2013年11月12日火曜日

宇宙ステーションの船長を巡る国際協力の枠組みの中での駆け引きについて

若田さんが国際宇宙ステーション(ISS)の船長となったことで、マスコミも久々の有人宇宙事業における朗報として、にぎわっている。私のこれまでの著作や論文、エッセイなどをご覧になった方はお分かりだろうが、私は有人宇宙事業そのものに対して批判的ではある。しかし、ISSという事業が存在し、日本がそこに参加し、国際的なコミットメントをしている以上、ISSの運用が終了するまでは、それをすぐさま止めるべきだ、と主張するつもりはない。もっともすぐ止めるという判断を政府がするなら、それは歓迎するが。

ただ、今回の若田さんのISSへの打ち上げを巡る報道を見ると、私が見た範囲でも朝日新聞や東京新聞(私のコメントも掲載)は、打上を歓迎すると同時に、有人宇宙事業を見直す問題提起をしており、これまでの歓迎ムード一辺倒ではない点が興味深かった。

さて、そんな中でツイッターを通じて一つ質問を受けたので、ここでそれにこたえたいと思う。ツイッターは思いついたことを呟くには便利なツールなのだが、まとまった意見を求められると、140字という制約の中で議論を展開するのにはあまり向いていない。なので、字数制限のないブログで書かせてもらっている。

その質問とは次のようなものであった。

日本に船長枠が少なくとも一つあることと、誰がいつ船長を務めるかについての鈴木先生が考えるあるべき姿の間に、どのような関連があるのか、よろしければお聞かせいただければと思います。

 この質問の背景には、私がツイートしたいくつかのコメントがある。それらを全部転載するのは読みづらくなるため避けるが、基礎となるコメントは次のものだと考えている。

若田さんを持ち上げるのは良いのだが、逆に言うとそれ以外の日本人宇宙飛行士は船長になるだけのレベルではなかったということを暗に示している記事になってしまっている。 / 若田さんに続け 新人宇宙飛行士、訓練に奮闘
https://twitter.com/KS_1013/status/399318089117859840
 
米ロの他にカナダ、ベルギー(欧州)も船長を出している。ISSに出資している国の中では最後の船長。
https://twitter.com/KS_1013/status/398461442472419329

さて、質問に戻るが、まずコメントしておきたいのは船長枠が確実に一つある、というわけではない、という点。これまでISSの船長(コマンダー)は宇宙飛行士の量も経験も豊富なアメリカとロシアが中心であり、それ以外のISSパートナーはベルギーとカナダが船長を1人ずつ出している。しかし、この船長枠は最初からあったわけではなく、各国間の「あうんの呼吸」で作られたものであった。ISSの運用を取り決める政府間協定にも船長の枠を参加国に平等に分配するという規定はない。ただし、そこは国際協力の枠組みなので、参加国にも当然配慮することは暗黙の了解となっている(でなければ協力関係がぎくしゃくする)。

そこでISSが完成し、運用が落ち着いてきてルーティーン化されるようになると、米ロ以外の船長も、という話になってきた。しかし、その枠も数が決まっていたわけではない。あくまでも適任者がいれば採用する、という形であった。

ベルギー出身のFrank de Winnieは2009年に船長となった人だが、彼は政治的な発言力も強く、宇宙飛行士としてEUの宇宙政策の支援や、様々な政策立案にも関わるほど、アイディアを持ち、それを押し通す個性の強さを持つ人物である。彼が初めて米ロ以外の船長になったのは、欧州(ESA)の強い働きかけもあるが、彼自身の持つ個性や「我の強さ」もあったと思われる。

カナダ出身のChris Hadfiledは宇宙ステーション滞在時にDavid Bowieの名曲であるSpace Oddityを歌い、それをカナダ宇宙庁(CSA)が編集してYoutubeに載せたことで、世界的な有名人になった人である(そのビデオはこちら。ものすごくクオリティが高いし、歌も上手い)。 彼は、この一件だけでなく、かなりの時間を教育プログラムに当てており、カナダの小中学生向けに宇宙授業を行うということで国民的な人気者でもあった(その一つがこちら。これ以外にも彼の名前で検索すれば様々な宇宙実験の映像が出てくる)。

こうした強烈な個性とリーダーシップ、人間性を備えた人となると、日本の宇宙飛行士の中では若田さんが突出していると言わざるを得ない。日本人宇宙飛行士は、厳しい試験を乗り越え、密度の濃い訓練プログラムをこなし、能力的には非常に高い。しかし、それは逆に日本人宇宙飛行士をおしなべて「優等生」化してしまい、優れてはいるけど、飛びぬけてはいない、という状況を作り出してしまったと考えている。

そんな中で若田さんはご自身の外国での生活経験などもあり、欧米社会における文化や所作を理解しており、その中でリーダーシップを発揮することの意味ということを十分踏まえて宇宙飛行士のコミュニティの中で存在感を放ってきた。彼は単なる優等生でも、経験を積んだ宇宙飛行士というだけでもなく、そうした欧米社会に受け入れられる人物としてのクオリティを持っている人だと考えている。

ここで「欧米社会」という点を強調するのは、「国際」宇宙ステーションでありながら、アメリカが圧倒的な影響力を持ち、それをカナダ、欧州がサポートするという社会であり、決して「国際社会全体」を代表するものではないからである。つまり、ISSに搭乗する宇宙飛行士、それを運用する人たちのほぼ全てが「欧米社会」の価値観を共有しているのが宇宙ステーションなのである。このことを見誤ると話がずれてきてしまうので、敢えて「欧米社会」という点を強調している。

そうなるとロシアがいるじゃないか、という反論もありそうだが、ロシアは確かにISSの参加国であり、唯一ISSに人を運ぶ手段を持っており、ISSには不可欠なパートナーである。しかし、ISSのそもそもの始まりが冷戦期にソ連の宇宙ステーションであったミールに対抗するための宇宙ステーション「フリーダム」であり、ロシアが参加するのはソ連崩壊後の1993年で、その時には既にISSの計画、運用ともアメリカが中心になることが決まっていた。つまり、ロシアはソ連崩壊後に迷走した宇宙計画の出口として、またポスト冷戦の和解の象徴としてISSに参加しているが、その中でリーダーシップを発揮し、ISSを「自分のプロジェクト」にする意思はないため、ISSの文化に影響を与えるまでに至っていない。

少し話がそれたが、このようにISSが「欧米社会」の文化的価値観によって動いている中で、日本は当然不利な地位にある。日本の宇宙開発は、これまでいろんなところで述べてきたように、キャッチアップが目標であり、ISSに参加するということはその一環であった。なので、日本はこれまで「欧米社会」に溶け込もうと努力をしてきて、その「欧米社会」の中で認められようと努力してきたのである。その努力はすさまじかったし、それを達成したことは賞賛されるべきである。

であるからこそ、若田さんが船長になるまでに日本人が船長にならなかったことを問題視するのである。日本は「欧米社会」であるISSの中で認められ、「キャッチアップ」出来る人を宇宙飛行士として選んできたのである。それは言い換えれば、「欧米社会」に認められ、ミスをせず、結果を出す人を優先的に選び、そういう訓練をしてきたのである。

しかし、その中で船長の役割を担うだけの個性や我の強さというものがなかなか出せず、結局「優秀だがリーダーではない」人たちが量産される結果となった。そんな中で若田さんは明らかに違った。彼のバックグラウンドも含め、彼は「欧米社会」でリーダーになれる存在であったし、(ここは私の推測だが)JAXAも若田さんをそういう人物として育ててきたのだと考えている。

なので、若田さんが船長として今回任務に就くことは自然の成り行きであるし、それ自体はある意味当然のことだったと言える。ただ、私が問題視するのは、日本がこれまで1980年代の「フリーダム」と呼ばれていた時代の宇宙ステーションから継続的にコミットし、アメリカや欧州が予算や国内的な事情でモジュールのデザインを何度となく変更し、計画を遅らせ、トラブルのもとになってきたのに対し、日本は極めて誠実に、真面目に宇宙ステーション事業に取り組んできた。

にもかかわらず、日本人宇宙飛行士は欧州やカナダより先に船長になることはなかった。これは上述したように、各国に船長の枠を一つ与える、という約束が明示的にない以上、いつまでたっても日本人宇宙飛行士が船長となることが出来ず、そのままISSの運用が終了してしまう、という可能性だってあった、ということである。今のところ、2016年までのISSの運用は決まっており、それを2020年までに延長するということが大筋で決まっているとはいえ、「欧米社会」においてリーダーシップを取れるとみなされる人物が若田さん以外になく、若田さんにもしものことがあってISSに行けないという事情が生まれれば、日本人船長は生まれない、という可能性だってあったと考えている(実際、病気や事故で宇宙に行けなかった宇宙飛行士は少なからずいる)。

そうなると、これまで誠実に、真面目に宇宙ステーション事業に取り組んできた日本が船長を出せない、ということになってしまう。もちろん、船長が出なくても、有人宇宙事業には意味がある、というのであれば、それでもかまわないだろう(繰り返すが私は有人宇宙事業事態に批判的である)。しかし、日本が国際社会(ISSの場合は欧米社会)に多大な貢献をしておきながら、国際的には低い地位にとどめられ、影響力を持たない存在となってしまっていることに対して不満を持つ人も多いだろう。東京新聞のコメントにも引用されているが、国連に対して多大な財政貢献をしているのに、日本は安保理の常任理事国でもなければ、国連職員が(財政貢献に比して)多いわけでもない。外務省もそれを問題視して、様々な活動をしているが、それと同じ意味で、日本人の宇宙飛行士がISSの船長にならないことは問題なのである。

なので、本来ならば、米ロ以外に船長を求める時、一番最初に名前が上がらなければならなかったのは日本人宇宙飛行士であったはずで、若田さんは2009年に最初の長期滞在をしているが、その直後にベルギーのDe Winneが船長を務めることになっていたので、彼が船長になることが出来なかった。実は、ここがJAXAの戦略的な失敗だったと考えている。この時は日本のモジュールである「きぼう」の組み立ての最中であり、「きぼう」の組み立てを優先して、船長を取りに行かなかったことに問題があった。もちろん、船長をやりながら「きぼう」の組み立てに取り組むというのはミッションとしてかなり大変であることは確かだが、それを言い出すと船長はいつも大変ということになってしまう。この最初の若田さんの滞在の時に船長を取りに行かず、そこで欧州に取られたところに、日本の国際協力の枠組みの中での駆け引きの稚拙さを感じている。

さらに、その後も「きぼう」組立ミッションは続いたが、若田さんの一回目の長期滞在の後に、野口さんが長期滞在に出た時も、船長を取りに行かなかった。これは戦略的なミスなのか、野口さんを船長に、と推す声がなかったのか、その辺は定かではない。しかし、そうしているうちに古川さん、星出さんと比較的経験の浅い宇宙飛行士が続くことになってしまったため、今回の若田さんの打ち上げまで船長の地位を得ることが出来なかった。

なので、最初の質問に戻ると、船長枠が一つある、ということが確定していない限り、出来るだけ早く、これまでの貢献と日本のコミットメントに応じた評価、すなわち船長の地位を与えられるべきであったのに、「きぼう」組立ミッションと若田さんの長期滞在が重なってしまったこと、そしてその後も船長に地位を取りに行くことをせず、比較的経験の浅い宇宙飛行士が続いてしまったことなどの戦略的なミスによって船長枠を取れないかもしれない、というリスクを抱えてしまった、ということが問題だと考えている。それが含意することは、日本の宇宙開発が「欧米社会」に追いつくことを目標としてしまい、その中でリーダーとなる、という意思に欠けていること、国際社会の中で貢献はするが表には出ない、という役割に甘んじてしまっていること、そして次に若田さんが飛ぶ時に船長を取ればよい、という甘い見通しがあったこと、といったことだと考えている。ゆえに、若田さんが船長になったことを手放しで喜ぶ前に、もう一度、何のための国際協力なのか、何のための日本人宇宙飛行士なのか、ということを考え直すことが求められていると考えている。