべてのコストを国が負担し、運用の責任も国が負担するというのは話が違う、といって、準天頂衛星に対するネガティブな姿勢を取るようになった。
ところが、準天頂衛星が実現することを前提にしていた宇宙産業界は、国の消極的な姿勢に対して、さまざまな政治的な働きかけを行い、何とかこのプロジェクトを継続しようと頑張った。その結果、2006年の段階では開発四省(文科省、経産省、国交省、総務省)と内閣府および内閣官房が連帯責任を持ち、文科省が「技術開発」の名目で準天頂衛星3機のうち1機を開発し、残りの2号機、3号機については「民間の事業化判断」に基づいて推進するかどうか決める、という話になった。
元々民間が始めたプロジェクトなのに、民間が撤退し、それでも継続するという流れになっていた準天頂は、ここにきて究極の宙ぶらりん状態になり、それが数年続くことになった。
それが大きく変わったのが2010年9月である。2010年9月に準天頂衛星の初号機「みちびき」が打ち上げられ、その打ち上げが成功したことで、部分的には準天頂衛星システムが動き始めたのである。
そうなると、政府としても3機必要なシステムを1機だけ打ち上げて運用しているという状態に説明がつかなくなってきた。かといって、そもそも国が自分で言い出したわけでもないプロジェクトをどこかの役所が引き受けるということもなく、その宙ぶらりん状態が解消する見込みはほとんどなかった。
しかし、2006年と2010年では一つ大きな違いがあった。それは2008年に自民・公明・民主三党の共同提案による議員立法である宇宙基本法が成立していたことであった。宇宙基本法では、宇宙開発担当大臣が存在し(2010年9月当時は前原国交大臣が兼務)、宇宙開発戦略本部という、これまでにはなかった、国家戦略的な意思決定の場があった(といっても、あまり機能してはいなかったが、その事務局が文科省や経産省から離れて政策立案調査を行うことができた)。
そのため、前原宇宙開発担当大臣がイニシアチブをとり、準天頂衛星を1機だけでとどめるのではなく、きちんとしたシステムとして構築するという政策的方向性が打ち出されることになった。その時のキーワードになったのが「持続可能な測位」である。
欧州がガリレオを進めたのも、中国やロシアやインドがGPSという無料の測位信号を使えるにも関わらず、自らの測位衛星システムを構築しようとしているのは、GPSがアメリカの軍事システムであり、いつ、何時アメリカの都合でGPSが使えなくなるかわからない、アメリカが正確な位置情報を提供し続けるかどうかわからない、というリスクがある、という問題があるからである。つまり、各国とも、GPSに依存せずとも持続的に自分たちで測位ができるようにすることは、国家の責任である、との認識を高めているからである。測位情報(地理空間情報)が社会生活、経済活動の中に深く浸透している現代において、一国の都合でその信号が受けられなくなった場合に発生する社会的な混乱や経済的な損害が非常に大きくなるという懸念(加えて安全保障上の懸念を抱える国もあるだろう)があるから、各国とも自国の測位衛星システムを構築するのである。
そうした流れの中で、日本も自らの測位衛星システムである準天頂衛星システムを構築し、「持続可能な測位」を確立することが重要と判断され、それを実現するための議論が積み重ねられたのである。
前置きが長くなったが、こうした環境の変化と議論の積み重ねにより、昨日、準天頂決議が採択され、閣議決定として「2010年代後半を目処に4機体制を整備する」ことが定められ、さらに「将来的には、持続測位が可能となる7機体制を目指すこととする」という決定がなされた。
2006年の段階では準天頂衛星は3機体制と言われていたが、ここには問題があった。準天頂衛星は日本からみると、ちょうど天頂近く(つまり自分の真上の空)に衛星があるように見えるため、準天頂衛星と呼ばれているが、衛星をこのような位置に配置するためには、特殊な軌道に衛星を乗せる必要がある。また、1機の衛星が準天頂(天頂近く)に滞在できるのは、長くても8時間しかなく、常に準天頂に見えるようにするためには3機が必要(8時間×3機で24時間)だが、衛星はしばしば自らの位置を補正するためにメンテナンスに入るため、3機であれば、衛星から信号を受けられなくなる時間が生じる。そのため、24時間常に信号を受信するためには予備の1機を含む4機体制が必要なのである。
さらに、衛星からの信号で測位をするためには、準天頂に1機だけ見えているだけでは不十分で、自分の位置を割り出すためには4機の衛星から信号を得る必要がある。4機体制の場合、準天頂1機とGPS衛星からの信号とを合わせて自らの位置を割り出すため、GPSが停止した場合は持続的な測位はできない。そのため、常に衛星が4機見えるよう、準天頂衛星4機に加え、静止軌道に同じ信号を出す衛星を3機揃えることで、常に準天頂にある衛星と静止軌道にある衛星からの信号を受けて持続可能な測位を可能にする、ということを意味している。
なので、準天頂決定において「4機体制+将来的に7機体制」という決定がなされたのは、準天頂衛星が将来に向けて持続可能な測位を可能にするシステムとして進められるということを意味しており、その意味では、この閣議決定は極めて重要な意味を持つ。
また、これが決定されたことで、2006年から続いていた宙ぶらりん状態は解消し、新たな宇宙開発の仕組みが生まれることとなった。これまでは開発四省+内閣府と内閣官房といういびつな状況にあり、予算は文科省の研究開発予算しか付けられなかった準天頂衛星であるが、この準天頂決定では「我が国として実用準天頂衛星システムの開発・整備・運用は、準天頂衛星初号機「みちびき」の成果を活用しつつ、内閣府が実施することとし、関連する予算要求を行うものとする」として、内閣府にその開発・整備・運用権限を与えたからである。
これによって、開発四省などから離れ、内閣府が独自で予算要求を行い、衛星の運用にまで至る過程をすべて管理することとなった。これは2006年の状況とは大きく変わった点であり、ようやっと準天頂が居場所を見つけたのである。
また、これによって、これまで宇宙開発の主導権を握ってきた文科省でも、またそのライバルとして独自のプログラムを進めてきた経産省でもなく、内閣府で準天頂衛星を整備・運用することで、その衛星からの信号を他の省庁が利用し、公的なインフラとして準天頂衛星システムを活用することができるようになったのである。
これは2008年の宇宙基本法が目指してきた、「開発から利用へ」という流れを実現する第一歩として記された大きな決定であると同時に、宇宙基本法が進めるべきとしていた、政策決定の一元化に一歩近づくものとして見ることができる。
ここまでがGood Newsである。ちょっと長くなったので、記事を変えてBad Newsを説明したい。