2016年6月26日日曜日

「デマ」時代の民主主義

イギリスの国民投票の結果を受けて、世界中が混乱している。為替相場も株式市場も投票の行方に左右され、欧州各国もその結果を受けて右往左往している。その詳細は既にあちこちで議論されているので、ここで繰り返すつもりはない。

ただ、イギリスのEU離脱の衝撃の影で大変気になることが一つある。それは、国民投票の結果が出てから24時間も経たないうちに、勝利した離脱派が、自ら主張した内容が虚偽であることを認めたということである。

ガーディアン紙はLeave campaign rows back on key immigration and NHS pledgesという記事で、離脱派のリーダーであったイギリス独立党(UKIP)のファラージュ党首は「EUに供出している3億5千万ポンドがNHS(国民保険制度)に支払われる」というのは間違いであることを認め、離脱派で保守党の欧州議会議員であるハナンは「離脱に投票した人はEUからの移民がゼロになると期待しているが、その期待は裏切られる」と発言したと伝えている。ハナンは「離脱をすることで、誰がどのくらいの人数入ってくるかのコントロールを少し強化するだけだ」とも語っている。

離脱に投票した人たちが何を期待したのか、ということを正確に知ることは難しいが、少なくとも国民投票前のキャンペーンではEUへの拠出金を国内に向けること、EUからの移民(しばしばシリアなどからの難民のイメージに重ね合わせて)を減らすことが出来る、ということを主張していたことは間違いない。それらが実現すると期待して投票した人たちから見れば、これらの発言は大きな衝撃であり、裏切りに見えるのかもしれない。

こうした「誇張された主張」、もう少し厳しく言えば「デマ」が公的な言説空間に持ち込まれ、それが政治的な決定を大きく左右するような影響力を持つことを大変危惧する。

この状況はイギリスだけでなく、アメリカでの「トランプ現象」にもみられる。メキシコとの国境に壁を築き、メキシコに支払わせる、日本や韓国の核武装を容認するといった、およそ現実的に実現可能性が低い主張を公の場で、何の確証もないまま選挙キャンペーンに用い、その結果、共和党の予備選を勝ち抜け、大統領候補としての指名を確実にするというところまで来ている。実際、大統領候補の発言のファクトチェックをしているサイトではトランプの発言は41%が「False(誤り)」であり、20%は「Pants on Fire(真っ赤なウソ)」であるとしている。

このような「デマ」がここまで力を持ちうるのはなぜか。

一つにはそうした幻想ともいえるような非現実的な政策であっても、公の場で語られることによって「本当に実現可能なのかもしれない」と思わせるような舞台設定があるからだと考えている。これまで公の場で語られることというのは、何らかのフィルターを通してチェックを受け、事実関係を押さえられた上で、実現可能という見込みがあるということが前提となっていた。そのため、「まさかそこまで嘘を言うはずはない」とか「きっと何らかの腹案があるはずだ」という期待があるため、いかに荒唐無稽なことであっても、それを信じる根拠として「公の場」で語られているということがあるように思える。

この現象は、SNS時代の政治コミュニケーションの特徴なのかもしれない、という気もしている。SNSではしばしば繰り返される「デマ」は見慣れた風景になっているが、その「デマ」が拡散され、多くの人に共有される現象を見ていると、それがSNSという場で表明されるということは「何らかの根拠があるに違いない」といった暗黙の期待があるように思う。また、その「デマ」を信じることで、自らの不満や怒りを収め、それらの感情を代弁してくれていると溜飲を下げ、それを信じ込むことで「デマ」が作り出す幻想に身を委ねることで心の安寧を獲得するということも、SNSの中では多く見られる。

こうした「デマ」への耐性の低さ、ないしは「デマ」に身を委ねることの容易さが、EU離脱派やトランプ支持者にもあるのではないかと思うのである。厳しい現実を前にして、日々の不満や鬱憤を晴らしてくれるような爽快な言説が公の場で展開されているのを見て、拍手喝采を送りたくなる気持ちというのが、こうした「デマ」への支持に転化しており、ファラージュもトランプもそれを知りながら、意図的に「デマ」を展開しているという側面もあるのだろう。

つまり、公的な場で「デマ」を繰り広げることへの自己抑制を失った政治家が、自らの権力を得る手段として「デマ」を意図的に活用するのが当たり前になった、と言うことなのだろう。

もう一つ気になるのは、こうした「デマ」を抑止する仕組みが機能していないことである。イギリスの国民投票においても、離脱派の主張を否定し、現実的ではないと指摘するメディアは数多くあった。しかし、その訴えは全くと言ってよいほど広がりを見せなかった。むしろ、現実に不満を持っている人たちから見れば、そうした「デマ」の否定は、エリートによる抑圧や既得権益の保全のための言説として見られていたのではないか、と考えている。

「デマ」を否定する人たちは、そうした合理的で理性的で冷静な分析をしたのだろうが、そうした冷静さそのものが忌避感をもって受け入れられているということは事実だろう。日々の生活にムカついている人たちにとって、「上から目線」であれこれ言われることほどムカつくことはない。その意味で、「デマ」をデマであると否定すればするほど、「デマ」が力を持つという循環が生まれてしまっている。

では、どうすればよいのか、ということについて答えはない。SNSでの「デマ」であれば、その「デマ」を否定する言説が多数現れ、それによって「デマ」が一部の人達に共有されるにとどまる、という現象も起きる。しかし、それがマスメディアを通じて拡散され、否定することが「デマ」を信じる人たちに拒否されるようになると、その先に「デマ」を否定する言説を展開する余地は無くなっていく。今回のEU離脱派のように、国民投票の直後に「デマ」であることを認めるというのは一つの方法であろうが、それは結果が出た後であり、ほとんど意味はない。つまり、現代は民主主義、とりわけ国民投票やアメリカ大統領選のような直接民主主義に近い仕組みにおいて、「デマ」が勝つ時代であり、その「デマ」を意図的に利用する政治家が存在する限り、政治が混乱する、という時代なのだ、という自覚を持つことがまずは大事だと考える。

つまり、「デマ」は元から断つことが大事なことであり、いったん「デマ」が出回ると、それを否定することは難しい。故に、政治家が「デマ」を活用しようとする誘惑をいかに断って行くか、ということが第一にやらなければいけないことである。政治家個人の倫理の問題でもあるが、同時に政治家を監視し、チェックするメディアの役目でもあるだろう。

またメディアの役目としては、もう一つ、そうした「デマ」を拡散しない、という役割もあるだろう。EU離脱派を支持したのはタブロイド紙が多かったが、これらのメディアが「デマ」を拡散することは昔からだったとはいえ、そうしたタブロイド紙による「デマ」の拡散を抑制する仕組み(それがどのようなものになるのかはわからないが…。)も考えていかなければならないだろう。

さらに、こうした「デマ」はSNSによって拡散されていく。既に述べたようにSNSで拡散されるデマは場合によっては抑制することは可能であるが、常にうまくいくとは限らない。そのため、SNSを利用する人たちが、そうした「デマ」を拡散しないことを意識していくしかない。しかし、これも容易な話ではない。

つまり、現代の政治、なかんずく直接民主主義的な環境においては、こうした「デマ」がはびこり、「悪貨が良貨を駆逐する」ような状況にある、ということは避けられないことなのであろう。しかし、避けられないからといって民主主義そのものを否定することはできないし、民主主義を否定すれば状況はさらに悪化するであろう。であるからこそ、現代の政治においては、より一層、個々人の意識、「デマ」に対する抑制的な態度が求められるようになっている。そうしたことをどのように実現するのか、ということは永遠の課題ではあるが、少なくとも、まずは現状をきちんと認識し、「デマ」がはびこる民主主義の時代に入ったことを前提に、これからの民主主義を考えていく必要があるのではないかと思うのである。

今回はEU離脱派やトランプ現象を踏まえて議論をしてみたが、良く考えれば日本でも、「最低でも県外」といった、実現性の薄い主張をして政権を取った政党があったことを思い出す。そして実現性の薄い主張が実現せず、残念な思いをしたことの記憶も新しい。「デマ」時代の民主主義は米英だけの話ではなく、日本でもすぐそこにある問題なのである。

2016年6月24日金曜日

イギリスの国民投票後の世界はどうなるかを考えてみました

大変久しぶりにブログ記事を書きます。これまで国連で仕事をしていた際には対外的な発信がなかなかできなかったこと、また、一度文章を日常的に書くことを止めてしまうと、なかなか書こうという意欲がわいてこないということもあり、しばらく放置してしまいました。

しかし、本日のイギリスにおけるEU離脱を巡る国民投票は久しぶりにブログに書くだけのまとまった思考と考察が必要な問題であり、ツイッターなどでの短文では言い尽くせないこともあるので、思いつくままにコメントしたいと思います。

第一に、今回の国民投票は必ずしも法的拘束力があるものではなく、最終的な決定は議会でなされなければならない、ということを確認しておきたいと思います。イギリスには「議会主権」という概念があり、全ての国家的な決定は議会で行うことになっています。とはいえ、今回の国民投票の結果を無視することはできず、いかに残留派が議会内には多いとはいえ、離脱する方向でこれからEUと交渉するということを決定することになると思います。

第二に、EUから離脱するためには長い時間がかかる交渉が必要となります。いみじくも離脱派が主張しているように、EUはあらゆる法律や政策の中に入り込んでおり、それらを解きほぐしながら、EUの影響を受けないようにするための調整をしていく必要があります。この時間がどのくらいかかるか全くわかりませんが、2年から3年くらいはかかるのではないかと思われます。

そうなると、今日離脱に投票をした人たちの感覚としてはせっかく国民投票をして離脱派が勝ったのに何も変わらないという状況が続く、という印象が強くなるのではないかと考えられます。今回の国民投票に先立って、離脱派はEUからの独立やイギリスの自由を謳いましたが、具体的に離脱派が勝った後何が起こるのか、というビジョンを提示していたわけではなく、離脱派が勝ったとはいえ何も変わらないという失望感や残念な思いが募るような状況が生まれる可能性は高いと思います。

第三に、国民投票で離脱派が勝ったとしても現在の議会内の主流派は残留派が多いことです。今のキャメロン首相は国民投票での敗北を受けて首相を辞任するだろうと思いますが、そうなると後継の内閣が誰になるのか。離脱派の中心であったボリス・ジョンソン議員を軸とした内閣が出来るとなると、イギリス独立党(UKIP)なども参加した内閣が出来ると思われますが、その内閣がEUと交渉をして、望ましい結論を得られるかどうか、またEUとの交渉以外の政治をきちんとマネージできるかどうかについては、やや疑問を持っています。これが離脱派に対する失望感とつながってしまう可能性も考えられます。

第四に、イギリスの総選挙は2011年の任期固定制議会法によって5年ごとに行われることになり、先の総選挙が2015年だったので、2020年までは選挙がない状態が続きます。しかし、EUとの交渉の進捗具合や国民の離脱派に対する失望が高まると、残留派が多くいる議会では解散の動議が出る可能性があります。任期固定制議会法では下院(庶民院)の3分の2が同意すれば解散できることになるのですが、残留派だけで3分の2を取るのは難しいとはいえ、国民のムードが離脱派から離れていけば、総選挙になる可能性もあると考えています。

そうなると、離脱派の勢いが落ち、議会で残留派が3分の2をとれば総選挙となり、離脱交渉を続けるかどうかということが争点になった選挙になるかもしれない、と考えています。離脱派の勢いが落ちているのであれば残留派が優位に選挙を進め、多分政権交代を伴って、残留派が勝利するという形になるのではないかと考えます。そうなると離脱交渉が中断され、結局現状維持に戻る可能性もあるのではないかと思います。

もちろん、この間には様々なことが起こりうるので、このようなシナリオになる保証は一切ありませんが、一つの可能性として、これからのあり方を考える上での思考実験として考えてみました。

しかし、これは今回の国民投票で離脱派に票を投じた人たちの不満を解消する結果にはならないと思います。離脱派に投票しても上手くいかず、結局現状維持を選択したとはいえ、それは昨日と変わらない、不満を抱えた日常が続くだけ、と言うことになるわけです。なので、今回の国民投票で見せた国民の不満はずっとくすぶり続け、よほどのこと(例えば想定外の経済成長など)がない限り、国民投票への欲求や不満のはけ口を求める声はこれからも続くように思います。

1973年にEUの前身であるEEC(欧州経済共同体)に加盟したイギリスだが、1975年にはヒース内閣(保守党)の下で国民投票を行っていた(結果はEEC残留)。その当時からイギリス、とりわけ保守党内部にはEurosceptics(欧州懐疑派)がずっと存在し、サッチャーも、メイジャーもこの欧州懐疑派の人達との戦いで疲弊し、政権をコントロールできなくなるという状況を経験していた。今回もキャメロン首相はそうした保守党内の圧力に対抗するために国民投票に救いを求めたのだが、結局国民投票からも離脱を突き付けられ、にっちもさっちもいかなくなってしまいました。イギリスの政治はこれまでもずっと欧州懐疑派との緊張関係の下で続いており、それが今回の国民投票を経ても、まだ続くということは変わらないのだと思います。そういう意味では、今回は歴史的な出来事ではありますが、1973年からずっと続く、イギリスとEUの間で起こってきたことの延長線上にある出来事だとも言えます。

なので、今回の国民投票の結果は衝撃的ではありますが、イギリスとEUの関係はこれからも続いていくものであり、その中で、この結果がどのようにイギリスに、そしてEUに影響していくのかを見ていく必要があるのではないかと考え、このような愚考を披露させていただきました。